6.約束
ユキシロ・ソウタが戻って来ない。
「……どういう……ことですか……?」
最も恐れていた、答え。
なのに、どこかでそう返って来るのが分かっていた。
そして、それを嘘だと強く否定することができないのも。
それは目の前にいるのが、人智を超越した〝魔人〟オルクエンデだとはっきりと見せつけられたから。
《ふむ。詳しく言えば、ついさっきまで主人格であったソウタは、二度と主人格として現れねぇってことだ》
自らの胸に指を立て、オルクエンデは続ける。
《言っておくが、ソウタが俺に任せたんだぞ? 〝魔剣〟の力の一部を、星約によって分け与えられていたアイロギィ・スタンクフを倒すためにな》
突きつけられた信じたくはない事態に、ソラノアの頭の中が希薄になっていく。
ただ、次の言葉が彼女を戻す。
《それに何より、ソウタは。この世界の全てを犠牲にしてでも、元の世界に帰ろうなんて考えてる腹黒いやつだぜ?》
「えっ?」
思わず声こそ出るも、ソラノアはそこまで動揺はしていなかった。
むしろ、心の内が少し晴れたくらいだ。
(だから、不安だったんだ……)
ソウタが本心を隠していたから。本当の表情を見せているようで、その真実を見せようとしなかったから。
今ならソウタの薄暗い心の闇を。残虐を口にする意図を。正面から向き合えそうだ。
と、オルクエンデが無意識に俯いていたソラノアの顎に指をかけ、視線を合わさせた。
《でも俺は違う。俺はこの世界を救ってやる。別にお前達のためじゃない。俺が生きるためだ――信頼できるだろ?》
そのオルクエンデはまるで、勝ち誇ったようだ。
ソラノアは彼の黒い瞳から逃げない。
「ソウタさんを返して下さい」
一言一句、決して聞き漏れさせることのないようにソラノアは言う。
はっきりとした口調で言い返して来るとは思っていなかったのか、オルクエンデは言葉を呑んだ。
しかし、間はほんの僅かだけ。
オルクエンデはそんなソラノアに、嬉々として表情を歪ませる。それはソウタが見せるとは思えないものだ。
《そうだな――》
ソラノアの肩を乱暴に掴み、
《お前が俺に抱かれるってなら、考えてやってもいいぞ!?》
ソウタの口を介して吐き出される、醜悪な台詞。
満たされようとする欲望に、オルクエンデは高笑いを抑えられなくなる。
《はははっ! お父様に俺の子供を孕めって命令されてんだろ!? それにお前は、一度は操を捧げようとしたしな!? はははっ! あああはははっ! 最高だ! 俺の子か! まさに俺が生きている証明じゃないか!》
そんな彼の顔をソラノアは反射的に叩いた。
心底、腹が立ったから。
《あ?》
「私は約束したんです。私自身から傷つくことなんてしないって」
ここまで腹立たしいのは、いつ以来だろうか。
すぐに思い起こせないのは、頭の中が込み上がった怒りに埋め尽くされていたからだ。
「ソウタさんは言ってくれたじゃないですか!? 『君には笑っていて欲しい。正直、俺に戦う理由も覚悟もない。でも、ソラノアが笑っていられるなら、少しは戦えるかな』って!」
《何を急に? それにそんなの詭弁だろう?》
「あなたには訊いていません!」
ソラノアは本当に腹が立つ人へと、怒りをぶつけ続ける。
「ソウタさん! あなたから言って下さい! 裏切るなら! 踏みにじるなら! せめてあなたの口から、あなた自身からして告白して下さい!」
《滅茶苦茶だな。それとも時間稼ぎのつもりか?》
舌なめずりしながら口にしたオルクエンデの言葉に、何者かのおぼろげな声が混じる。
奇妙な現象に驚いたのはソラノアよりも、オルクエンデの方だ。
今まであった余裕が、音を立てて瓦解していくのが手に取るように分かる。
《どういうことだ!?》
咄嗟に、オルクエンデは自らの口を手で押さえる。その手が――いや、身体は震え出した。
先のイサラ・トリティエを連想させたが、それほど大袈裟ではない。
しかし、オルクエンデには大事のようで、天を仰ぎ、何かに対して激昂する。
《どういうことだ!? 話が違うぞ!?》
オルクエンデの声に、僅かだが宗太のものが重なる。
その異様に、〝魔人〟はますます困惑する。
《冗談じゃない! 愛の力なんてふざけたものじゃないんだろう!? それともお前達は俺を謀ったのか!?》
ソウタの声はオルクエンデを突き破るかのように、輪郭を露わにする。
《なんなんだ!? なんなんだお前は!?》
オルクエンデはその目で、ソラノアを見る。
怯えるように。蔑むように。恨むように。
しかし、その瞳に何が映っているのかは分からない。
そして、ソラノアもまた、その目でオルクエンデを見る。
はっきりと映す。その瞳に。ソウタの姿を。
「私はここにいます! いますから! だから戻って来て下さい、ソウタさん!」
ソラノアの叫びに、彼の腕が真っ直ぐ伸びる。その手をソラノアが強く握った。
「ソウタさん!」
すると、ソラノアの手が強く握り返され――
「俺と代われ、オルクエンデ!」
――声質が完全に逆転し、ソウタのものへと変化した。
「ソウタさん!? ソウタさんなんですか!?」
「……うん。俺だよ、ソラノア」
やや疲れたように微笑むその顔は、まさしく宗太のもの。
ソウタが戻ってきた。それにソラノアの瞳から自然と涙が零れる。
安堵に、彼女は思わずその場に座り込んでしまう。
「えっと……ごめ……」
「謝らないで下さい! 許しませんから!」
「えっ!?」
激昂されたことに、ソウタは目を見張る。
涙目でソウタを見、中腰のまま固まる彼に怒鳴り散らす。
「だってソウタさんが言ったんじゃないですか!? 謝り過ぎるなって! それに自分が傷つくようなことがするなっても!」
「いやまぁ……確かにそうだけど――」
「なのになんで!? ソウタさんから、どんどん破るんですか! 一方通行の約束なんて、ずるいですよ……」
ほとんど息継ぎなしで、ソウタの返答を遮ってまで喚き散らしたせいか、言いたいことがまだあるのに言葉が途切れる。
一度勢いを失くすと、何を言いたかったのか分からなくなる。
感情がごちゃ混ぜになり、想いが言葉として形作れなくなる。
それでも、一番言いかったことをソラノアは口にする。
「……本当に……心配したんですから……怖かったんだから……」
「ごめ……」
ソウタは言いかけたものを呑み込み、
「ありがとう」
泣きじゃくるソラノアを強く抱き締めた。自分がここにいるのだと、実感するために。させるために。
「よかった……本当によかったよ……」
くぐもった声でそう言いながら、ソラノアは抱き締め返す。
夜風は寒いが、それでもソウタの腕の中は暖かかった。




