6.混沌の中へ
指定の位置。村の中央の暗黙の了解で出来上がった、一般住人と【テーブルスナッチ】の光と闇の境にて、ジンク・セダーは両手小槌――〔ミョルニル〕を使いながら敵と対峙していた。
「《撃打爆座》!」
魔偽甲〔ミョルニル〕は、インパクトの瞬間に爆発する能力が付加する。
その小槌を、正面から迫ってきた野党の分厚い鎧を纏う男に振るう。と、その装甲をぶち破って、衝撃が内臓へと駆ける。
泡を吹き、こちらにもたれかかるように倒れ込む。
ジンクは咄嗟に後ろ退く――直前、倒れる鎧男の後ろから拳銃を構えた二人の野党が視界に入った。
「《撃打爆座》!」
ジンクは踏み止まり、反射的に倒れる最中の鎧男の横顔に渾身の力を込めて両小槌を打ち込む。
爆破は〔ミョルニル〕の打撃威力に比例する。ジンクの一撃は、男の顔面はおろか上半身さえも爆散させた。
その衝撃は銃を構えていた外野と、ジンク自身も吹き飛ばす。
ジンクは近くの木に手を掴み、飛ばされる距離を少なくさせた――手に持っていた〔ミョルニル〕は、柄から伸びるストラップを手首に装着しているため、放しても失うことはない。
さほど時間を稼ぐことなく晴れる爆塵。敵を確認しながら、ジンクは次の動作へと移る。
銃を構えていた二人組は打ち所が悪かったのか、身動きが取れないでいる。
その後ろから、ぞくぞくと【テーブルスナッチ】の雑兵がやって来る。その手に様々な武器を携えて。
(くそ! 思ったよりも敵が多いぞ)
斬撃を一撃でも受ければ、それは致命傷になりかねない。
銃弾を一発でも受ければ、それは致命傷になりかねない。
脆弱な生き物である人間の戦いは、いつ一撃決殺が訪れてもおかしくはない。
そんな、ただですら危険であるというのに敵は複数だ。
ほんの一瞬の油断。刹那の偶然。それによって殺される確率は格段と増える。
(弱気になっている場合か! ソラノアとユキシロは二人で敵本陣に飛び込んでるんだぞ!)
自らに怒鳴りつけ、気を引き締める。
いくらユキシロが〝魔人〟オルクエンデの理不尽で強靭な力を持っているとはいえ、彼自身は戦闘の素人だ。圧倒的力だけでは限界がある――それはあくまでも人間の限界の話だが。人外の力が果たして、自分の常識などというちっぽけな理解に収まるかは分からない。
(ただ、当てにし過ぎちゃいけねぇよな)
人外の力というのなら、魔偽術だってそうとも言える。
当たり前のように人間が扱える力だが、この力は世界を、『魔法』を偽る力だ。
人知を超越した存在に嘘を吐く力など、本来は人間の身に余るはずだ。
(だあああ! そんな小難しいことを考えてる暇なんてねぇっつうんだよ、俺!)
ジンクは外れかけていた集中を取り戻す。
敵はそこまで来ているのだ。
ソラノアとユキシロの負担が少しでも軽くするため、そして何より生き残るために、ジンクは〔ミョルニル〕を強く握りしめ直した。
◇◆◇◆◇◆
顔面を鷲掴まれ、宗太の身体が宙に浮いた時。その耳に飛び込んできたのは、金属同士を引っ掻き合わせたような、心臓を切り裂く甲高い不快音だった。
そして、それが宗太の頭を掴むものの唸り声だと気づくのは、床に叩きつけられ、全身に衝撃が響いてから。
「誰だ!? ラグスワーグを召喚したのは!?」
「逃げろ! この星隷は生き物を見境なく破壊するぞ!」
ラグスワーグと呼ばれた星隷の指の隙間から、宗太を床にめり込ませ続ける姿を確認する。
その敵の姿は、全身甲冑そのもの。
たが、肩から手にかけては銀色。胴の部分は漆のように赤黒色で、どこか西洋と東洋の鎧を足して二で割ったような、ちぐはぐな感じは否めない。頭部に至っては西洋兜に無理矢理、鍬形をつけたようにさえ見える。
(こいつは差し詰め、鎧星隷ってところか!?)
潰しているものが壊れぬことに憤慨してか、鎧星隷ラグスワーグの声はさらに大きく不愉快になる。
(で、いい加減にしろっての!)
宗太は銀の腕を掴み、握り潰していく。
痛覚がないのか、鎧星隷は手を放すことはない。
さらに力を込めるが装甲が硬く、変形こそさせられるが千切り取るまでにはいかない。おまけにその表面は血管でも張り巡っているかのように、蠢いていた。
「連なれよ星々――《攻輝弾座》!」
腕を握り千切ろうと抵抗する宗太を、ソラノアが魔偽術で援助する。
術図式が変異した光球は鎧星隷に直撃した。しかし、破壊はおろかバランスを崩すことさえできない。
だが結果として、ソラノアの《攻輝弾座》は宗太を鎧星隷から開放することとなる。
代わりにソラノアへと標的を変えたが。
「人の女に手を出すんじゃねぇっての!」
駆ける鎧星隷に、ソウタは踏みつけるように目一杯脇を蹴る。
鎧星隷の装甲は無残に凹み、その勢いに壁面を砕いて奥の部屋まで飛んで行った。
「ソウタさん……?」
「うん。一度言ってみたかったんだけど、いざ口にすると心底恥ずかしいね」
少し顔を赤らめる二人。
そんな場合ではまるでないが、心は少し落ち着いた。
鎧星隷がどうなったか伺うと、崩れた壁面の向こうで蹲っている。
よく見れば、鎧の表面がまるでその下にミミズか何かが張っているかのように、気色悪く蠢いている。
本能が、その状態をこちらに害なすものだと判断する。
宗太は全力で走り寄り、動かないでいる鎧星隷の脇へ、疾走の勢いを載せた渾身の拳打を放つ。
それは、一切の衝撃逃げることのない完璧な一撃。
「――硬ぇ!?」
――の、はずだった。
だがしかし、先程までとは打って変わり、凹むどころか傷一つない。むしろ、傷ついたのは宗太の手だ。
雷星隷の爪や刃の体毛でさえ裂くことのできなかった宗太の皮膚は今、皮膚がずる剥けて血が滲み出した。
一方、鎧星隷の蠢いていた表面はやがて、複雑な文様となって変形を終えた。
それを待っていたかのように、鎧星隷が立ち上がる。
「ソウタさん、離れて下さい! 連なれよ星々!――《竜牙爪座》!」
言われた通り、真横へと宗太が跳ぶ。
すると万物を噛み砕き、引き裂く力を持つ竜のように、全てを穿つ高等魔偽術が鎧星隷を貫く。
鼓膜が破れんばかりの衝突音は、鎧星隷の胸に巨大な穴を空けた。
「やったか?」
膝から崩れ落ちる鎧星隷。しかし、その表面がまた不気味に蠢く。
今度は瞬時だった。激しく動くその表面は瞬く間に傷口を塞ぎ、その痕に複雑な幾何学模様が現れた。
「連なれよ星々!――《竜牙爪座》!」
すぐさまソラノアは同じ魔偽術を放ち、鎧星隷に当てる。
しかし今度は、小さく凹みこそするが穴が開くことはない。完全に受け止めてしまった。
そしてまた、表面が不気味に動く。
「まさかダメージを受けるごとに耐性ができるのか?」
腕は最初、壁を破壊して飛び出してきた時に耐性ができていたのだろうか。加えて、宗太が握り続けたことで、強化し続けたということか。
だとすれば、鎧星隷は攻撃を受けるだけでなく、鎧星隷自身が攻撃をすればするほど強化されていくこととなる。
(それなら定番の倒し方しかねぇだろ!)
超速で強化し、再生する敵を倒す方法は元来、相場が決まってる。
宗太は軽装鎧の魔偽甲である〔リンドブルム〕を発動させる。
「《傀我儡座》!」
軽装鎧の能力は肉体の限界を無視し、精神を優先して身体を操ることができる。
「ソラノア! 俺があいつを攻撃したら、君の中で最速で最多の攻撃ができる魔偽術を打ち込んで!」
「分かりました!」
宗太は鎧星隷へ、距離を詰める。
超速強化・再生の他にもう一つ、この鎧星隷の特性で分かったことがある。
宗太はまず、拳を魔偽甲が壊れぬように魔偽術で強化する。そして次に、鎧星隷の足元へ魔偽術を構成する。
「いくらお前が強くなっても、お前以外は強化されねぇだろ!」
魔偽術は鎧星隷の踵の下の床をくり抜き、後方へとよろけさせた。
宗太はすかさず飛び込み、床へと倒してマウントポジションを取る。そして、固めた拳をハンマーのように振り下ろした。
「連なれよ星々――《岩雨座》!」
ソラノアが魔偽術による追撃を図る。
鎧星隷の真上から、魔偽術によって生まれた岩石の雨が降り注ぐ。
鎧星隷の表面は想定通り、その攻撃に対する態勢を構成し始める――その時にはもう、《岩雨座》による攻撃が鎧星隷を穿つ。
(要は再生や強化が済むよりも早く破壊すりゃいい話だ!)
鎧星隷へ超速で降り注ぐ《岩雨座》の一つ一つの間に、宗太の渾身の打撃を挟む。
宗太が自分を動かすためにイメージしているものは、『餅つき名人の餅つき』という馬鹿馬鹿しいものだった。餅をつく人が《岩雨座》で、こねるのが宗太の拳。なんとなく生まれたそのイメージは、確かに宗太には効果的だった。
ソラノアの魔偽術と宗太の打撃の重奏が室内に響く。
鎧星隷の表皮は忙しなく蠢き、耐性をつける。
宗太が気づいたもう一つの特性は、強化・再生が完成するまではそれに専念し、攻撃してこないということ。
これはこちらの攻撃が敵を穿つか、それとも鎧星隷がこちらの攻撃力を超越するかの勝負だ。
何度も何度も打ち込んでいきダメージを確実に与えてはいるものの、鎧星隷の命の終わりがまるで見えない。それどころか、はっきりと硬化していっているのが肌で分かる。
「埒が明かねぇ!」
宗太は魔偽術によって炎熱を自らの拳に纏わせ、さらに打ち込む。
魔偽術と打撃に熱攻撃が加わる。
宗太の肩は外れ、腱が切れ、拳が砕けていく。
腕がもげるのではないかという激痛と、熱の拷問を受け続ける酷痛に耐えながら、宗太は鎧星隷を破壊せんとする。
「ぶっ壊れろっていうんだよ!」
手に感覚がなくとも、意志さえあれば動かせる。
意志さえあれば、魔偽術は使える。
宗太は拳にただただ単純に、触れたものを破壊するという魔偽術を込めて打ち込む。
意識を洗練し、最少の一点へと尖らせていく。
――と、ついに鎧にひびが入った。
力一杯振り下ろすと、宗太の腕は鎧星隷の中まで貫いた。
「砕け散れ!」
空の身体の中で、宗太は爆散する魔偽術を放つ。
そして意志の通り、鎧星隷は爆発によって粉々に砕け散った。
塵と化した鎧星隷は光の粒子へ還り、消滅した。
それを確認すると、ソラノアが宗太へと血相を変えて駆け寄る。
「ソウタさん! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫じゃないけど、自分でなんとかするよ」
宗太が魔偽術による自己修復に図ろうとする――と、怪我をしていない左腕を掴んだ。
「駄目です! 治癒の魔偽術は自分でやっては! それに精密な構成を必要とします!」
「つまり、俺の大雑把なやつじゃ駄目というわけですか」
「そうです。治癒は術者と受術者の生命力を使います。それを適当に力任せでやってしまうと、寿命を大幅に削ります。最悪、治癒のせいで死んでしまうこともあります」
ちょっとからかったつもりだったのだが、ソラノアは至って真剣に返す。それだけ深刻な話だったのかもしれない。
「――というか、ソラノアの寿命まで削っちゃうの!?」
「瀕死の場合だったり、取り返しのつかない重傷ですとその危険はありますけど、傷程度なら疲労程度で済みます。連なれよ星々――《聖慈癒座》」
傷の治ることを祈るようにソラノアが魔偽術を組むと、光の粒子が宗太の手を覆い、ゆっくりとだが治癒を始めた。
「すみません。そういったことは事前に伝えておくべきでした。時間もあったのに……」
「まぁ、大事になる前に知れてよかったってことにしておこうよ」
「ありがとうございます」
「いや、俺よりも先にお礼言うの取らないでくれる?」
なんて苦笑すると、ソラノアは小さくだが微笑んでくれた。
二人だけの時間が流れる。ただ、淡い青春を漂わせるものではなく、血生臭い、次の展開に繋げる話だが。
それは一分も続かずに、中断させられた。
「まさか、俺の代わりに鎧星隷を止めてくれるとは。ご苦労なこって」
伽藍堂となった部屋から、無精髭を生やした三〇代くらいの長身の男が姿を見せる。
顔にはいくつもの傷。鷹のような鋭い瞳。自信に満ちた姿勢。荒くれ者という容姿が実に似合う。
それが誰なのか。宗太はすぐに理解した。
宗太はソラノアの肩を一度叩き、治癒の範囲から手を外す。まだ、血だらけで感覚が万全ではない手を。
「ソウタさん……」
「さすがに待ってはくれないでしょ」
宗太は視界から、その男を一切外さない。
距離をじりじりと狭め、間合いを測る。
「願い通り出て来てくれたな、アイロギィ・スタンフク」
「そういうお前は、イサラの言う通り『魔物』なのか?」
にやり、と『剣の神子』アイロギィ・スタンフクは口角を釣り上げ、腰に携えた黒い鞘から剣を抜く。
「さぁ、どうだかね」
「まぁ、殺せば分かるんだろ?」
アイロギィもまた、間合いを詰める。
そして、奪い合う戦いの火蓋を切ったのは、アイロギィ・スタンフクの黒い剣だった。