2.地に着いた足
「じゃあ、お昼に学院の方に行くから」
「はい。お待ちしています」
朝食を終え、宗太はソラノアに告げる。
その彼女の胸には今朝上げた勲章がつけられている。衣服に隠れないように、きちんと。
ソラノアの背が小さくなるまで見送ってから、宗太は地図を片手にムーンフリーク千星戦闘術道場へと向かう。
この世界に召喚されて二日目だが、宗太の世界の文化が通じる点は正直助かった。
改めて街を見渡すと、宗太がいた世界よりも文明は劣っているが、不便さはまるで感じられない。
服装は宗太の世界の色々な国が混ざったような感じ。しかし、奇抜というわけではない。
建物や常備品、人々が持つ道具の形状や配色も、異世界に来たというよりも異国に来たようである――といっても、宗太は海外に行ったことはないが。
タイル舗装がなされた歩道はきちんと整備され、道路は日本の何度も穿り返される歪なコンクリートでできたものより綺麗だ。
その道路を自動車がちらほらと走る。その普及率は分からないが、その隣を走る路面電車に似た車両(パンタグラフなどついてはいるが、動力が電気かどうか分からない)を利用する者の数の方が多いようだ。
街灯や店内の明かり、自動車などの動力に魔偽術は関係しているのだろうか。
(そこら辺を、今日はソラノアに訊いてみようかな)
少しソラノアが気になりつつも、宗太は自分がすべきことに専念するよう律する。
一から一〇まで全てに手を差し伸べることは、決して誰かを助けることではないのだから。
(大丈夫さ。彼女の方が俺よりもしっかりしてそうだし)
約十六歳ということだが、環境や文化が違うからか年齢以上にきちんとした印象がある。
そんな彼女が昨夜起こした事件を思い起こしそうになり、頭を振って忘れる。
互いに経験した苦い出来事を回想する代わりに、就寝前にオルクエンデに確認したことを思い起こす。
(……ああは言ったが、一刻も早く戻らないとな)
元の世界にある宗太の身体は現在、昏睡状態になっている。が、入院でもすればまず死ぬことはないということ。
また、こちらの世界に比べ、元の世界は時間の流れが遅いため、最低限、こちらの世界で過ごした時間よりは短い扱いになる。
(とは言ったって、俺は一人で生きてるわけじゃねぇしな。一日経てばバイト先に迷惑けることになるし。入院だって費用だってかかる。一人暮らしとはいえ、そんなことになれば親がしょっちゅう来なくちゃいけなくなるよな)
二つの現実と向き合わなければいけない状態に、宗太は思わずため息を吐く。
(まずは、目の前のことを片づけないとな……)
宗太は目的地たるムーンフリーク千星戦闘術道場を見上げた。
どこに行くのか。何をするのか。それを改めて意識する。
そして、進むべき場所へと進むため、目的へと続く橋を渡る。
◇◆◇◆◇◆
ソラノアは学院に復帰申請を済ませたあと(上司の計らいで除籍ではなく、休職扱いになっていた)、学院の図書室で自分がすべき作業を行っていた。
机には魔偽術に関する初歩の教本が積まれている。
ソウタに分かり易く教えるため、ソラノアはそれらを参考に独自の授業を組み立てていた。
時間は限られている。その中で、いかに実戦で使えるまでに昇華させるかが重要である。
だが今、行っているのは別の調べもの。
ソラノアは一冊の資料を取り、ページを捲る。
『魔法』について書かれた書物を。
ソウタのため『魔物』について調べてもいた。
自分がなると思っていたので少しは齧っていたが、今の知識では使い物にならない。
単純なものから普段なら手に取ることはおろか、目を向けることさえもしないであろう書物を片っ端から目を通した。
まだ読み終えてはいないものの、内容は斜め読みでだいたい把握できた。
(やっぱり、疑惑に突っ込んだものは乏しい……)
はっきり言ってしまえば、新しい情報はほとんどなかった。
『魔法使い』なる『魔法』を使役していた者が、『魔法』の一部を一〇に分け、このアルトリエ大陸に封じた。
それにより九つの星地が誕生したとされる。
が、書物に星地の扱いが『封印のために星の力――魔力が集約している地』であったり、『封じた余波によって魔力が集約しやすくなった地』など様々である。
(最初に現出した〝魔女〟には星地がないのは、彼女が現れた場所が星地化――つまり、星の力が集約する場所ヘと変化していなかったから)
また、〝魔女〟の現出に儀式のような星の力――魔力を大量に消費された痕跡も残っていないとされている。
(私達が失った時間――何かの前に出現した可能性もある?)
全ての『魔物』の詳細は分からないが、この〝魔女〟だけが突出して異様に思える。
一〇に分かれ、物質化した『魔法』たる『魔物』――
〝魔人〟オルクエンデ。
〝魔剣〟ビロゥガタイド。
〝魔笛〟ノーティーエンダーグ。
〝魔獣〟エヴエノギス。
〝魔炎〟アジュペイトランクリ。
〝魔手〟ヴィナフォディーエ。
〝魔眼〟ヨクトゥルヘヌワ。
〝魔弾〟モーフィスシャイト。
〝魔界〟サーボダギィーム。
そして、〝魔女〟。
その一柱だけが、名が伝えられていない。
始まりの『魔物』にして、始めた『魔物』。
なんの理由があって。どういった目的があってかなどまるで分らない。
(分からないのはそれだけじゃない)
どうして『魔法使い』は『魔法』を分け、世界に混沌を齎したのか。
そして、全ての『魔物』が一つになった時、どんな結果を齎すのか。
本当に『魔法』は役割と取り戻し、御することができるのか。
伝承通り『魔法』は、万物を御することができるのか。
いやそもそも、『魔法』など現実に存在するのか。
(疑ったってきりがない。でも……)
埒が明かないといっても、放り投げるわけにはいかない。
ソラノアは少しでも真実に近づくため、ソウタの役に立つために思考を止めない。
(私はこれらを幼い頃から、それこそ記憶が曖昧な時期から教育された。みんなも当り前のようにそれを知り、受け入れている)
『魔法』にまつわる伝説は、時に家族から、指導者から、書物から。ありとあらゆる場所から、自然と耳に入り、脳に刻まれる。
その大元は、一体いつ発生したのか。誰がこの説話を伝え、真実として結びつけさせたのか。
――それを〝魔女〟の仕業とするのは、強引なこじつけか?
(ここだけの資料じゃ、分からないことだけだ)
過去、どれだけの人間がそれに疑問を抱き、暴こうとしただろうか。
一般人ならともかく、魔偽術や『魔法』に関する研究を深くする者がいれば、自然と辿る問いだ。
その一つの結果が、この書物達だ。たった、これだけの知識だ。
答えへ辿り着けなかったのか。諦めたのか。それとも抹消されたのか……
ソラノアは自然と指をそこに置いた。
地図の端。
アルトリエ大陸を塞ぐ、『無望の霧』と書かれた領域を。
人類を閉ざす、未知の世界を。
◇◆◇◆◇◆
それから宗太は四日間、午前にノーグの下へと向かい、戦闘の基本と軽い訓練。午後はソラノアに魔偽術とアルトリエ大陸史を教わる。
正直、高校を卒業し、もう煩わしい勉強とはおさらばできると思っていた。それをわずか半年で再開させるなど、夢にも思っていなかった。
ただ、ブランクが半年ほどだったので、学ぶことに対してそう身構えることはなかった。
バイト先の二〇代半ばを迎えた四宮先輩が、二か月前から駅前留学(ちょっと懐かしい響きだった)を始め、『久々に勉強するのは辛い』と零していたのを思い出す。なので、この歳で召喚されたのは運がいい方だったのかもしれない。
それに、学生の頃のように『将来何かに役立つだろうが、何に使えばいいのか分からない』勉強ではなく、確固たる目的と意志があったので苦ではない。むしろ、学生時代よりも集中し、必死になれた。
また、その四日の中でソラノアの復帰を祝ったり、作戦会議などを行い【凶星王の末裔】の仲間と親睦を深めた。
そして、最後の夜。
「いよいよ、明日か」
ぽつりとベランダで夜空に浮かぶ星を眺める。
街の明かりが少なく、星の海はより栄える。また、静寂が夜を覆うことで、その心地よさが格段と増す。
星に疎い宗太は、これらの輝きが自分の世界の者と同一なのか、別なのか全く分からない。ただそでも、心を魅了させる美しい輝きは変わらない。
朝早くから出かけることもあり、ソラノアはすでに就寝している。宗太ももうすぐ寝ないとまずいだろう――その前に、彼女の寝顔をこっそり盗み見てやろうと思う。
《これから本格的に戦いの中に飛び込む気分はどうだ?》
(心配してくれてるのか?)
《そりゃ、お前が死んだら俺まで道連れだからな》
これも初日の夜に確認したことだが、オルクエンデの現状の目的はこの世界に留まることとなった。
宗太が元の世界に帰り、残った肉体をオルクエンデの精神が操作する。
この世界に残った雪城宗太がその後、どんなことをするのかやや不安ではあるが、宗太自身がこの世界と別れるのだ。関わりのない世界で何を言われようが構わない。
二人の利害は一致し、共闘することで同意した。
(できることはやったさ。あとはやるだけだ)
《言っておくが、世界の全てを犠牲にされても困るんだからな? 少しは残しておけよ》
(覚悟の話だろ? つまんねぇこと言うなよ)
《行く行くは、それが冗談じゃなくなる力が手に入るんだよ》
(意外に心配性なんだな、お前――でも、どさくさ紛れに世界を一掃するほど、性根は腐ってねぇつもりだから)
《つもりじゃ困る》
(しねぇよ。この世界の人類ぶっ殺して帰るなんて、後味悪すぎるだろ)
《それならいい》
そう残し、オルクエンデはこちらへの干渉をやめた。
静けさが戻る。
四季が存在するこの世界で、今は初夏を迎えているとのこと。それでも日本特有のまとわりつく暑さはない。気温も三〇度を超えるのは稀で、大陸の中央はカラッとしている。つい数日前までいた環境に比べ、遥かに快適だ。
(ただ今となっては、あのうだる暑さが恋しく思える――わけはないかな?)
元の世界に帰るのは秋頃がいいかな、なんて冗談を胸中で思いつつ、宗太は大きなあくびを掻きながら部屋へと戻った。
――夜は明け、始まりの戦いの日を迎える。