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たとえ我が願いで世界が滅びようとも  作者: pu-
第二章 魔人が生まれた時、青年は道を進む〈下〉
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8.「君は笑った方が可愛い」

 議会委員宿舎をあとにし、宗太とソラノアは学院寮近くの店で食事を取った。

 その時のソラノアの口数が少なかったのは、『ソラノアを俺に下さい』なんて言ったからだろう。

 正直、食事はやや気まずかった。


 そして寮に帰った宗太は現在、ソラノアの机で魔偽術(マギス)に関する書物を読んでいた。

 彼女の部屋には本が多いがどこか女の子らしく、綺麗で可愛らしい小物もちらほら見える。電化製品に似た生活道具も目につく。


(で、俺はリビングで寝りゃいいのか?)

《んな、つまんねぇこと言ってんなよ。ベッドでいいだろ、ベッドで。あとは迎えてやりゃいい》

(お前、どうでもいい時は出てくんなよ)

《酷ぇな、お前》


 なんてオルクエンデは気楽に言うが、宗太に余裕はない。読んでいる本の内容はまるで頭に入ってはない。

 何故ならソラノアは今、風呂に入っている。


 最初はリビングにいようと思っていたのだが、浴室が近くシャワー音を始めとしたソラノアが出す音が耳に入ってしまう。

 異常なまで聞き取れてしまうのは、この特異な肉体のお蔭か、それとも男の欲望か。

 それを聴き続けられるほど度胸もなく、1LDKの部屋で逃げられる唯一の場所は彼女の部屋しかなかった。ただ、ドアを閉めるのもどうかと思い、開きっ放しにしているため、防音はあまりできていないが。


 部屋の使用の許可を取る際、ドア越しにソラノアに話しかけた。

 軽く魔偽術(マギス)を齧っておきたいから、本を読ませてもらっていいかという理由で。その時が一番緊張し、欲望を押し殺した。

 書物の文字や解説はやはり読める。しかし、専門的な用語が多く、説明がなければいまいち分かり難い。


 ガチャリ、と奥で扉が開く音がする。

 心臓が高鳴る。もう、文字なんて追えない。

 欲望とそれを象徴する部位に自制を利かす。

 ドライヤーに似た髪を乾かす音が耳に入る。

 身体を拭き、道具を片づける。当然見えないものの、如実に伝わる。

 そしてついに、足音が一つ一つ近づく。

 背中で、ソラノアの気配を感じる。


「ソウタさん。お待たせしました」

「ああ。ごめん。そろそろ出る――っ!?」


 椅子から立ち上がり振り返ると、そこにはいつなく綺麗なソラノアがいた。

 彫刻よりも美しい、一糸纏わぬ姿のソラノアが。

 咄嗟に目を逸らしたが、86という数字は実に信憑性があった。


「服着忘れてるよ、ソラノア! それとも着ない派!? あっと……うん! そうか! 俺がここにいると思わなかったんだよね!? そりゃそうだ! 昨日まではいなかったんだし! それに女子の部屋にいつまでもいるなんていう、常識がないとも思わないもんね!」


 混乱し支離滅裂なことを口にする宗太に、ソラノアは正面から抱きついてきた。

 腰に腕を回し、逃がすまいと密着する。

 風呂上りだからか、彼女から漂う形容しがたいいい香りが鼻孔をくすぐる。


 ソラノアの顔は宗太の心音を聴くかのように埋められる。まるで全力疾走をしたあとのように、心臓が激しく鼓動しているのを聴かれているのだ。

 華奢で小柄ながら、今まで味わったことのない柔らかさと温もりを持つその身体。特に、ソラノアの胸が押しつけられた部分に神経が集中してしまう。


「ソラノア! それはマズイ!」


 抱き締めたい衝動に駆られる。それも壊してしまうかもしれないほど強く。乱暴に。

 そうすれば、このソラノアの柔らかさを両腕で、全身で味わうことができる。

 このいい香りのする、まだ水分を含んだ髪を梳きたい。触り心地がよさそうだ。

 いや、それよりも何よりも。生まれてこの方、異性の身体の触れたことのない部分を確かめてみたい。

 身体中、余すことなく触れたい。知りたい。

 脳が蕩けそうというのはこういうことか。


(落ち着け! 落ち着け、俺!)


 このままでは、宗太の理性は粉々に破壊されてしまう。現に、下半身が制御不能になりつつある。

 欲望が解き放たれてしまった自分の姿など、もはや想像できない――オルクエンデの声が聞こえなくなったが、この状況を面白おかしく見ているのか?


「酔ってるの!? それとももう寝惚けてるの!?」

「私の役割です」


 潤んだ薄紫色の瞳は妖艶さを垣間見せる。

 形のいい唇はまるで、キスを誘っているようだ。

 筋の通った鼻も、柔らかな頬も、小さな耳たぶでさえ愛おしい。独占したい。


「私はソウタさんのものですから。この身体も、子宮も全て……」


 妖艶で耽美な言葉に宗太は、確かに全身を震わせた。

 だがしかし、頭はどこかで冷めた。

 抱きしめて滅茶苦茶にしてやりたい衝動と、こう至らせてしまった罪悪感が同居する。


「お父さんがそう命令したから?」


 今度は、ソラノアの身体が震えた。

 宗太から目を背け、俯き、何も言わなくなる。

 その態度に、ソラノアが真面目でいて、優しい少女だと改めて実感する。

 だから、宗太も心を決めた。


「いやさ。そのね? はっきり言っちまうと、この状況に何も考えないで欲望に身を任せたいさ。ソラノアみたいな子とそういう一線を越えられるっていうのは、願ってもないことだよ」


 正直、そう言えたか自分では全く分からない。

 心臓が激しく鼓動し、要らぬことが頭の中を埋め尽くし、欲望が身体中を駆け巡る。

 心を落ち着かせるため、深呼吸した。ソラノアの香りを思いっ切り吸ってしまったため、全く持って落ち着くことはできないが。


「ソラノア。俺を見て」


 ソラノアは戸惑うものの、顔を上げた。

 卑怯なまでに愛おしいその顔を、潤んだ瞳を、宗太は決して離すことなく見つめる。


「でも。自らを傷つける行為はやめて欲しいんだ。俺は君を傷つけるために、ましてや抱くために俺のものにしたわけじゃないし――っていうよりも、あれは方便だから……」


 彼女もそれは分かっているだろう。

 だがそれでも、そうするしかなかった。

 ソラノア・リスフルーバが雪城宗太のものであると、彼女自身が認識するため。宗太がそう思えるため。

 役割がなかったはずの自分に、宗太が与えてしまった意味を無理にでも嵌めるため。


「それにこの身体は〝魔人〟のものでもなけりゃ、俺の純正ってわけでもない。だから俺が君を抱いたとしても、子供ができるか分からない。もし妊娠してもどんなものが産まれてくるか……」

「それでも、試す価値は……」

「ふざけんな!」


 反射的に怒鳴ってしまったことに、宗太はハッと我に返る。

 いきなりのことに、ソラノアの瞳から涙が一筋零れた。

 今まで塞き止めていた感情が、溢れてしまってしまったのだろう。

 泣き声こそ上げないものの、ソラノアの瞳から涙が止まらなくなる。


「ごめんなさい」

「いや、俺の方こそ怒鳴って悪い」


 ソラノアは涙を拭おうとするが、一向に止まらない。 

 一方、ソラノアから解放された宗太はシーツを手に取ると、彼女の顔だけを見たまま包む。

 そしてシーツ越しに、触れるか触れないかぐらいの力で抱きしめる。それが今の自分にできる妥協点であり、限界だ。


「でもさ、試すとか価値とか、そういうのはやめてくれ……君の大事な身体だろう?」


 親指で宗太がソラノアの涙を拭う。それで止まるわけではないが、彼女は落ち着きを取り戻した。

 宗太もまた瞑目し、心を鎮める。

 瞼を開き、ゆっくりと口を開く。


「もうさ。はっきり言うよ、ソラノア」


 ビクッとソラノアが肩をはねさせたのは、軽蔑されると思ったからだろうか。

 そんな彼女に、宗太は柔らかく微笑む。


「君は笑った方が可愛いんだ」

「えっ?」


 思ってもいなかった言葉に、ソラノアは純粋な、それこそ子供のような薄紫色の瞳を宗太に向ける。


「君には笑っていて欲しい。正直、俺に戦う理由も覚悟もない。でも、ソラノアが笑っていられるなら、少しは戦えるかなって思えるんだ。最低限、今は――まぁ、ちょっとキザだけどさ」


 最後は少し自嘲気味だったが、ソラノアは笑いはせず、ただじっと見つめる。


「だからさ、ソラノア自身から傷つくのはやめて欲しい。俺は何よりも、君を傷つけるものを許すつもりはないから」


 肩をぽんと叩き、ソラノアから離れる。

 彼女が納得したかは分からない。だがもう、自らの身体を使うこととはしないと思う。扉の前まで歩いても、もう無理に繋ぎ止めようとはしなかったから。

 ドアノブに手をかけ、シーツで自身を覆うソラノアに声をかける。


「じゃあ、おやすみ」

「……はい。おやすみなさい」


 閉めるまで、ソラノアはどこか呆然と立ち尽くしていたことが気になったが、あとは彼女自身が解決することだ。

 宗太が与えたとはいえ、そこからはソラノア自らが、本来はあるはずのなかった明日からの己の役割を見出すべきだ。

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