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ノアーク

合成屋 マーニャ

若干の恋愛要素を含みますが、たいして描写はありません。

私の書く強敵が強敵じゃないのは仕様です。ごめんなさい。

「ねーちゃん、頼むよー!も、ちょっとだけ!な?」

 額から右頬にかけて刀傷が入った独眼の男がカウンター越しに喚く。

「だーから。びた一文、マケるつもりはないね!値段に不服なら帰んな」

「ちょっとぐらいいいじゃねーかよ!こんなぼったくりみてぇな値段!」

 男はカウンターに両手を打ち付ける。

 嫌だ嫌だ。これだから男ってやつぁ。すぐ暴力に出る。

 そうすりゃ女は黙るとでも思ってんのか。思ってんだろうなぁ。愚の骨頂だね。

「だから、何度も言ってんだろ。気に入らないなら帰れ」

 変わらず強気な態度で追い払う。


 舌打ちと罵声を吐きながら男が去って行くのに然程時間はかからなかった。

 あーあ、まさに負け犬の遠吠えっつーんだよ。

 大の大人が恥ずかしくないのかねぇ。

 蹴っ飛ばされた看板を直しに外に出る。

 今日も良い天気だ。




「また派手にやっているね」

 弱々しい笑顔で現れたのは寝巻き姿の細身の少年。白い肌に琥珀色の瞳、薄く開いた唇は桃色に彩られていて女の子みたいだ。輪郭を縁取る細くて柔らかい銀色の髪。顔にはまだ幼さが残るものの、見惚れてしまう程綺麗な顔立ち。

「マナト!あんた寝てなきゃダメだろっ!」

 彼はこの合成屋の元店主であるNPC。高機能AIで動く彼は一般プレイヤーと遜色ない。

 美味しいものを食べて喜び、笑い話で笑う。

 辛い時には眉根を寄せ、悲しい時には涙だって流す。

「元気なキミの声が聞こえて、ね」


 そう、私の名前を呼んでくれない事、それ以外は。




 私が絶対にマケない理由はお金が必要だから。勿論ゲーム内マネーだけど、一朝一夕では集められないくらい多額の。

 マナトというNPCはとても体が弱く、今も流行り病から併発した謎の病に蝕まれている。

 その病気を治すにはうちの合成料よりも遥かに、いや、そんなものとは比べ物にならないくらいの、ひっでぇ値段の薬が必要らしい。

 でもそいつさえ手に入っちまえばマナトの病気は治る。もう、あの苦しそうな咳を聞かなくて済むんだ。だから無理だと笑われようと、屈強な男たちにマケろと脅されても、私は負けるわけにはいかないんだ。




「マーニャさぁ、いい加減にしなよ」

 カウンターで黒猫服を身に纏った女が呆れた顔をして呟く。

 店の終わり目掛けて定期的に現れるコイツはリアフレの優子。あ、リアフレっつーのは、リアルのフレンド。まぁ、そのまんまだな。要するにこの仮想空間だけではなく、現実世界でも友達って事だ。

 ちなみにここで優子と呼ぶとすごい剣幕で怒られる。私的にはさっきの男よりよっぽど怖い。

「なにがだよ」

 わかってる。もう毎回の問答だからな。

「マナトの事だよ」

 そら来た。

「あんだよ、私の勝手だろ?」

「心配なんだってば。アンタ学校にも来てないみたいじゃん。B組の委員長が今日うちのクラスまで来たよ」

 ちっ、あの眼鏡のやろう。余計な真似しやがって。

「金が貯まったら行くよ」

「そんな事言って、まだまだなんでしょ?10分の1にもなってないんでしょ?」

 その通り。もう私のこの愚行はこのディルグリースでは噂を通り越して一般常識のようにみんなが知っているらしい。そして、何故か貯金のペースまでもがほぼ正確にバレている。

「いいんだよ!減ってはいねーんだから、いつかは貯まるんだ」

「はぁ。…ねぇ、マーニャ。こんな事言いたくないけどさ、アイツNPCなんだよ?心とかってないんだよ?病気ってのは設定だから別に苦しいとか痛いとか辛いとか、そんな感情なんてないんだよ?」

 ついに来たか、と思う。

 今までは喉元で飲み込んでいただろう、その言葉。優子は名前の通りに優しいヤツだ。こんな私を見捨てずに心配してくれる。こんな私に気を使って、みんなが嘲笑混じりにぶつけてくるその言葉を今まで我慢してきてくれていたんだ。

「わあってる、わあってるよ。でもよ、それでも助けたいんだ。初めてなんだ。人の為に何かしたいって思ったの。それがたまたまプログラムされたデータであっても、関係ないんだ。私の中ではマナトは生きてるんだ」

 戯れ言だと自分でも思う。これが他人の話なら、バッカじゃねーの?無駄だよ、無駄!と一笑してたと思う。事実今まではアニメの登場人物に恋しているヤツらを笑ってバカにしてる側だった。

「初めてだったんだ。こんなガサツな私を女の子扱いしてくれたヤツ…」

 自分も身体が弱いのに、雨のフィールドで傘を貸してくれた。女の子は身体を冷やしちゃダメなんだ、と叱ってくれた。

 それがランダム発生の特殊クエストだってわかってるんだ。

 そして、このクエストが終わったら彼が消えてしまう、という事も。

「とにかく、そういう事だから。帰って」

 酷いと思う。心配してくれる友達を追い返すような事ばかりして。

「また、様子見にくるからね」

 それでも優子はいつも優しく去って行く。

 そんな親友の事を疎ましく思った事なんてない。でも、私は今はマナトのそばにいたい。




「はぁ、後800Mか」

 Mとはメガの略称で、つまり8億の事。

 まだまだ足りない。この半年で貯めたお金が2億。つまり5分の1にしかならない。

 最近は、朝迎えにくる優子に強制的に学校に連れ去られているから効率も下がった。わかってる。優子は私の為を思ってくれているって。だから、大人しく学校には行っている。

 でも、どうにかして効率をあげないと、マナトの病気を治す前にこのイベントが終わってしまう。近頃はそんな恐怖に苛まれるようにもなってしまった。

 一般的に特殊イベントの切り替えは半年らしい。だとしたら、私にマナとに残された時間は僅か。

 こんなんじゃダメだってわかってる。わかってるけど、半年で8億なんて無茶過ぎる…

 ぽたぽたと地面に落ちる涙を止められなかった。

 相変わらずマナトの咳は苦しそうで、その隣で背中を摩る事しか出来ない自分がもどかしかった。そんな無力な自分が悔しかった。

「くっそぉ…」

 拭っても拭っても溢れ出る涙。こんなところをマナトに見られたら、また心配かけちまう。



 ピピッ

 システム音が新着メールを報せる。

 ハンドジェスチャーのショートカットでメール画面を起動する。

 表示されたのは差出人不明のメール。


『TO:合成屋 マーニャ

 キミにピッタリのクエストを教えてあげる。

 キミの望む報酬が得られるものだ。

 受けるか受けないかはキミが決めればいい。

 クエスト受領はディルグリースのNPCジンガ。

 彼はギムルという鍛冶屋にいるよ。

 FROM: 』


 こんないたずら誰が…

 クエストなんて受けてる暇ねーっつーの。

 ただ、キミにぴったりの、という一文が気になる。

 どうぴったりなんだろう。まさか8億に足りるだけの大金が報酬、とか?

 このまま同じように続けてても、マナトの病気を治す事は出来ないだろう。

 受領自体は内容見てからでも決められるし、な。

 私はマナトが眠っている事を確認して、店のドアに『close』という札を下げた。




「やぁ、来たね」

 ジンガに話しかけると、早速クエストの説明が始まった。

「最初に報酬の話からしよう。このクエストを完了させたらキミは8億メルもの大金を手に入れる事が出来る」

 それを聞いて思わず立ち上がる。

「8億…それっ、マジか!?」

「ええ、本当です」

 それだけあれば、ぴったりマナトの病気を治す薬をを買う事が出来る。

「どんな内容なんだ?」

「私は鍛冶屋でね。ある幻の短剣を作りたいんだが、使う鉱石が少し特殊なものでどこにでも手に入るってもんじゃないんだ。だが、私は冒険などしたことがなくてね、それをキミに代わりに採ってきて欲しいんだ」

 実に鍛冶屋らしいクエストだな。

「私が求めているハブファ鉱石は、リーヴァ鉱窟の最奥にある。中には強靭な魔物もいる。キミに危険が襲いかかるかもしれない。それでも、行ってくれるかね?」


『Yes』 『No』


 目の前に表示された選択肢。

 そりゃあ、私だって戦闘には自信があるわけじゃねぇ。でも、一応ある程度のレベルはある。対人イベントに参加して準優勝ならした事があるし、死んでもまた、ダンジョンの前から何度でもやり直せばいい。

 迷わず『Yes』を押しにいく。

「ん?」

 選択肢の下に※ではじまる小さな注意書きがあるのに気が付いた。

『※このクエストは一度きり受領可能です。クエストダンジョン内で死亡した場合は、クエストが破棄され、拠点登録している街に強制転移されます。その際に、所持金や経験値に対するペナルティーはありませんが、このクエスト独自のデスペナルティーが存在します。詳細はこちらのウインドウを参照してください。』

 一度きり、か。何度死んでも生き返って再チャレンジっつーゾンビゲーは出来ないって事か。

 そして、示されたデスペナルティーの記述を読んで、息が止まった。

『・現在受領しているクエストの自動破棄。(一度破棄されたクエストはメインの進行に関わる場合を除いて再受領不可)』

 どくん。

 大きくなった鼓動が内側から身体を叩く。心臓が痛い。

 再受領、不可…

 それは、このクエストに失敗したら、私はもう二度とマナトに会えなくなるという事だ。

 もう、二度と。


「どうなさいますか?」

「ちょっと、考えさせてくれ…」



 夕暮れのディルグリース中央広場。

 大きな噴水の下で、ただ座り込んでいた。

 考える、とは言ったものの、頭なんてちっとも回らない。

 クエスト破棄って事は、事実上のマナトの死を意味する。私にとっては。

 このクエストを始めてから大凡半年。

 確かにマナトは既にいつ消えてもおかしくはない時期ではある。でも、だからって、私の手でこのクエストを終わらせる事なんて…

 お金がなくちゃマナトはどっちみち消える。

 そんな事はわかってる。

 だけど、残り少ないとわかっているマナトとの時間を、いつ終わるかもわからない、ましてや達成できるかすらわからない、そんなクエストの為に使うなんて…

「あれ?マーニャ?」

 私の前に影が落ちた。顔をあげると黒猫服を着た優しい笑顔。

「ゆう…」

「ラぁぁイトニングスロぉーッ!」

 ズガァァァァンッ!!

 優子が放った短剣が稲妻を伴って私に突き刺さる。タウンエリア内では、ダメージこそ受けないけど痛覚的にはかなり痛い。

「痛っっああああああぁっ!」

 そ、そうか、ここで|リアルネーム≪本名≫は厳禁だった…

「ご、めん…えと…」

 優子のアバター頭上にあるユーザーネームを確認する。

「ネコネ、か」

「え、ちょっと、私のキャラネーム覚えてくれてないの?あっきれたー」

 両手を腰に当てて顔を歪める。

 仕方ないだろ…ここにきて、すぐにマナトに会って、いっぱいいっぱいだったんだから。

「ほんっと、あんたってマナトしか見えてないのねー」

「悪りぃかよ…」

「別に悪かないけどさー。でも、なんでこんなとこにいるの?それに、いつもの元気はどこ行ったのよ」

「別に…」

「答えになってなぁぁい!」



 オレンジから藍色に変わる途中の街。ぽつりぽつりと点き始める街灯。明日の待ち合わせをして現実世界に帰って行く小さなプレイヤーたち。

 私がどんなに悩んでも、マナトがどんなに苦しくても、この世界でも時間は止まってはくれない。

「マナトが、もうすぐ消える」

 私の言葉をじっと待っていてくれる優子。

「そっか、もうそんなに経ったんだね」

「私、結局何も出来なかった」

 溢れ出る涙はデータの服の色を濃くしていく。

「学校も、友達も、何もかも失って、それでもまだしがみついて。私、馬鹿だ」

「そうだね」

 さっき説明を受けたクエストを目の前に表示させる。

「なに、これ」

「メールが来たんだ。私にぴったりのクエストがあるって」

「報酬…800M…!?」

「これを完了出来ればマナトの薬が買える。でも…」

「そっか。マナトかを残して行くのが嫌なんだ。もうすぐ期限切れだもんね」

「正直、迷ってる。聞いた事もないマップだし、レベリングもたいしてした事ないから、無理なんじゃないかって。そんな事より最後の瞬間までマナトといた方がいいんじゃないかって」

 クエストを受けて、もし失敗してこの街に帰ってきた時にマナトがいないあの店に帰るのが怖い。




「…臆病者」

 暗く、小さく、それでいて確実な怒気を含んだ声。初めて聞く、優子の声。

「あんたは、バカだ。大バカだ。臆病者だ。そんなのはただ、逃げているだけだ」

 繰り返し吐かれる罵倒する言葉。

 ごもっともすぎて、何も返せない。

「今のあんたはただ依存しているだけよ。NPCはあんたを否定しない。それに甘えてるだけでしょ。何が助けたい、よ。何が諦めたくない、よ。違うわ。あんたは、クエストの期限が切れてマナトが消えて、そん時に責める人がいないのが怖いだけじゃない。何もせずにマナトが消えたら、そんなクエスト作った運営を責める事が出来る。私のマナトを消したって。こんな事ならこんな無理なクエスト作らなければいいのに、って」

 そんなことは、ない。とは言えなかった。

「自分の意思で受けたクエストが原因でマナトが消える、破棄されるのが怖いんでしょ。そんな臆病者に、人なんて救えないわ。そんなくらいの気持ちなら、今すぐ自分で破棄しちゃいなさいよ」

 荒らげた息を落ち着ける事もせずに優子は喋り続ける。

 真剣な目で、こんなバカな私の為に。何度も追い返した、友達の縁を切られても仕方ない私なのに。




「そのクエストね、補填クエストよ」

「…え?」

「ある特定のクエストにだけ存在する、救済措置。元クエストの失効期限が近くなった時に発生するものよ」

 そんなもんがあったのか。期限切れ間近なのに一向に完了出来る気配がないから、って事か。

「元々無茶なクエストなのよ。あんたがマナトにつきっきりの間に色々調べたの。この特殊クエストは、本来NPCによる店がない設定の|ノアーク≪この世界≫で、大型の店舗を構えたい職人の為のクエストで、店子にならないならやる必要のないもの。このクエストが終わって得られるものは店子としての価値があがる称号と、あの大きな店舗だけ。店子さんたちは通常店子専用ギルドからの援助を受けてこのクエストを完遂させているみたいね。メインストリートにあるペット屋、わかる?あそこの店主マリサさんも、似たようなクエストであの店を手に入れたらしいわ」

「職クエだったんだ…」

「そ。だから、あんたが完了させる意味は全くないの。店子の称号なんてあったって使わないでしょ」

 店子と呼ばれるこの世界で店を営む人たち用の称号は、それ以外の一般職、つまり剣士やら魔法使いやらにとっての有用ステータスがあがるものではない。

「そうじゃなくて、単純に助けたいなら行けばいいじゃない。私にはあんたが何を迷ってるのかわかんない」

「自分の手でマナトを消してしまう事になるかもしれない…」

「バカねぇあんた」

 いつもの優しい優子の声。

 まるで小さい子供をあやしている母親のような、包み込む暖かさを内包している声。

「失敗しなきゃいいんでしょ。私の親友は、そんなやわじゃないわ。大きくて怖い顔の男たちにも臆さない、かっこいい女よ」

「親友…」

「そうよ。行って来なさい。そして、このバカみたいな半年にケリつけておいで。もしマナトが消えてしまっても、私が待っててあげるから。まぁ、不服かもしれないけどね」

 そう言って悪戯っ子のように笑う。

 そんな彼女の、親友の笑顔に見送られて私は噴水を後にした。






「ここ、か」

 リーヴァ鉱窟最奥。

 途中のモンスターは然程強くはなかった。

 迷路のような地形もマッピングしながらうまく進めた。

 問題はここからだ。ここをしくじったら意味がない。

 慎重にいこう。

 光鉱石の柔らかい光の中、一歩一歩進む。

 剣を握りしめた手が緊張で汗ばんできた。

 コツ、コツ。と響く靴音が耳に響く。


「すげ…」

 それまでの細い一本道を抜けると、広い空間が目の前に広がった。

 壁や天井全体が良質の光鉱石で出来ていて青く光り照らしている。真っ青な、まるで海の中にいるような錯覚をも覚える程の幻想的な光景に思わず息を飲んだ。

 辺りを見渡すと、一番奥の壁に一際濃い光が見えた。目的のハブファ鉱石は、あそこだ。

 おそらくは、あそこに辿り着くまでに大型のモンスターが出現するのだろう。

 何もなく持って帰れるはずがない。

 直線距離50メートル程で辿り着くその壁に迂回しながら近づく。道中にスイッチ式の爆弾を設置しながら。

 ハブファ鉱石から半円を描くように万遍なく設置し、いよいよ鉱石に向かう。

 モンスターは、出ない。

「なんだ、拍子抜け。脅しかよ」

 紡いだ声が震えている。とんだお笑い種だ。


 鉱石の近くにくると仄かに温かい。

 熱を含む光鉱石か。鍛冶屋が欲しがるわけだ。しかも青。それもこんなに濃い青だ。この鉱石から作られる剣は相当な焔剣になるだろう。

 そっと手を当てる。システムウインドウがアイテムの確認を促してくる。

 確かに、間違いない。後は帰るだけだ。

 アイテムインベントリにハブファ鉱石が入っている事を確認して、脱出結晶を取り出す。

「ディルグリース」


『そのアイテムは使えません』


 やっぱりか。少し面倒くさいけど、歩いて帰るしかないか…

 と、部屋を出ようとした時に、後方で小さな爆発音が聞こえた。

 振り返るとそこには、さっき設置した爆弾全てを下敷きにする程の巨大なモンスターが、鋭い牙を見せつけるかのように欠伸をしているところだった。

「で…」

 ダラダラとだらしなく滴る涎。赤茶色の醜い体。顔の中心にはブタのように大きな鼻があり、そこからも何かが滴っていた。

「でけぇーーーーーっ!」

 思わず叫ぶ。

 こちらを睨む目は黄色く濁り血走っている。

 どどどどどどうしよう…

 爆弾でダメージを与えて怯ませて、という作戦は完全に失敗している。

 奴は爆弾があった事にさえ気付いていないようで、ダメージを感じている様子はない。

 視界端に現れたエネミーHP(体力)バーも全く減っていない。

 こんな奴、本当に倒せるのか…

 試しにさっきドロップした毒薬を投げてみる。

 パシッ

 受け取られた。そして奴は飲んだ。ガラス瓶のまま。食べて、飲んだ。

 グオッオオオオッグォッ

 たぶん、笑っているんだろう。むかつくやつだな。

 HPバーは、やはり微動だにしない。

 さて、どうしよう。

 余裕をかましているのか、奴が動く気配はない。

 このまま後ずさって、細い道に逃げ込めばアイツはあの巨体だから追ってこれないのでは…

 そろーっと足を後ろに動かす。

 一歩、二歩、もうすぐだ、という時にガシャアアアーーーーン!と激しく響く金属音。

 恐る恐る振り返ると、出口に鉄格子が降りていた。

「…まじか」

 と思ったのも束の間、向き直った時に見えたのは奴がこちらに向かってきている様。

 ゆっくりと体を左右に傾けながらの二足歩行。

「ひぇ…」

 本格的に絶体絶命の予感。

 一歩一歩、奴が歩くたびに地響きが起きる。

 ビリビリと肌で感じる恐怖。私をただ『食べ物』としか見ていない目。

 こんな奴に、勝てっこない…。

 ほら、もう一歩、また一歩。近づく度に大きくなっていく振動。

 そしてついに、奴は私の目の前で止まり、大きな咆哮と共にその拳を振りかざした。

 反射的に逃げる。

 ドゴォォォーーンッ

 さっきまで私が立っていたところに、大きな穴があく。

 こんな力の差、絶対に無理だ。

 飛んできた細かい石が体に当たり、私のHPバーを削っていく。


 向かってくる。逃げる。

 ただその繰り返しをどれくらい続けただろう。

 相手の行動パターンが大体掴めて来た。

 だからと言って勝算はこれっぽっちもない事に変わりはない。

 でも、死ぬ事もない。

 ちまちまと攻撃はしているものの、表皮が固すぎてちっともダメージを与えられていない。

 毒も効かない。外からも利かない。と、なると内側から刺すしかないわけだけど…

 こんな臭そうな奴の体内には入れたとしても入りたくない。というか入ったら即死だろ。

 内側に爆弾を仕込む、というのはどうだろう。

 だが、どこから。

 逃げながら頭をフルに働かせる。

 口はダメだ。閉じられるか、噛み砕かれる。

 だとしたら、

「鼻か!!!」

 狙いをつけて、手榴弾を鼻に投げ込む。

 一瞬むず痒そうな不思議な表情をする。そして、爆発音。

 グオオオオオオオオオォォッ

 鼻を押さえてうずくまる。

 HPバーは

「よし、減ってる!」

 これで勝機が見えた。

 焦らずに行こう。時間をかければ必ず勝てる。

「ん?」

 奴の顔色が真っ赤だ。元々赤茶の表皮ではあるけど、今は夕日のように真っ赤だ。

「あれ、怒ってらっしゃる…?」

 そりゃそうだ。誰だって鼻に爆弾を詰め込まれたら怒る。私だったら正露丸でも怒る。

 エネミーHPバーの横にバフ(追加効果)が表示されている。

『激怒』

 激怒の効果は…速度3倍、攻撃力15%上昇、判断力50%低下。

 じょじょじょじょじょ、冗談じゃない!

 ドゴォォォーーンッ

 速い。避けきれるかなりギリギリのスピードで振り下ろされる拳。

 こんな状況じゃ狙いを定めるどころか爆弾を投げることすら難しい。

 それにこっちの体力ももたない。

 ドゴォォォーーンッ

 飛び散る石礫はさっきの比じゃない。徐々にこっちのHPがなくなっていく。

 ドゴォォォーーンッ

 逃げ回ってへとへとになり、頭ももう回らない。

 終わりか。ここまで来たのに…。


 痛覚刺激が怖くて、一撃を食らわないように体が動く。

 だけどそんなもの、ただの逃げでしかない。

 ドゴォォォーーンッ


 怖いという感覚もだんだんと薄れていく。

 もう、いいんじゃないか。

 私はがんばったじゃないか。

 ドゴォォォーーンッ


 慣れない冒険に来て、見知らぬダンジョンでたった一人、ここまで辿りついた。

 脳裏にマナトの弱弱しい笑顔が浮かぶ。

 ねぇ、マナト。私がんばったよね。

 ドゴォォォーーンッ


 マナトは私を否定しないでくれる。

 例えここで諦めても、きっといつもの笑顔で許してくれる。

 だったら、それでもういいんじゃないか。

 ドゴォォォーーンッ


 疲れた。もう、疲れた。

 足も感覚がない。細かい沢山の傷から血が出ている。

 マナト、ごめん。

 私あんたを助けられなかった。

 ドゴォォォーーンッ


 もう、このゲームにもこない方がいいかもしれない。

 私には向いてなかったんだ。

 待っていてくれる人も、もう消えてしまう。

 ドゴォォォーーンッ


 もう、諦めよう。

 止まる足。もう逃げる事すら出来ない。






『ばっかじゃないのあんた!!!!!!!』





 これは…優、子?





『私の親友は、そんなやわじゃないわ』



 こんな私を、尚親友と呼んでくれる。



『大きくて怖い顔の男たちにも臆さない』



 あんなNPCまがいなバカな男たちよりも、よっぽど感情を込めて叱ってくれる。



『かっこいい女よ』



 そうだ。優子と、約束したんだ。



『私が、待っててあげるから』



 不服なんかじゃない。

 帰らなきゃ。このクエストを成功させて、帰らなくちゃ。

 優子にたくさん謝らなくちゃ。



 ありったけの力を手に込める。

 もう逃げるのは間に合わない。

 だとしたら、迎え撃つしか手はない。

 大丈夫。私の剣は、鍛冶屋である優子が打ってくれた剣だ。

 信じろ。自分を、親友を!

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

 恐怖を振り払うように叫びながら奴の懐に飛び込む。

 一撃で『激怒』を引き起こしたなら、コイツの弱点はおそらく爆発。ならば

「イラプションーーーーーーーッッ!」

 大きな鼻穴に剣を突き刺し、自身のSP(スキルポイント)の8割を使うボイススキルを発動する。

 剣身が赤く燃えるように光る。そして起こる大爆発。

 術者自身にも反動でのダメージがくる大技。

 残り少ないHPを回復している暇はなかった。が、相打ちでも良い。

「っく…」

 爆風と爆振動で吹き飛ばされそうになり、必死で奴に突き立てた剣にしがみつく。

 視界が真っ白になり、目を閉じる。

 だんだんと体から力が抜けていき、地面に倒れこんだ。

 終わった。

 やっと、終わったんだ。







「……っと…」

 あちこち痛い。

 ひりひりして、体が燃えているような気がする。

「ちょっと…!」

 これは、優子の声。

 ああ、強制転移か。私たぶん、負けたんだ。

 やっぱりあんな一撃くらいで倒せるような相手じゃなかったんだ。

「ちょっと!マーニャ!いつまで寝てんのよ!薬屋、閉まるわよ!!」

 薬屋…?何を…言ってるんだ?

「いい加減起きなさいってば!!!!」

 バッチーーーーン!

 頬に強烈な痛みが走って思わず目を開ける。

 そこには、優子と、マナト。

「…え?」

「あ、起きた」

 にっこりと笑う優子。手には…

「ハブファ鉱石…なんで」

「何でってあんたが取ってきたんじゃない」

 受け取ると仄かに温かい。本物だ。

「どうしてここに、死んで、強制転移じゃ…?」

「バカね、運んできたのよ。私とマナトが」

「キミは石持ってただけだけどね」

 意地悪そうに笑うマナト。いつもより元気そう。

「大事なもんでしょ!丁重に扱ったのよ」

「じゃあ…」

「クエスト、完了報告いっといで」

「う、うん」


 二人に送り出されて街に出る。

 本当に、私が倒せたのか?

 手に納まっている鉱石を見る。

 濃紺に輝くそれは、まるで勝利を称賛しているようにも見えた。





「おおおおお!確かに私が求めていたハブファ鉱石だ!まさか、本当にやってのけるとは」

 システムによる定型文の賛美を浴びて尚、現実感が掴めなかった。

「これが報酬だ」

 受領確認ウインドウが開かれる。8億。本当に、8億だった。

 合計して私の所持金は10億メル。これでマナトの薬が買える。

 傷だらけの体を引きずって薬屋でイベントアイテム『虹結晶の雫』を買う。

「毎度あり~検討を祈るよー」

 手にした薬は透明なガラスの小瓶に入って虹色に煌いている。

「こんなものが10億…よっぽどぼったくりだぜ」

 でも、これで…





「こんな高い薬…」

「いいから早く飲めよ。代わりに飲んじまうぞ」

 蓋を開け、口に流し込む。

 マナトの白い喉が動き、瓶の中身が減っていく。

「どうだ?」

「ん、んー」

 首を傾げ、「よくわからない」と笑うマナト。

「ったぁー、なんだよそりゃあ!」

「でも、キミの気持ちがとても嬉しいよ。でも、僕なんかの為にこんな無茶しちゃだめだ。キミは女の子なんだから」

 お前の為じゃなかったら、こんな事してねぇよ。

 とは言えず、顔を逸らす。

 これでクエストは終わりのはず。

 マナトは消える。

 でも、これでよかったんだ。





 数日後。

 ディルグリースの中央広場で優子と落ち合った。

 あの日の深夜に静かに消えていったマナトから、ボイスメールが届いたからだ。

「それでー?なんだってー?」

「ニヤニヤすんな。まだ聞いてねーんだよ」

 ウインドウを開き、再生を押す。




『こんにちは。

 キミがこれを聞いている頃には、僕はもうこの世にはいないんだろうと思います。

 あの薬は、実は治す薬ではなかったんだ。

 僕の病気はもう治らないところまで進行してしまっていた。

 だから僕は決めたんだ。死のうって。

 でも、僕のあの店を、がんばって建てたあの店を手放さなくてはいけないという事が心残りだった。

 そんな時、あの雨の中でキミに会ったんだ。

 キミなら、僕の店を立派に継いでくれるって確信した。

 だkら、キミにあの店をたく…mす。

 僕はもう消えてs…うけd…僕の心はいつm…みsといss…

 あrがt…キミは僕n…んだ。

 僕n…大s…な

 …kの…t…切n…

 まn…b…のた…tな…k…

 まn

 b…t…s…………まn…』




「ねえ。この最後、マーニャって聞こえない?」

 なぜかデータの破損が激しいそのボイスメールは最後の部分を繰り返して再生している。

「そんなわけねーよ。あいつはNPCだぞ」

「そうだけど、でも…」

 聞こえる。私にもそう聞こえるんだ。

 名前を呼んでくれるはずがない、マナトの声で、私の名前を呼んでくれている、そんな気がするんだ。


 ステータスを開くと、新しい称号が表示されている。

『マナトの心』

 ちっとも有用なステータスはないけれど、私はそれを設定した。

 これで、私のノアーク生活の第一章がやっと終わる。

 そしてこれからは、マナトの心と一緒に新しい冒険をしていこう。

 マナトが呼んでくれたこのキャラクターネームで、ずっと。

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