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Still,  作者: ラヴィ太
1章
8/20

第7話 ~ただいま~

「平井さん、岸間先生。大変お世話になりました」


 朱里は丁寧にお辞儀をして、感謝の意を示す。

 顔を上げると岸間はうん、と頷き次の言葉を継ぐ。


「何か違和感を感じたら、すぐ連絡して」

「はい」



 西本誠が訪れた翌日に行った精密検査のオールグリーンを経て、更に翌日、朱里は晴れて退院する運びとなった。

 緩やかなそよ風と、真っ青な快晴は祝福の門出。天気予報では雨だったはずが、今このときのためだけに雨雲はちょっとした気まぐれを起こしてくれたようだった。

 朱里の隣には母の彩乃(あやの)、対面には平井と岸間が居る。二人は退院する朱里を病院の玄関口まで見送りに来ていた。



「本当に何とお礼を申し上げて良いか……」

 彩乃はしきりに頭を下げながら、恐縮した態度をみせていた。それを制するように岸間は片手で手を横に振った。

「いえ、私は何もしておりません。元々ほぼ無傷でしたし」

 そこで岸間は、隣にいる平井が一言も発しないことに気づいて声を上げる。

「どうした、平井」



 その声に誘われるように、朱里は意識を傾けた。



「ふ、藤宮さん……っ」



 平井以外の一堂全員がぎょっ、と目を剥く。

 見れば、彼女は大きな瞳一杯に涙を浮かべていた。



「いつでも戻ってきてくださいねっ」

 はっし、と朱里に抱きついて涙声。

「あらあら。すっかりお気に入り」

 突然の衝撃と掛かる重力に、よろめきそうになりながらも踏みとどまった。ふわり包まれた胸の中でむにゅりと柔らかい感触がする。どう反応してよいか分からず、朱里は困ったように笑うしかなかった。



 そして朱里は思う。自分は何か彼女にしてあげたことはあっただろうか、と。

 在りし日に記憶を巡らす。やはり自分は与えられてばかりで、それ以外の答えは見つからない。それでもたった数日という短い期間であるのにも関わらず、こうして別れを惜しんでくれるのだ。

 知らず平井の背中を彼女は宥めるようにさすっていた。



「こらこら、滅多な事言うもんじゃない。戻るだなんてまた事故れってことか? 縁起でもないぞ」

 そう言う岸間も苦笑いで、彩乃へ向き直って更に補足をする。

「一応経過も気になるので来週辺り一度来てください」

「はい。そうさせていただきます」



 さすっている手を止めると満足したのか、平井は身体を朱里から離した。彼女は鼻をすすりながら、目じりに浮かんでいる雫を人差し指で拭う。そこに溜まった、どんよりとした悲しみも一緒に吹き飛ばすかのようだった。

 平井の手を両手で包みながら朱里は言う。

「ほら、平井さん。また遊びに行きますから。そしたらあの食堂で一緒にご飯食べましょう?」

 その様子に朱里は思わず元気付けたくなったのだろう。

 彼女の言葉に平井は、瞳を濡らしながら笑った。うんうん、と声にならない返事を繰り返していた。

 


 建物の外。朱里は彩乃と並んで歩く。後ろを振り返ってみた。そこには未だ手を振り続けている平井がいた。

 びゅ、と刹那的な風が吹きぬける。はためく髪を押さえながらぶんぶんと振り返してみる。すると更に強い力で振り返される。終わらない無限の応酬に腕が疲れそうになる頃、既に先を行っていた岸間が玄関口まで戻ってきて、彼女を引っ張っていった。





 家へは電車で二駅移動し、下りてから徒歩六分の位置にある。その道中、彩乃は何かを見つけては朱里に絡む思い出話をしてくれた。出来るだけ頭にその場面が浮かぶように、時折懐かしむような目をしながら、けれど丁寧に話してくれた。


 この公園で――。

 あの曲がり角で――。

 その書店で――。


 しかし、どの話をされても、朱里は首を横に振ることしか出来なかった。

 彩乃なりに早く記憶を取り戻して欲しいのだろう。少しでも情報を、押し込められた記憶を、薄れている情景を思い出してくれれば。そんな願いが込められているのだと朱里は思った。だからこそ、彼女なりの思いに応えることが出来なくて朱里は胸を痛めた。

 せめて、というわけでは無いが朱里は時には質問も交えて、真摯な心で相槌を打った。




 やがて大きな道に出た。多くの車が忙しそうにすれ違う。

 朱里が前方に視線を移すと横断歩道があり、その先には路地が見えた。家はあの路地の奥だろうか、と彼女は何となく思った。

 歩行者用の信号が、丁度赤から青に変わったところだった。さっさと渡れよ。すぐ赤に変えちまうぞ。そう言わんばかりの様相で突っ立ってる信号を認めて、朱里は歩を進めようとした。その時だった。



 「あ……」



 朱里は自分でも知らぬ間に、胸の鼓動が早まるのを感じた。

 今まで通ってきた道は、全く知らないが故に漠然と脳を通り抜けていた。しかしここはどうだ。この道路に出た途端に言い知れぬ胸騒ぎに似た、ざわついた感触がこびりついて離れない。

 自分はここを通ったことがあるのだろうか、と思った。しかし彼女はすぐにその考えを打ち消した。駅から自宅への通り道ならば、通った事が無いはずがなかった。



 もやもやするこの感情の説明が出来なくてひどく気持ち悪い。

 気づけば俯き気味の姿勢。いつの間にか軋み出していたこめかみの奥。鼓動がどくんどくん、と脈打つ度に痛覚が何かを訴えてくる。



 知れ。掴め。思い出せ。

 深層心理による水底からの直訴。表層心理はそれを押し留めようとするかのように反発を示す。そして両者の鍔迫り合いによって、痛みは更に増幅されていく。



「くぅ……っ」



 ぷるぷると膝が震えた。

 彼女は自身で折れる膝を脳裏に思い描いた。視界に靄が掛かり意識が遠のきそうになる。その瞬間――。



「ここは危ないから、さっさと行きましょう」

 その声へ引き寄せられるように、視界が正常に戻っていくのを朱里は感じた。気が付くと、彩乃に手を連れられて歩き出していた。

「え? ちょ……」

 予期せぬ運動に足がすくわれそうになりながらも何とか歩幅を合わせた。

 子供じゃないんだから、と繋がれた手を振り払うことも出来た。けれど思い詰めたような表情できっ、と前を向いて足を動かす彩乃を見ると何も言い出せなかった。

 彩乃に連れられて道路から離れていくたびに、朱里の頭痛も薄れていった。





 二人は道路を渡り、車一台半ほどの幅がある路地へ姿を消した。

 道路脇には白を基調とした綺麗な花がそっと添えられていた。騒々しいエンジン音とすえた排気ガスの臭いの中、何もない砂漠に咲く一輪の花のようにそれは健気に咲いていて、もの悲しい景色を醸し出す。緑色のつぼみも混じり、それは一層の虚しさを増していくようだった。ゆらりゆらりと風に揺れる。

 それは止むことなく、揺られ続けていた。個人を偲ぶように――故人を尊ぶように――。





 駅から数分の住宅街の一角。一帯には似たような家々が立ち並んでいる。

 華奢な首を動かして小奇麗な外観を見上げた。そして朱里が見上げるそこには、2階建ての一軒家が我が物顔で構えていた。

 その建物は真っ白い外壁に灰色の屋根があり、二階にはいくつかの窓が見える。シンプルかつ機能的デザインで、住むには最適な環境といえた。





「ここが、私の家……?」

「えぇ」当然でしょ、と彩乃は腰に手を当てて不敵な笑みを添える。

 彼女は人間二人分程度の幅を持つ門に手を掛けて、外側に押し開いた。乾いた音を鳴らしながら門が開かれる。その音と共に彼女は玄関のドアへ向かい、振り向きざまに朱里を手招く。

「何しているの? 早くいらっしゃい」

「あ、うん」

 呼ばれた朱里は生返事一つ、母へ駆け寄った。



 朱里は緊張していた。いくら自分の家だ、と言われても初めて赴く地を無心で踏み入ることは難しい。どうしても高鳴る胸を意識してしまう。

 そんな胸中など知る由もなく、彩乃は淡々とバッグから取り出した鍵で扉を開いた。無機物な回転音が耳朶に響く。





 開けたその先には玄関が広がっていた。隅には木製の下駄箱。見回すと赤いピンヒール、編み込みの黒いブーツ、カジュアルなスニーカー等、様々な靴が散らかっていた。それでも尚、十分にあるスペースは数組の来客には耐え得るのだろう。その先にはフローリングの廊下とリビングへの扉がある。

 廊下とリビングの間には2階へ伸びる階段があった。



 彩乃は電灯のスイッチへ手を伸ばした。日差しのみだった薄暗い玄関を、オレンジ色の照明が明るく照らす。

 彼女は廊下の奥へと進み、リビングへの扉を開けるために手を掛けようとし、そこで手を止めた。未だ玄関の入り口で惚けたようにその仕草を見ていた朱里は、そんな自分にはっと気づき自分も家へ上がらなければと思い、足を一歩踏み出した。 




「朱里。何か言うことは無い……?」

「えっ?」



 唐突に始まった質問調に朱里は複雑な表情をした。彼女は脳内のデータベースへ検索をかけたが、何も引っかからなかった。

「ほら、帰ってきたら言うことあるじゃない」

 しっとりとした笑みを浮かべる彩乃。とても慈愛に満ちた優しい目で朱里を見つめる。

 あっ、と朱里は何か思いついたように口をついた。

 


「ただいま」

「うん、おかえりなさい」


 言うべきことはごく当たり前の事だったが、朱里は難解な答えを想像していた。

 外から見た外観は、まるで家自身が自分を招き入れたくないように、頑なに扉を閉ざしていると思い込んでいた。けれどそれは、臆病な彼女自身が作り出した幻想。

 朱里の声に目を細めて一層笑みを濃くした彩乃の笑窪。それを見て朱里は嬉しくなった。そして、自分はここに足を踏み入れていいのかも知れない、と思った。




「あ、ねぇ。この玄関あんまり綺麗じゃないよね……?」

「あら。冗談が言えるようになったのね」

「うわぁ。逃げたよ」

「その内掃除するわ」

 彩乃はくすくす、といたずらっぽく微笑んだ。




 朱里の背中を、柔らかな春の日光が後押ししてくれる。肩を隠している長い髪に暖かみを感じながら、玄関をくぐった。

ども。作者です。


やっと退院しました。

それと母に名前が付きました。

最初は"母親"という表記で物語を進めましたが、それじゃいかんだろ、と思い直しまして。それに合わせて、名前の部分のみ第二話を修正しました。


ここまでお読みいただきありがとうございます!

次回以降も気が向いたらでよいので、お付き合いいただければ嬉しいです。

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当作者の短編です。「Still,」との関連性はありません。
お時間ある時にでも、覗いてやってくださいまし。
わたしとケイと彼とサクラ

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