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Still,  作者: ラヴィ太
1章
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第4話 ~飛散する破片~

「ところで」

「はい」

 話題を逸らす意図はなくとも、朱里は聞いてみることにした。今の朱里には必要なことだった。

「その、えっと、何で……わ」

「わ?」



 そこで一旦、言葉が不自然に切れた。

 不思議そうに見つめている平井の視線を受けて、朱里はしどろもどろになった。そして朱里はいった。



「あの、何で私は病院にいるんですか?」

 やっと聞けた、と思った。ここに辿り着くまでに長い道のりだったように思えた。

 もう一つ胸のつっかえが取れたと思ったのは、自分の一人称についてだった。先ほどの不自然な途切れは、自分を何と称していいのか迷ったためである。

 朱里は外見上、間違いなく女性だ。通常であれば”私”が妥当である。しかし、朱里はどうしても自分が生粋の女性という感情を抱けなかった。結果として”私”という言い方に躊躇いが生まれた。

 今は他人に対して不自然なく振舞いたい、という思いが優先され”私”を使用した。




 問われた平井は意外そうな顔をして、朱里を見た。

「え? まだ知らなかったんですか?」

「は、はい……。先生も家族も教えてくれなかったんです」

「そうなんだ」

「多分……ですけど。 言うタイミングが無かったというか、他にもっと大事なことがあったというか」

 平井がどうしようかな、と漏らしたのが聞こえた。

 静寂の帳が降りる。その口火を切ったのは朱里。

「隠さないでください」

「え、いや、隠そうとしてるわけじゃなくて……あんまり私も詳しい事は知らないから、無責任な言葉になっちゃうかもって思ったんです」

 朱里の懇願するような上目遣いを前にして、顔を赤くした。朱里が生活していく上の人格形成で、したたかさを持つようになった場合、こうして手玉に取られて貢ぐ男が増えていくのかも知れない。



 平井は観念したように溜息を一つ付き、分かりましたといった。

 彼女は「私も詳細は聞いてないけど」と、先ほどと同じ意味の前置きをした上で、説明を開始した。



「藤宮さんは、交通事故に遭ってウチの病院に搬送されたんです」

「交通……事故」

 朱里の息が一瞬止まる。

 それは不吉な響きを孕んだ単語。

「はい。これは周りの目撃証言や事故現場の捜査から導き出されたものなんですけど、最初は男性がトラックに轢かれそうだったらしくて。それで藤宮さんは、その男性を助けようとして車道に入ったって聞きました」

 朱里は視線を床に移した。

「自分に……そんな――」

 続いた音は己を過小評価する言葉。




 平井はその言葉に何も返そうとはせず、悲痛な面持ちのまま、説明を続けた。

 目撃者の証言によると、助けようとはしたものの、朱里は男性に突き飛ばされそのまま頭を打ったらしい。それは事故に巻き込まないために仕方なかったようにも見えた、と証言者は言う。それでもトラックの車体は大き過ぎたため、二人とも巻き込まれてしまった。



 そして朱里は問う。口調には動揺の色を湛えて。

「そ、それで、その男性はどうなったんですか?」

「……お亡くなりになりました。全身を強く打っていて、とても病院まではもたなかったそうです」



 朱里は血の気がさっ、と引くのを感じた。






  お亡くなりに、







                 り亡く におな、






    お な、りに亡く






                            く なお亡 り に





 ぐるぐると言葉が頭の中を全速力で駆け巡る。それらは遠心力でバラバラに分解された。脳全体に行き渡った呪詛のような言葉達は、やがてナイフのように変形して心を抉り始める。



「それって、私が助けられなかったから」

 震えた声で朱里は唇を動かした。

 それは誰に向けての言葉だったか。



 朱里は瞳を潤ませた。まるでこの世の終わりを嘆くかのような様子だった。それを見て、平井は苦虫を潰したような表情をした。

 今現在記憶が無いからといって、元々は見ず知らずの人を身を挺して助けようとする少女だった。その彼女が受けるショックなど、推して然るべしだったのだ。



「藤宮さん、それは、違います」

「だ、だって」

 平井はゆっくりと、染み込ませるように否定の意を口にした。


「事故なんだから、藤宮さんに責任なんてあるわけないじゃないですか」

 朱里からの反応は無い。壊れた人形のように生気の無い目をしていた。


 平井は優しく語りかけるように言う。

「貴女は偶然事故に巻き込まれた患者さん。今は治療に専念しましょう? そんなに思いつめていたら、治るものも治らなくなってしまいます」

 かたっ、と足音がする。平井が一歩進んだ。

 朱里は静かに顔をあげた。

「ね?」平井は朱里の肩に両手をそっと置いた。

「私、やっぱり……どこか悪いんですか?」

「まだ分からないです。先生が診たところ緊急性を要する怪我はありませんでした」

「そう、ですか……」

 朱里はまだ納得がいかない様子だったが、平井はこれ以上フォローのしようが無いと悟ったのか、それ以上は何も言わなかった。




「さて、そろそろ朝ご飯の時間です」

 平井は意識するように明るく言った。少なくとも、食事という行事は楽しいものでなければならない。人の気持ちの浮き沈みに何かしら原因があるとして、その原因が何であろうと人としての基本『衣食住』の精度を高めるのは、その原因を減らす基本的なファクターとなりえるのだから。




 この病院での食事は二通りに分かれる。

 一つは患者が食堂まで足を運び、既にテーブルへ用意された料理を食べる。

 病院の場合、怪我や病気をしていることが『患者』を『患者』たらしめる要素の一つだ。そのため食堂まで移動が出来ない者もいる。

 勿論、検査入院というだけで、実際は五体満足な全くの健常者も混じっているが。

 対して、食堂まで移動が困難な場合は、病室まで食事が運ばれてくる。大きな滑車台に何セットもの食事を載せ、担当看護師がいくつもの病室を尋ねて歩くのだ。

 朱里の場合は食堂まで行って食事をする。



 そういえば、と平井は思い出したように朱里へ声を掛ける。

「藤宮さん。食堂までご案内しますね」

「あ、はい」

 そわそわと朱里は落ち着かない様子で、辺りをきょろきょろと見渡す。それに気づいた平井は、まだ先ほどの件で気落ちしているのだろうか、と心配そうな声を上げた。

「藤宮さん、どうかしましたか? 何か気になることが……?」

「大したことじゃないんですけど」

「けど?」 もじもじと、妙に恥ずかしそうに視線を逸らしながら朱里はいった。

「お手洗いの方を、先に案内してもらえると嬉しいです」

「あっ」

 手の平を口に添える仕草をしながら、平井はしまった、といった。

「すみません、気が回らなくて」

 慌てた様子で平井は謝罪を口にした。


 


「こちらです」

 案内されたトイレの前。そこには女子用のアイコンが描かれている。


 (やっぱり、女子用トイレだよね……)


 どうしてこんなにも違和感を覚えるのか。朱里は余計に自分が分からなくなる。

 すみません、と言って朱里は中へと入った。



 中へ入ると壁に掛かっている正方形の鏡と水場が目に入った。蛇口部分は手動ではなく、センサーによる自動式だった。

 横には個室が八つほどあり、無機質なドアが二つ閉まっていて、中に人がいることを教えてくれる。

 朱里は空いていた一番奥へと歩を進めた。個室に入り施錠をした。かちゃり、と安心を知らせる音がする。

 しかし便座を前に朱里は困惑した。どうすればよいのか。


 (何でドキドキしてるんだろう)


 いや、分かってる。患者服のパンツと下着を下ろして座ればいいのだ。頭では理解している。

 パンツに手を掛ける。下着が(あら)わになる。

 当然ながら、このような下着を履いた覚えは無かった。自分で履いたのでなければ、誰かに履かされたのだろうか。そう思うと顔から火が吹きそうになる感覚に襲われる。



 下着の端と端を指に通そうとした。通ってしまえば、後はそれを下に引き下げるだけ。しかし、焦って上手く指が通らない。



「んッ……。何で……ッ」



 それきり朱里は動きを止めてしまった。同時に時も止まったかのようだった。

 目を閉じた。視界は真っ暗闇の世界に堕ちた。

 停滞した時間(とき)の中で、彼女は先刻聞いた事故について思い出した。



(本当に自分は助けようとしたのかな。実際に直面しても……きっと怖くて、ぶるぶる震えて、ただただ観ているだけで、それを見届けた後にあまつさえ逃げ出すんじゃないかと思うのに……。)



 閉じたままの瞼で想像してみた。けれどイメージは定まらなかった。

 銀色の機械じみたトラックらしき物体は、顔にモザイクの掛かった青年に向けてひた走る。それは音もなく衝突し、筐体の破片を飛散させながら黒い煙を上げた。赤と黒と銀と褐色の肌が入り乱れて交ざり混ざる。

 それらは曖昧な映像しか映さず、やはりそこに自分はいなかった。



 朱里は諦めたように瞼を開いた。個室を照らす薄暗い灯りが視界に入る。

 「まるで他人の身体みたい」静寂に耐え切れなくてつい口に出してしまった。

 更に気恥ずかしくなって、周りをきょろきょろと見回してしまう。緩い癖っ毛が左右に揺れる。当然ながら誰もいなかった。



 気を取り直して首を下に向けた。

 そこには飾り気の無い純白の下着がちょこんと鎮座している。



「藤宮さん、大丈夫ですか? 具合悪くなったりしてないですか?」



 突然ドアの向こうから心配そうな声がした。


「……ッ!!」


 はっとした朱里は顔を上げた。急な問いかけに心臓が跳ね上がる。

 びくついた心で疑問に思う。何故、この個室にいると分かったのだろうか。

 


 胸を押さえながら深呼吸をした。少しだけ落ち着きを取り戻す。

 朱里にはこの個室に入ってから時間の感覚が無かった。もしかしたら随分と時間が経ってしまっていて、何かあったのかと様子を見に来たのかも知れない。

 大丈夫です、と返そうとして思いとどまり、こんこんと2回のノックで返した。安心したのか、足音が遠ざかっていく。

 そうしてまた目下の難題へと取り掛かる。



 両手にはじわり、と手汗が滲んでいた。

 どうしても最後の一線が越えられない。

 しかし、いつまでもこうしてはいられないと朱里は思った。

 覚悟を決めて、えいっ、と可愛く気合一線。



「うぅ……」



 朱里はたじろいだ。そこには赤の他人であれば間違いなく見れないであろう景色。

 自分のモノなのに他人のモノの様な気がする。転じて、見ているのは自分なのに、他人に見られているような気もする。訳の分からない思いが交錯して、また体温が上がった。



 しかしそこからは早かった。なるべく見ないようにして素早く用を足す。滴る雫の音さえも、誰かに聴こえてしまうのではないか、と要らぬ心配までしてしまう。

 解放感に満たされて何ともいえない気持ちになった。

 下着を上げかけたところで、局部周辺に不快感を感じた。少し考えて備え付けの紙で丁寧に拭いた。



 火照った身体で個室を出ると、空いている窓から風が入ってきた。今の朱里には心地良い。

 周りに視線を通すと、やはりそこには平井の姿は無かった。溜息を付きながらこの先に待ち受ける、暗い未来を思った。一度の排泄にここまでの時間を掛けてしまっては、気疲れで倒れてしまうのではないかと危惧してしまう。




 手を洗ってから、再度トイレ内全体に目を遣る。他の個室は全て空室となっているのに気づいた。

ども。作者です。

ここまでお読みいただいてありがとうございます。

また、お気に入り登録していただいた方も、ありがとうございます。(ペコリ



さて。

『小説』というものは文字のみで内容を伝えるものですね。どの小説でも筆者が描いた世界を五十音表のいずれかに変換し、読者はそれらを読み解き、更に脳内妄想によって情景を膨らませていくと思います。通常そこに絵という補助機能は存在しない。

まぁ、ライトノベル等には挿絵が付いてある場合もありますが。

(※ラノベを非難する意図はございません。筆者も大好きです。)



今回のお話には、絵こそ付いていませんが視覚に訴えている場面があります。

お読みになった読者様であればお分かりになると思いますが、「お亡くなりに――」の部分ですね。

朱里の脳内でぐるり回って浸透していく様なのですが、それをあのような手法で描いてしまいました。



冒頭で申し上げたように、文字で表現する世界の中であの書き方は邪道ではないか、という所感を抱く方もいらっしゃるかもしれません。

そしてその考えは間違いではないとも言えます。

それは筆者自身が描きながら疑問に思ってしまったからです。

故に「あんな描き方は邪道だ!」という糾弾があれば、甘んじて受け止めるつもりです。



では何故疑問に思いつつも、そのような描き方をしてしまったのか。それは――。









えぇ。

ただの遊び心です(^p^)


痛い、やめて!

石を投げないで!

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当作者の短編です。「Still,」との関連性はありません。
お時間ある時にでも、覗いてやってくださいまし。
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