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Still,  作者: ラヴィ太
1章
3/20

第2話 ~温もり~

明らかな視点変更がある場合は”-1-”、”-2-”といった形で、区切りを付けました。頻度は多くありませんが、今後も出現する場合があります。

 -1-



「あ……」

 目の前でポロポロと涙を流している女性を見て、少女は自分が悪い事をしてしまったように感じた。きりきりとした罪悪感の中で、今放った言葉はこの場には適していなかったのだと知る。それでも理由は分からなかった。



 突然の展開に思考が混乱へと陥る。彼女は言うべき言葉を捜したが、それは見つからなかった。

 握られた手に温もりを感じながら、母親の肩越しに目をやると娘と視線がぶつかった。やはり彼女の方も流れてはいなかったが、目頭に光る雫が溜まっているのが分かった。何かをじっと我慢しているような顔で、少女を見つめた。



「え、えっと」

 緊張で声が殆ど掠れていた。反射的に言ってしまった言葉だったため二の句が継げずに黙っていると、ついに娘の方がおずおずと口を開いた。



「ねぇ、本当に私達が分からないの? 冗談言ってるだけだよね?」

 試すような、何かを期待するような声。その期待には応えられない代わりに、少女は顔がを俯かせた。

 少女は空虚な空間を見つめたまま。それに呼応するように、重々しい空気が部屋を包んだ。長方形のテーブルにある置き時計の、秒針を刻む音がやけに大きく響く。



「何とか言ってよ! ねぇってば!」

 腕に鈍い痛みが走り、少女は思わず顔を歪めてしまう。一歩前に出た娘が、少女の腕を強く掴んだからだった。

「止めなさい愛華(あいか)」母親が悲痛な表情のまま、右手で娘を制した。出来ることならば、自分も一緒になって叫びたがっているのを無理矢理に抑えているようにも見える。

 愛華はその諭す声にも「だってぇ……だって」と、堪えきれなくなった涙を流していて、母親の胸に顔を埋めて嗚咽を漏らした。

 母の藤宮彩乃(あやの)は、愛華の背を優しくさすった。

 くぐもった声が響く度に、少女の罪悪感は比例して増すばかりだった。

 少女は顔を上げることなく、力無く自らの肩を抱いた。



 ひとしきりの沈黙を経て、やがて彩乃がそれを破った。

「とにかく、先生を呼んでくるわ。大人しくしているのよ」彩乃は部屋を出て行った。



 静まり返る室内。泣きはらして愛華は目が赤く腫れていた。

 少女はその様子が痛々しくて、これ以上見ていられなくて、その原因を取り除きたく思った。

「何故、泣いているの?」と、相変わらず掠れた声で問う。

 それを聞いた愛華は、問いに答えようと口を開きかけては閉じた。言いにくいのだろうか。組んだ指を胸の前に置いてモジモジとしている。やがて考えがまとまったのか、手を下ろしたながら少女に言った。


「一つ聞いても良い?」

「……うん」

「貴方は自分が誰か分かる?」

「そんな、自分が誰かなんて分かるに決まって……え?」


 数秒の停止。少女は考え込むように黙った。そして一言。

「分からない。」

 愛華は驚きの表情と共に口を閉ざした。少女は親子のことが分からない。それはその記憶が無いからだろう。では、少女は少女自身についての記憶があるのだろうか。


 

(分からない。自分は誰? 何者? 家族や友達は……? 自分の名前は? 家は? 分からない思い出せない)



「思い出せない」

 ぽつりと、けれど今までより一際大きめな声で少女が呟いた。そうしてまた小さく思い出せない、と空気を振るわせた。

 少女は頭を抱えながら小さく思い出せない、と繰り返していた。ふるふると振るわせる両の肩。その姿は弱々しく、今にも消え入りそうだった。

 自我を失いつつある少女は唐突に暖かさを感じた。彼女が顔を上げると、愛華は泣き笑いの表情で、少女を抱きすくめていた。



「大丈夫だよ。私達が家族」

「家……族?」

「そう。貴方は私のお姉ちゃん」

「お姉ちゃん……?」

「どんなになってもお姉ちゃんはお姉ちゃんだよ」



 すぅ、とシャンプーの甘い香りが少女の鼻腔をくすぐった。背中に回された手が暖かく感じる。

 少女は不思議と安らぐのを感じながら、言われたことをオウム返しにしか出来なかった。どうやら身体の大きさが一回り程違うようで、身体全てとはいかないまでも、かなり大部分が包まれている心地よさ。

 こんなにも暖かくて優しい気持ちに包まれるのなら、自分が誰かなんて分からなくて良いと錯覚するほどに安心した。

 抱きしめられたまま、両手をストンと下ろす。肩の力が抜けていく。

 そのままぴったり五分の時が静止した。その間中、彼女はずっと抱きしめられていた。


「ありがとう」

 抱き合った状態のまま少女はそう言った。

 その言葉を合図に愛華は抱擁の手を解いた。

「ありがとう」もう一度言って、少女は少し笑った。それは細めた瞼のまま口角を若干持ち上げた程度。

 一般的に観てそれは華やぐような綺麗な笑顔ではない。


 それでも――


 今出来得る限りの、最高の笑顔に違いなかった。



 それを受けて、愛華はやり切れないような、切ない表情をした。

 そこで少女は改めて愛華の全体を見た。艶のある黒髪が長く、胸の辺りまで垂れている。下がった眉が愛らしいな、と少女は思った。


「お、目が覚めたようだね」

 少女が声の発生源へ振り返ると、白衣を着た男が病室へ入ってきたところだった。

「先生をお連れしたわ」後ろに彩乃もいる。

 医者は「岸間です。よろしく」と名乗った。岸間は40代後半と思われた。髪は短髪に刈り込んであり、背が高い。きらりと光るメガネは、どちらかというと体育会系を思わせる装いを否定しているようだ。


 さて、と言ったところで岸間は仕事を始める気のようだった。

 手にしたクリップランプで、少女の瞳孔を検査する。

 岸間は「よし、特に問題ないな」と言った。

 少女はクリップランプを仕舞う岸間を見た。それに気づいた彼は、患者を安心させるかのように、にかっと歯を見せて笑った。

「いくつか、質問するから正直に答えてね」

「はい」


 (その前に自分が病院にいる理由を知りたいんだけど……)

 表情と声には出さずに少女は思った。


「自分の名前は分かるかい?」

「……分かりません」

 岸間は首をドアの横に控えている愛華と彩乃に向けた。

「お二人が誰なのか分かる?」

 そして彼は二人を差しながら言った。

「ごめんなさい。分からないです」

 苦笑する岸間。「謝ることはない。じゃあこれとこれを持って」

 そう言って取り出したのはノートとボールペンだった。

「五十音表って分かる?」

「あ、はい。」

 二つ返事で、少女は”あいうえお”と紙の上をペンでなぞった。

 ありがとう、と言いながら岸間は紙とペンを受け取り何か考えている。岸間は受け取ったノートに何か文字を書き込んで、それを少女に見せた。

「読んでみてごらん」

「え、えっと……藤宮朱里(ふじみやあかり) あかりでいいのかな……?」

「うん、合っている。君の名前だよ」

 そう言われて、朱里は頭の中で3度繰り返してみた。しかし、しっくり来る感触は得られなかった。

「大丈夫、今はそれでいい。ゆっくりと思い出すよ」岸間はくしゃくしゃと髪を撫でた。 


 同じ要領で、日常的な動作が出来るかどうか、いくつか試された。

 ペットボトルを渡されて、蓋が開けられるかどうか。窓に付いてるクレセント型の鍵を開け閉め出来るかどうか等、実に様々なことを試した。

 その結果日常生活に支障はないようだった。忘れているのは人の名前、自分の名前、地名、友人関係や自分の家。自分の年齢さえも分からなかった。

 質問が終わり、後は彩乃が岸間から話を聞いてくれることとなった。

「疲れたろう。少し休むといい」気遣うように言って、岸間は彩乃と病室を出ていった。


「お姉ちゃん」

 愛華に呼ばれて、朱里は声のする方へ意識を向けた。

「また明日、お見舞いに来るからね」

「うん、ありがとう」

「あと……さっきは腕を掴んでゴメン。痛かったよね」

「そんなこと」

「あのね」

 愛華が言いづらそうに眼を伏せた。

 そうして意を決したように問う。

「お姉ちゃんって呼んでいいの?」

 朱里がはっとしたように息を飲む。

 今の朱里には残酷な言葉だろう。それでも愛華には大切なことだった。

 大好きな姉がこれ以上遠くへ行ってしまわないよう。


「当たり前だよ」

 朱里は心配させないよう努めて笑顔でそう答えた。

 予想外の答えだったのか愛華は目を大きく見開いた。けれどすぐに、愛華は向日葵のような笑顔を咲かせて返事をした。

「また、明日ね!」

 愛華はちょこんと手を振り、病室を出て行った。



 岸間から話を聞いた彩乃も病室に戻ってきた。

 辺りは暗く、既に二十一時を一刻程過ぎている。

「まだ寝てなかったのね」

「散々寝てたもの。疲れはあるけど、あんまり眠くはないかなぁ」

「あんまり無理しちゃ駄目よ」

 それは娘を想う母の顔だった。それでも記憶に無いのは変わりなく、朱里は敬語にならないように気をつけた。

「ねぇ、朱里。あなたを見ていると、まるで違う人みたい」

「それは……」

 自分のことを見知らぬ他人だと――そんな考えが朱里の脳裏を揺蕩(たゆた)う。そんな思いを見透かしたかのように彩乃は続けた。

「聞いて。そんな朱里も新鮮でいいじゃない。今は空っぽなだけで……。あなたは周りの事は気にしないで養生するの。私達は家族なんだから頼って。ね? お願い」

 そんな短い会話の中だけで、今までの朱里はとても愛されていたのだと知って、涙が込み上げてきそうになる。

 我慢しようとして、膝の上にあった両手に自然と力が入った。泣きそうになるのを堪えながら笑顔を作って言った。

「ありがとう。朱里は幸せな子だね」

「他人事みたいなこと言わないの」

 朱里は額を人差し指で突かれる。漏れる苦笑と、柔らかい雰囲気。この世の全てが優しさで構成されているのではないかと思うほどだった。



 その夜、病室のベッドで朱里は眠れない夜を過ごしていた。

 横向きに寝ていたのを、寝返りをうって反対側へ体勢を変える。

 自分は本当に藤宮朱里なのだろうか。いや、周りがそう言うのなら間違いないだろう。自分の記憶が無いせいで猜疑心が首をもたげているだけだ。こんな感情もいつか記憶が戻ったなら、笑い飛ばせるだろうか。

 自分が何者であろうと、あの親子は悲しませたくないな、と思った。だから今の自分に自信が無くても、姉であり家族でありたいと思った。それは願いでもあった。


 

 気になることは他にもあった。

 岸間の問い掛けの中に、女性用の下着つまりブラジャーについて聞かれた時のことだった。


「……ここで脱げってことですか?」

 朱里は頬をうっすらと朱に染めて言った。つい眉が上がってしまう。

 勿論付ける振りでいいから、服は脱がなくて良いと言われた。それでも付け方が分からず、答えられなかった。

 例え記憶が無くても、一度覚えたら忘れない自転車の乗り方のように、身体に染み付いてるはずではないのか。岸間も不思議に思いながらも、他の動作確認へと移行していった。

 いくら考えても、それがどんな意味を示しているのか、朱里には皆目検討も付かなかった。

 そうして思考の海に溺れながら、いつの間にか眠りについていた。






 -2-



 一部始終を見てた何者かは、安心したように言った。


「後はきっと、自分で何とかするよね」


 何者かが窓の縁から飛び降りた。

 窓の外にある縁部分には、土の痕が残る。

 それは肉球の形にも見えた。

 感想、評価、お気に入り登録してくださった方、ありがとうございます!


 ユーザー登録自体が数日前に初めてしてみた、という超初心者なので使い方も勉強中です(汗

 そのため、今サイトではどの程度の作品がどの程度の評価/感想数/お気に入り登録がされるのか、今一相場というものが分かりません。


 でも!

 単細胞なので喜んじゃいます。

 とにかく感謝です。


 拙い物語ですが、少しでもお楽しみ頂けたら幸いです。

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当作者の短編です。「Still,」との関連性はありません。
お時間ある時にでも、覗いてやってくださいまし。
わたしとケイと彼とサクラ

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