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Still,  作者: ラヴィ太
2章
16/20

第7話(2) ~愛華の場合~

「はぁー、温まる」

 ティーカップから口を離し、愛華は息を吐いた。カップの中身は蜂蜜をお湯で溶かし、少量の生姜を加えたものだった。お風呂上りには必ず飲むようにしていた。

 蜂蜜を材料とした飲食をしていると、体に良い気がして愛華は好きだった。目に見える効果は今のところないが、高校受験をする頃ぐらいから習慣づいている。

 半透明の液体を眺めながら、姉はあまり好きではなかったな、と思い出した。


「体に良いんだよっ」

「だって甘すぎるじゃん」

 愛華が中学生の頃、朱里に勧めてみたことがあった。しかし甘いものが得意ではない姉は、一口飲んでから愛華に付き返したことがある。

「それが良いのになぁ。病気に強くなるよ、多分」

「いいのいいの。私は風邪なんか引かないし」

 確かに朱里は昔から風邪を引かなかった。活発な性格が如実に現れているようだった。それに改めて気づき、愛華は楽しそうに笑った。


 愛華は昔を思い出して切なくなった。スプーンでかき混ぜながら、こう思った。

 今の私をお姉ちゃんが見たら、何を飲んでるのと訊いてくるのだろうか、と。そこに悪意はない。けれど事故前であれば決して訊くはずのない事だった。そんな些細な事でも寂しく思ってしまう自分は弱い人間なのだろうか。




「よく飽きないわね」

 艶がかった声が聞こえ、振り返ると彩乃が立っていた。おそらく蜂蜜のことをいっているのだろう。

「好きだからね。お仕事終わったの?」

「まぁ、ひと段落ってところかな」

「そっか、お疲れ様」

 愛華は笑顔で労いの言葉をかけた。

 彩乃はくすり、とかすかに口の端を持ち上げてから、肩をほぐす仕草をした。それを見ながら「肩凝ってるの? マッサージしよっか」と訊いた。

 彩乃は首をゆっくり回し、娘へと目を向けた。その瞳は優しく慈愛に満ちているようだった。そして軽い調子でこういった。

「ううん、大丈夫、ありがとう」




 姉妹の母――彩乃は現在シングルマザーだった。離婚したわけではない。5年前に夫である藤宮(とおる)が他界したのだ。病死だった。まだ四十歳と、とても若かった。

 生命保険に入っていたために、当面の生活費に困ることはなかった。しかし、彩乃は葬儀の半年後には仕事を探し始めた。何かしていないと不安だったのだ。

 そこで彼女が一番懸念したのは家に居られなくなることだった。仕事に追われて娘たちとのコミュニケーションが減ってしまうことを恐れた。特に中学校に上がったばかりの愛華が気がかりだった。そして、その懸念を解消するために就いた仕事は自宅翻訳家だった。留学経験もあり英語は堪能だった。




 自宅での翻訳稼業は思った以上にハードだった。朝は母親としての仕事がある。娘たちを学校へ送り出してから昼食までは仕事。それを挟んだ後は午後三時まで再び仕事に戻る。その後は家事に追われることとなり、再開できるのは午後九時になってしまうのだった。時には深夜に及ぶこともある。

 他にも、どのような仕事にもあることだが、納期が存在することも悩みの種だった。期限が守れない場合、企業との信頼関係が築けずに依頼が減ってしまうことも少なくない。

 また、語学能力に優れていても、それらを翻訳しようとするのは別問題だった。英語力以上に日本語力を必要とした。英語の意味が理解できても、それをどのように日本語で表現すべきなのか分からなかった。しかしこの数年の間で慣れたもので、今ではある程度時間に余裕を持てるようになっていた。

 仕事と家事をこなし、自分たちを育てている母を尊敬していた。それは女性としての尊敬も含まれていた。少しでも母の負担を減らそうと、愛華はなるべく家事を手伝うようにしている。




「あら、朱里ご飯ちゃんと食べたのね」

「あ、うん。ちょっと持ち直したみたい」

 彩乃は少し考えるように黙り、「難しい年頃の上に、あんなことがあったら……」と口を開いた。

「でも今は大丈夫だよ。お姉ちゃん」

「そうなの? ごめんね、愛華に任せてしまって」

 申し訳なさそうにいう彩乃に対して、愛華は首を横に振った。

「ううん。私もお姉ちゃん心配だし、何とかしてあげたいもん」

 そっか、と彩乃は小さく呟いて微笑んだ。愛華の頭を撫でながら「貴女の方がお姉ちゃんみたいね」といった。

「そんなことないよ」と愛華は謙虚にいう。そして思い出したように「そういえば」といった。

「どうしたの?」彩乃が質問する。

「あ、あのね。お姉ちゃんのことなんだけど」愛華は唇を少し舐めた。喉が渇いていた。

「最近、口調が何だか女の子っぽくないというか、えっと何ていうか」

 愛華は自身でもどう表現してよいのか分かりかねていた。言葉を選びながら、どうにか伝えようとしている。

「女の子っぽくない? 男っぽいってこと?」

 彩乃は要領を得ない様子だった。

「男っぽい……。あぁそうかも」

 天井を仰ぎ見ながら納得の表情を浮かべる。考えたこともなかったため、その発想はなかった。そしてその表現は愛華の中にぴったりと(はま)った気がした。

「うーん。記憶がない今だけだと思うけどねぇ」

 彩乃は険しい顔で唸った。そしてこう続けた。

「今度病院に行った時に、先生にそのことも相談してみるね」

「うん。あ、それ私も一緒に行っていいかな」

 その言葉に母は首を縦に動かし、了承の意を示した。

 そこで彼女は書斎へと戻っていった。仕事を再開するのだろう、と愛華は思った。母の後ろ姿を見送りながら心の中でエールを送った。







 湯気立つカップを手で包み持ちながら見つめていると、不意に大きな音が遠くから響いてきた。まるで物量のある物が床に落ちたような音だった。その音に愛華は驚いた。

 愛華はカップをテーブルに置くと椅子から立ち上がる。何が起きたのか確認するためだ。

 どこだろう、と思った瞬間、閃きに近い勢いで姉の顔が頭をよぎった。先ほどの不審な行動が思い起こされる。彼女はその勘を頼りに浴室へと向かった。



「お姉ちゃん、今の音は」

 声と同時に愛華は扉を開けた。



 脱衣所の扉を開けた愛華は、眼前に広がる光景に目を疑った。思わず目を大きく見張った。ショックで息が止まりそうだった。

 それもそのはずだった。脱衣所には小柄な少女がいた。彼女は目隠しのされた状態で床に()せていた。その上、服は着ておらず下着姿を晒している。大きめの胸が床に当たって、その球体は形を歪めていた。



 愛華が一瞬にしてその想像へと及んだのは当然といえた。大きな音、目隠し、下着姿。これらから連想されるものは――

 足だけは自然と動いたようだった。彼女は少女の傍まで駆け寄り、すぐさま目隠しを解いた。そこには目頭に雫を光らせた朱里がいた。

「だ、誰にやられたの?」

 それは加害者が存在すると仮定した言葉。愛華の心中は平常ではいられなかった。泣きそうな顔で朱里を起こし、どこかに傷がないかを確かめる。

 体中をまさぐられた朱里は、くすぐったそうに身を(よじ)った。

「そんな触らないでって、大丈夫だから」

「え、だってそんな」

 そこで愛華は目を丸くした。徐々に溜飲が下がっていく。目隠しに使われた布をよく見れば、それは先ほど朱里と遭遇した際に彼女自身が持っていた物だった。愛華の中で一つの考えが生まれる。その考えを口にしてみた。

「自分……で、やった、の?」

 まさか、と愛華は思った。その自信の無さは顕著だった。言葉の端々が途切れてしまう。

 朱里はすぐに答えられなかった。ばつの悪そうな顔をして、曖昧に笑みを浮かべている。それを肯定と解釈し、愛華は言葉を続けた。

「信じられない」

「ちっ、違う違う」

 一体何が違うというのだろうか。朱里は頬を赤くして強く否定した。

「じゃあ、どうしてこんなことを?」

「そ、それは……っ」




 つい詰問めいた口調になってしまうのを愛華は自覚した。それに対しての朱里の反応は歯切れが悪かった。

 愛華には、姉がどうしてこのような行動に至ったのか、まるで想像が付かなかった。奇妙としか例えようがなく、そこには未知の世界が広がっているように思えた。だからこそ気になったのだ。ここはどこまでも追求しようと心に決めた。また、自分に隠れて何かしようとしていたのなら、それは恐らく困っていたからに違いないと考えた。そうであるならば、それを話して欲しいと思った。

「それは?」と愛華が繰り返し訊いた。

 すると、姉からは呻きとも唸りとも判別の付かない返答が返ってきた。

 仕方ないな、というように愛華は一つ息を吐いた。それに合わせて肩が瞬間的に上下した。そして愛華はいった。

「言えないことなんだ?」

 その声は努めて低く、ゆっくりとしていた。同時に目が合い朱里の細い肩がぴくりと揺れる。愛華の目は笑っていなかったからだ。

「そういうわけじゃないけども、何ていうか……怒ってる?」

 いたずらが見つかった生徒が教師に言い訳するように早口でそういうと、彼女は愛華の顔を伺った。

 その言葉に愛華はもどかしい気持ちになった。眉根が下がる。いつだって姉は自分の心配する気持ちなど感じ取ってくれないのだ、と思った。みるみるうちそれは胸中で膨張を始めた。元々ここ一週間の間、常に愛華のそばを付きまとっていた感情。やがてはみ出た激情は喉元から吐き出される。

 きっ、と朱里を見据えて「当たり前でしょ」と愛華は声を荒げた。

 思わぬボリュームに朱里はおろか、愛華自身も驚いた。我に返った愛華は思わず口元に手をやった。しかし吐き出す言葉は止まらなかった。

「今日は言わせてもらうけど」

 もう後には引けなかった。




「どうしてそんな変なことばっかりするの? 記憶がなくて不安なのは分かるけど、それにしたってこんな……大体隠し事までして、その上で怪我しそうになるなんて、私がどれだけ心配してるか分かってるの?」

 何も答えない朱里に愛華はぽつりと添えるように続けた。「分かってないよね、絶対」

 きょとんとした表情のまま朱里は固まっていた。やがて悲しそうな顔になり、何かを逡巡しているように見えた。

 しんと静まり返る室内。二人の間に何ともいえない雰囲気が流れた。

 愛華は期待が裏切られたような気がした。これだけ想いをぶつけても、それに対する返答がなかったのだ。朱里は右手で肘を抱くように押さえて、目を逸らしていた。

「ご、ごめん」

 間をとりなすように愛華は謝った。「大声出しちゃった」言いながらもう諦めよう、と彼女は思った。




 踵を返し、脱衣所のドアノブに手をかけた時だった。触れた指先から、かちゃりと音がする。

「悪かった」

 朱里の声に愛華は振り返った。後悔を思わせるため息と共に、居たたまれなそうな顔つきをした朱里がそこにいた。

「全部話すから」息を呑み、朱里はかすかな間を開けた。

「そんな風に思ってるなんて全然気づかなかった。余計な心配させないために黙ってたけど、行動が伴ってなかったみたい。逆にそれで心配されるなんて世話ないなぁ」

 朱里は目を伏せ、誤魔化すように頬を掻いた。後半は愛華に向けてというより自身に投げかけているようだった。

 朱里の言葉を聞き、愛華の表情がみるみる明るくなっていく。萎れた華が水を得て元気を取り戻すかのようだった。

「分かってくれて嬉しい」

「言いにくい事でもあったんだ」

「そんなに?」

 朱里は首を軽く動かして首肯した。愛華は改めて怪訝に思った。いくら考えを巡らせても目隠しをする理由が思いつかなかったからだ。

「でも教えてくれるんだよね。大丈夫、どんなことでも協力するんだから」

 ずい、と愛華が体を押し出して迫ると、困ったような顔で朱里がたじろいだ。

「うん、まぁここまできたらいうしかないかな、って」と朱里は引け腰で答える。更にこう付け足した。

「その前に服着てもいいかな。ずっとこのままじゃ寒い」そういって床に落ちていた衣服を拾いあげ、袖を通した。そして彼女は気を取り直すように姿勢を正すと、愛華へと視線を向けた。

「えっとね」

「うん」

 朱里はまたも顔を俯かせた。かすかではあるが耳に朱が差しているように見えた。

「……やっぱり」

「ダメ」

 愛華は即答した。小手先の抵抗が無意味と悟ったのか、朱里は諦めたように息をついた。そして十分な間を置いて驚くべき事を口にした。

「自分の、は、裸が恥ずかしくて」

「へ?」

 その告白は消え入りそうな小さな声だった。いってすぐ彼女は後ろを向いてしまった。

 愛華は、すぐに朱里を前に向かせて続きを促すべきだったが、思わぬ言葉にぽかんと口が開いたまま固まった。今の自分は間抜けな顔をしているんだろうな、と少しピントのずれたことを考えていた。やはり気が動転しているのかもしれなかった。

ども。作者です。

ここまでお読みいただきありがとうございます(ぺこり


愛華を中心として話を進めてみました。

いつもと少し違って感じられればいいな、と思います。

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当作者の短編です。「Still,」との関連性はありません。
お時間ある時にでも、覗いてやってくださいまし。
わたしとケイと彼とサクラ

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