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Still,  作者: ラヴィ太
2章
13/20

第5話 ~罪悪の記憶~

 朱里は辺りを見回した。首が慌しく動く。

 交通量の多い道路。あまり広くない歩行者専用通路。遠くに見える心療内科の病院。

 浮き出た疑惑は疑心暗鬼を生む。一度覚えがあるかもしれない、と思った途端に、どの景色も知っているような気がしてきたのだ。



 不意に朱里の頭に、映像がちらついた。それは以前、平井が朱里に話した事故の一部始終と似ている。

 図体ばかりが大きいトラックと、それが迫りくる恐怖。痛いほど耳朶に響く急ブレーキの音。

 朱里はずきずきと痛み出したこめかみを押さえた。またか、と思った。朝もここを通った時に身体の不調を感じた。まるでそれは、自分はここにいてはいけないのだ、という身体からの警告のようだと思った。

 妙にリアルな映像は、やはり過去に実際体験したものだからだろうか、と朱里は考えた。



 痛む頭で朱里は道路へと視線を戻した。痛みが増幅されたように感じた。

「あぁ、もう」

 またしても映像がちらつく。それは細切れに少しずつ、擦り切れたテープを再生するかのような画だった。

 見上げる先に車。叫ぶ声。掴まれた腕。何かを訴える必死な表情。

 そこで朱里は若干の違和感に気づいた。



 どうしてこのモノクロな映像内で、自分の顔が映っているのだろうか、と思った。

 その映像内で朱里に見える少女は切羽詰った顔で、ぐいぐいと”何者か”の腕を引っ張っていた。自分が見た記憶が映像として蘇ってきているのならば、それは自らを視点としてなければいけない。にも関わらずその”何者か”を視点とした映像になっていた。それが違和感の正体だった。



 何故、と思った。

 考えられるのは、事故の詳細を平井に聴き、その話を基に朱里自身が俯瞰(ふかん)的なイメージで想像し、それが頭に残っていた場合だろうか。何故このタイミングなのかは不明だが、そのイメージが脳内で再現してしまっているという説。

 いや違う、と思い朱里はかぶりを振った。そんなイメージはした覚えがなかった。

 それならば、と考えた時に思いつくことがあった。その瞬間だった。




 朱里の脳裏に知らないはずの記憶が、フラッシュバックのように駆け巡った。

 都内某所にあるビル。その映像では、自分は会社員として働いているように見えた。頬のこけた丸い顔をした上司が、憤怒の形相で顔を紅潮させながら叱責を繰り返している。自分は奥歯を噛み締めながら、ひたすらに耐えているのだ。

 ただの映像であるが、それはまるで自分が叱られているように思える。肉迫してくる声は朱里の内面までも浸透してくるようだった。




「では、今週はこちらのお薬をお出ししておきますから」

 白衣を着た医者はいう。軽薄そうに笑った。

「大丈夫、その内よくなりますよ」

 不安げな顔で映像内の自分はその心療内科を後にしていた。

 そこで朱里が見ている映像はぷつりと途切れた。



 電気が走ったようにぴくん、と身体をひくつかせ、朱里は膝を付いた。地面を手に身体を支える。

 顔を伏せたまま、朱里はそんなまさか、と小さな声を漏らした。

 暑くもないはずなのに、冷や汗が次々と流れてきた。それは地に付いている手へと滴り落ちた。

「有り得ない」

 それは落ち着かせるために、自身へ向けた言葉。成果は殆どないといってよかった。

 朱里はふらつく足に力を入れてなんとか立ち上がる。


「でも、それじゃあ……僕は」


 何か重大な事に気づいたように、朱里は片手で両目を覆った。その言葉は深刻さという重りを伴って、ゆっくりと地面へと落ちていく。

 そこで朱里へと近づく足音がした。急ぐように短い間隔で鳴り響く。静寂の濃い今の時間帯では一層目立つ。

 それは気が動転している彼女の耳には届かなかった。





「お姉ちゃん」

 聞き慣れた声がして、ようやく朱里は目の前に人がいることに気づいた。

 朱里の目の前、息を切らせた愛華が立っていた。息苦しそうに肩で呼吸をしている。

 愛華は眉を吊り上げて「どこ行ってたの? すっごい探したんだから」と怒鳴った。合間の深呼吸が、割り込むように声を遮らせた。

 詰問調にも聞こえるそれに応える声はあがらなかった。



 朱里の様子がおかしいこと事に勘付いたのか、愛華は手を伸ばした。しかし無常にもその手は空を切った。それに気づいた朱里が怯えるような目をして、一歩後ずさりをしたからだった。

 ひっ、と声を漏らした朱里の声は震えていた。その怯えたような目は見捨てられそうな子犬を思わせた。

「違うんだ、違うんだよ、僕は……」

 弱々しく首を振りながら、朱里は今にも逃げ出しそうな気配をみせた。そしてまた一歩、愛華との距離が離れた。

「お姉ちゃん落ち着いて」

 朱里は愛華に背を向けた。愛華は駆ける寸前の朱里に手を伸ばした。その手が朱里の腕へと絡みつく。

「嫌だ、離して」

 振りほどこうと朱里は無我夢中になった。我を忘れて腕を左右に振り払おうとする。

 愛華は逃すまいと必死に力を込めているのか、朱里は振り切ることが出来ないでいた。何故朱里が暴れているか愛華には分からないはずだったが、このまま朱里を離してはいけない、と感じさせるような意思の強さがそこには宿っていた。今を見逃してしまったら、二度と会えなくなるような予感めいたものに近い。





 やがて疲れが見えてきた。朱里の振り払う力が段々と弱まる。

 次第に抵抗は止み、朱里は完全に諦めた。愛華に抱きすくめられるような形になる。

 それはいつかの病院での出来事を彷彿とさせる構図。あの時も朱里は茫然自失に近かった。




「やっと落ち着いた」と愛華がいった。朱里には、それが独り言のように聴こえた。

 愛華が手を離した。朱里からいくらかの体温が逃げた。

 逃げた体温を埋めるように、朱里は「違うんだ」と、同じ言葉をうわ言のように呟いた。 

 向き合うように立っているのに、朱里は愛華と目を合わせることが出来なかった。首を斜めにずらして、視線を受け流すような姿勢をとった。

「帰ろう」

 愛華が提案した。どうやら問い詰める気は無いようだった。

 けど、と朱里は渋った。愛華が不思議そうに見つめてくる。

 自分の帰るべき家はあそこじゃない、と朱里は言いたかった。けれど今それを話したところで、愛華はそれを信じるだろうか。

 やや躊躇いがちに「うん」と朱里は返事をした。それが彼女の下した判断だった。つまり、朱里は理路整然と説明出来るだけの言葉を持たなかった。

 一緒に歩きながらも二人の中に会話はなかった。ただひたすらに家を目指して歩いた。




 玄関前に着いた。朱里はちらり、と愛華の横顔を見つめた。

「あの」

 愛華の首が動いた。

「何があったのか訊かないの」朱里は疑問を口にした。

 あれだけ騒ぎ立てたというのに、愛華は何も言ってこないのだった。すると愛華は口の端を少し持ち上げて、うーん、と唸った。

「話したくなったらでいいと思う」

 朱里の胸中に申し訳ないという気持ちが広がった。説明出来る日など訪れない、と思ったからだ。

 けれど、これだけ気に掛けてくれる愛華に対して、何かしらの説明はしてあげたいと感じた。嘘でも気休めでもいいのだ。そのままではあまりにも愛華が不憫ではないか。





 家に着くと玄関では彩乃が待っていた。当然の如く心配の声をあげていたが、朱里としては誤魔化すしかなかった。ただの散歩だったのだ、と適当な理由を口にする。

 彩乃は納得しない様子で訝しげな眼差しを朱里に送る。朱里は逃げるように自室へと走った。

 そこでも愛華に対してと同様、気が咎めるような罪悪感を感じた。





 その夜、朱里は寝付けずにいた。ベッドで横になり掛け布団を被ってはいるが、頭は冴えてしまって眠ることを拒否していた。

 天井を眺めながら思う。



 僕は彼女を殺してしまったのだ、と。



 朱里は全てを思い出していた。

 何故忘れていたのかも、何故思い出したのかも分からなかった。

 恐らくきっかけは、あの置かれていた花だろうと推測した。彼女としてはあの手向(たむ)けの花自体に見覚えがなかった。しかしそれが誰に対しての手向けなのかは想像できた。

 朱里は力ない表情で苦笑した。自身に対しての嘲りさえ混じっているようだった。それはそうだろう。手向けられた本人が、こうして生き長らえているのだから――

 



 思い出した記憶が確かならば、自分は西本明であったはずだ、と朱里は思った。

 あの日、考え事をしながら歩いていたのか、その時にどんな思考だったか定かではない。しかし歩道に出てしまったのは事実だ。

 そして轢かれそうになった自分は、助けようとした女子学生を巻き添えに事故に遭ってしまった。

 それなのに今、自分は生きている。その女子学生である藤宮朱里として。何かの皮肉としか思えなかった。



 そして、それは結果だけ見れば、藤宮朱里という魂を殺してしまったことになるのではないか、と思った。

 そう考えると、胸をズタズタに引き裂かれるような思いが込み上げてくる。自分なんか、という言葉が脳内を駆け巡る。今すぐにでもこの身体を返してあげたいと思った。文字通り、彼女の人生を奪ってしまったのだ。

 けれどどうすれば良いのだろうか。本来の彼女はもう完全に消滅してしまったのだろうか。自分はこのままで生き続けるしかないのだろうか。

 考えれば考えるほど、この先の不安と問題点が浮き彫りになってきた。それらに対する解答はそう簡単に見つからないと思った。




 朱里は身体を起した。そのまま1階へと降りる。

 キッチンへ入り冷蔵庫を開けた。中には多くの食材で溢れていて、数日は買い足す心配は不要に思える。

 その中から牛乳パックを取り出し、コップへ注ぎ、それを一気に飲み干した。白い液体が喉元を通り過ぎる度、甘い香りが鼻を突いた。頭がクリアになったような気がした。

 部屋へ戻った朱里は再び同じ体勢となった。つまり、ベッドへ横になり掛け布団を被ったのだ。




 リフレッシュしたかのような頭は、何の進展ももたらさなかった。

 堂々巡りの思考は、とうとう終わりをみせなかった。気づけばカーテンの隙間から、淡い日の光が差込み始めた。

 それでも全く眠くない、と思った朱里は、そこである重要な事柄を思い出した。



 夢の中に出てきた動物だ。恐らく犬であった、と徐々にその姿が脳裏へ浮き出てきた。



 いや、と思った。あれは夢ではなかったのだ。

 そして彼はいっていた。『女性として生きるんだ』と。

 つまり、彼が意図的にこのような状態にさせたのかもしれない、と朱里は考えた。そう考えれば、彼にもし会うことが出来るのならば、元の状況に戻すことが出来るかもしれない。

 わずかに希望の光が見えたことに、朱里は少し安心した。

 しかしそれも束の間だった。

 なにしろ彼に会う手段がないのだと思い至る。雲間から差し込んだ光が再び、厚い雲に隠れた気分だった。




 もやもやとした気持ちの中、ドアがノックがされた。

 朱里は返事をしようとしたが、声が出しにくいと感じ、出掛かった声は肺へと落ちた。昼間に動き回り疲労した上、夜通し考え事をして休んでいない反動だろう。

「おはよう」

 ちょこん、と顔をのぞかせたのは愛華だった。少しだけ遠慮しているような気配があった。

 朱里はおはよう、と返事をした。今度は声が出た。多少上ずっている。




 愛華は心配そうな目で朱里を見つめた。

 それに気づいた朱里は「もう大丈夫」といった。「きっと不安だったんだ」と付け足す。

 それでも愛華は険しい表情のままだった。納得していない様子の愛華に、朱里は更に口を開きかけた。

「嘘だよ、それ」それは愛華によって遮られた。「まだ辛そうだもん」

 朱里は何も言えなかった。

 だから、と愛華は続けた。

「また不安になったら言って。一緒に居てあげるくらい出来るんだから」

 励ましているのは愛華なのに、その目は(すが)るような色をしていた。お願いだから頼って、とその目は訴えているように見えた。




 愛華が出て行き、朱里は一人になった。

 朱里は曖昧に笑うことしか出来なかったことに、自己嫌悪の念を抱いた。いや、他に最たる理由があった。

 所詮、自分は本物の朱里ではない。

 今も現在進行形で家族を騙していることになるのだ、と思った。そう思うと今までのように、上手く接することが出来なくなっていた。何をしようとしても不自然になってしまう。あんなにも無償の愛を投げかけてくれているのに、それを受け取る資格がないのだ。



 憂鬱な心を抱えたまま、朱里はベッドへうつ伏せになった。

 彼女は声をあげずに嗚咽を漏らした。愛華に対する罪悪感を吐露するかのようだった。

ども。作者です。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!



若干の鬱展開ですみません(土下座)

シリアス成分が多目だと、離れちゃう方とかいるのかなぁなんて思ったり。

まぁそんな心配してちゃなんにも書けないのですが。笑



ともあれ、引き続き本作品をよろしくお願いします。

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