3 死んだだけでは、ありませんでした。
―――――飛世ちゃんは、大きくなったら何になりたい?
―――――ヒセね!大きくなったらコタカさんになるの!!
―――――?…飛世ちゃんは小鷹さんでしょう?
―――――ちがうの!!ヒセはヒセなの!!大きくなったら、ヒセはコタカさんになるの!!
―――――え…えええ……???
ごめんね、ゆか先生。当時のバカなわたしは、「小鷹=小鳥」だと思っていたのよ。
「小さな鷹が飛ぶ世界」と、単に耳触りがいいから、という理由で飛世という名前をつけた母は、なんというか、良い意味でも悪い意味でも適当な人だった。初めて「小鷹」の意味を教えてもらった時、母はちょうど庭で洗濯物を干しているところで。何を思ったか、近くにいたスズメを指差した母は、それを「小鷹」だと言った。「小鷹=小さな鷹=小さな鳥=スズメ」という理論のもと。無茶苦茶だ。まだ無知だった幼い私は、その「可愛らしいスズメ」をイコール「小鷹」とインプットしてしまったのだ。
それも小学校を上がるころには小鷹の意味も正確に理解し、将来の夢もペットショップの店員さんに変わった。そして、その幼い願いは、若かりし頃のしょっぱい思い出として今では友人間の笑い話くらいでしか発揮されることはないはずだった。
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飛世はただじっと水面に映る自分の顔を見つめた。
だてに鳥になる夢を見続けていたわけでも、ペットショップの店員を目指していたわけでも、動物病院の事務をやっているわけじゃないわ。あらかたの動物、特に鳥に関しては、資格を取れるほどに熟知してる。
…だからわかる。これが、鷹であるということくらいは。
黒の瞳に橙の虹彩、口ばしから翼、尾の先まで青みがかった灰黒色。同色の横斑が白い胸部を彩っていた。大きさからして、おそらく成鳥だ。今日まで鳥として生きてきて、何かの拍子に前世としての記憶――つまり、ベランダから落ちて死んだ小鷹飛世という人間の記憶――が戻ってしまったということだろうか。
そしてもう一つ判った事実。
鷹に転生したということなら、ここは死後の世界でも何でもなく未来の地球ということになる。空気の清涼さから見ても、恐らく千年ほどは経過しているはず。エコが叫ばれた時代にこれほどまで空気が澄んでいる場所はどんなに辺境を探しても恐らくないだろうから。そして、この場所の広大さから見ても、恐らくここは日本ではない。きっとアフリカとかその辺。
…そもそも、この時代に日本ってあるのかなあ。どうしよう沈没とかしちゃってたら。さっきまで、私が過去の人だったのに、急に私以外の人が過去の人になっちゃったよ。生まれ変わったって、知ってる人がいないんじゃ意味ないよ。こんなことなら、前世の記憶なんて戻らなきゃよかった。
―――――ヒセね!大きくなったらコタカさんになるの!!
そういうのもさ、子供の頃だから夢見れたこと。
大人になったら、現実がある。生まれ変わりなんて、幻想をいつまでも持っていられない。特にハタチ過ぎてからの現実は尋常でなく早い。大学でて働くようになって社会にもまれて、右往左往しながら。なのに、これからって時に死んじゃって。
―――――ヒセね!大きくなったらコタカさんになるの!!
そんな奇跡を起こしてくれるくらいなら、6階から落ちて助かる奇跡が欲しかった。
終わったことは、どうしょうもないけど。
……だからって本当にっっ………っ……
…っわたし死ぬどころか、日本があるかどうかも分からない時代に転生までしちゃって!しかもそれは人間ですらなくて!?鳥で!しかもご丁寧に「鷹」で!!なのに小さくもなく成鳥ですか!!?
……ええわかってますよ。この鷹に何の罪もありませんよ。ましてや同じ魂、私自身ですしね!むしろ、「小鷹」を願った前世の私のせいなんですかねえ!?ははは!!!
…まあでもっこれでも動物病院事務員の端くれですから。鳥として真っ当に生きてみせますとも!!!
人間の知識を持った新境地の鳥としてね!!
でもその前に、この苛立ちを発散しないと気が済まない!
叫びたい!
力の限り叫びたい!!
飛世は思いっきり足を広げ、鍵爪をさらに川縁の石に食い込ませた。割れた石の小破片がぽちゃんと水に落ちる。そして、胸部が盛り上るまで大きく息を吸い、空を仰ぐ。そして、溜まりに溜まった憂さを晴らすように叫んだ。
思いの丈を一纏めにして。
神様のばっかやろ―――――!!
みてろよこのやろ――――――――――――!!
ずぅうええったいっっおおじょおおしてやるうううううううう!!
「キィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイ」
耳を裂くほどの甲高い鳴き声は、隔たれることなく辺り一帯に響き渡る。河川先の森から数羽の鳥が飛び立つのが見えた。水面は波紋が広がり、驚いた小魚がばしゃりと跳ねる。
バキィイイ!!
―――……え?
体中の空気を出し切るために前のめりに伸ばしていた胴体。それを支えるために力みすぎた鍵爪。限界を知った岩は、音を立てて粉々に砕け、水中へと逃げてゆく。足は行き場を失くし、支えを失った胴体は、不安定に傾いた。慌てて翼をはためかすも時すでに遅し。気流を上手く掴めず、飛世はそのまま前のめりに倒れ水面を打った。
ばっっしゃーーーん!!
―――ああもう最悪……
衝撃は体中に駆け回り脳天を直撃し。
実はこっそり空腹が頂点に達していた飛世は、若干の吐き気と共にそのまま意識を失った。