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時が経てば増えるのでしょうか

作者: GONJI

我が家では年四回墓参りに行きます

春の彼岸、お盆、秋の彼岸、年末です

祖父が亡くなってから父の兄弟姉妹で相談して新興の霊園の区画を買い取りそこに墓を建てました

はっきりとは覚えていないのですが40年ぐらい前のような気がします

大阪の堺出身の一族ですので、最初は堺市内で墓地を探していました

泉北ニュータウンの外れに堺市が管理する鉢ヶ峰寺というところに公園墓地がありました

ところが・・・鉢ヶ峰は遠すぎる・・・との意見からそこは見送ったのですが・・・


蓋をあけてみれば決まったのは貝塚市の山奥の奥水間霊園という場所でした

「どう言うこと?そこの方が遥かに遠いやんか?それに堺市ちゃうし」

とその時に思った記憶が有ります

当時はまだ阪和自動車道も整備されておらず、ひたすら一般道で大阪市内の我が家から行っていましたが、皮肉なことにその道中で鉢ヶ峰の墓地の横を通過して行くのです

そこで奥水間までは半分くらいなのですね

「ほら!ここの方が近いやんか」

なんですよね


どういう経緯で奥水間霊園に決まったのか?は知らないのですが、当時の一般道での墓参りは片道1時間30分もかかっていました

最初の頃は墓地に建つ墓もまだ少なかったのです

私たちの区画のエリアも空き地がいっぱいありました

なので、周りは山に囲まれているのにうちの墓は一日中お日さんが当たると言うとてもいい場所を確保できました


墓を建てた時にはすでに祖母は他界しており、さらに私が生まれるまだ前に父の妹、つまり私の叔母も若くして他界しておりまして

最初の墓石には、祖父と祖母とその叔母の戒名を刻みました

その後阪和自動車道が開通して、なんと道中片道40分という今までの時間の半分以下にまで短縮されました

途中に岸和田SAもありますしね

ほんと行きやすくなりました


そしてその後1995年に父が他界したので墓石に父の戒名が刻まれて現在に至っています


去年の年末に墓参りに行った時のことです

いつものように駐車場からうちの墓まで歩いていると・・・あれ?

前まで墓石があったある一か所が更地になっていたのです・・・

そうかぁ墓じまいか・・・


この霊園で初めて見た光景でした

ここの霊園は墓じまいして区画を返還すると、その後永代供養してくれることになっています

その区画の売買もできたのかどうかは知らないのですが、私もいずれ墓じまいをしないといけませんので、契約書なりを確認しておかないといけない時期なのかなぁとその時思いました

母が他界したら最後の納骨となる予定です

私の代で全て終わらすつもりで生きてきましたのでね

墓じまいこそが人生最期のご先祖様に対するお勤めです


それを完遂させるために生きなければ

そして年四回の墓参りも欠かさずに頑張ろう!




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― 新着の感想 ―
[一言] 1990年代、「墓地不足」が真剣に心配されていた事を考えると、隔世の感がありますよね。 地域の神社や寺は、古参の地元民にとってのある種の特権・利権でした。だからこそ都市部に新興宗教が流行った…
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