雨の捕り物
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
みんなは雨具といったら、何を思い浮かべる?
たいていは傘や、カッパ、長靴といったところじゃないだろうか?
これらは16世紀ごろから日本に広まっていったもので、それ以前は蓑を被ることが多かったという。みんなも時代劇などで目にしたことがあるんじゃないか?
先生の地元に伝わるものは、いわばフルアーマー蓑とでも呼ぶべき、肩から太ももあたりまでを、ほぼ完全に覆うタイプだ。
機動力はいささか難ありだが、笠や脛あてなどと組み合わせると、よほどの風雨でない限りはほぼ濡れずに済む一品だ。材料に使う稲わらが水を弾きやすいこともあって、思ったより中へのしみ込みが少なく、保温性もあるから体もさほど冷えずに済む。
うっかり火へ近づけたりしなければ、なかなか使いでのある雨具といえよう。だが、それ以上に私の地元では、このフルアーマー蓑を身に着ける理由が別にある。
それに関する話、聞いてみないかい?
むかしむかしのこと。
地元の村のひとつで、奇妙な報告があった。
嵐のあった翌日、村近くの山の中腹にあった小屋のひとつが、こつ然と姿を消してしまったというんだ。
かの小屋は地元の猟師の休憩所兼避難場所のひとつとして機能していたが、老朽化にくわえて、数日前に起きたやや大きめの地震により、屋根がほとんど落ちてしまった半壊状態だったんだ。
この間、村の方でも荒れた地面や家屋、田畑に手を入れていて小屋のことは後回しになっていた。ようやくこちらへ取り掛かれるといったところで、小屋そのもののゆくえが分からなくなってしまったんだ。
報告の奇妙なところというと、その小屋があったところには屋根のわらをのぞき、建物の痕跡がろくに残っていないことだった。
悪天候の中、盗人がとっていたのなら大変ご苦労なことだ。雨の吹き荒れていた中なら足跡などが残っていないのも、いちおう納得できなくもない。
わらぶきの屋根部分は、必要がないと置いていったのか。それをのぞいたとしても、舌を巻く手際の良さだが、報告した者は続ける。
雨がまだ降る中、かの小屋を思わせる影が宙を飛んでいったのだと。
確かに強い風ではあった。
しかし、報告者の話では小屋は吹き飛んだのではなく、その壁や床の形を保ったまま、空高くに浮かび上がっていき、かなたへ消えていったのだという。
口で聞いてもにわかに信じられないことで、多くの人が報告者の見間違いであろうと、思い込んでいたらしい。
しかし、その考えの甘いことを知るのに時間はかからなかった。
数日後に再びの雨が降る。今回は風がなかったが、それでも音を立てるほどのざあざあ降りには違いなかった。そのうえ、屋内でもうだるような暑さが漂う陽気と来ている。
家の中にいた子供たちの何人かは、親たちの制止も聞かずに外へかけ出てしまう。雨の冷たさが、身体を包む暖気をいくらか和らげてくれることを期待したのだろう。
着ていた袷も脱ぎ去ってしまい、ふんどし一丁でもって彼らはぬかるむあぜ道へ繰り出したんだ。
それがいくらも続かないうちに。
はしゃぎまわっていた彼らの動きが、ふいにぴたりと止まった。
自ら固まったわけではなさそうだった。引きつったその顔には戸惑いの色が浮かび、自分の身体の自由が利かない理由を、必死に探っているかのように思えたからだ。
堤や田畑の見回りのために、蓑をまとう大人たちは近くにいくらかいたが、彼らが止めるより先に、子供たちの姿はやがてゆったりと宙へ浮かび上がっていってしまったんだ。
不可解な光景だった。
降りしきる雨の中で確認しづらいが、彼らの頭から肩、背中のそこかしこへ、雨水が降り落ちる瞬間をとらえたような、長い長い糸のようなものがつながっていたのだから。
それら無数の糸によって、彼らの身体が持ち上げられていく。口をもごもご動かそうとしているのは、助けを呼ぼうとしているのだろうが声も出ないのだろう。
大人たちが手を伸ばしたときにはもう、彼らは周囲の民家を軽々と超える空高くまで、浮かび上がってしまっていたんだ。
彼らの姿が完全に見えなくなってしまうのと、雨がぴたりとやんでしまうのは、ほぼ同時のことだったという。
そのうえ、まだ事態は終わっていなかった。
連れ去られた子供たちの親たちがおおいに嘆き、その責任の所在を求め、いまにも荒れ始める気配を見せ始めたころあいで。
彼らの家を含めた、村全体を震わす揺れが唐突に襲ってきた。
全員が飛び上がりそうな強さだったが、長くは続かない。驚いた人々は揺れの収まりとともに、各々が外へ飛び出した。
そこには、あの消えたはずの小屋があったんだ。
屋根がないことをのぞけば、壁も土台部分もそのままの小屋。それがいま、村を囲う塀の一部を完全に押しつぶし、元からそこにあったかのように鎮座していたんだ。
その四方の壁に、先ほど連れ去られた子供たちをひっつけながら。
子供たちは引きつった顔のまま、その手と足を軽く開きながら、いずれも木の壁の中へ埋め込まれていた。
顔から胴体までを正面へ突き出す格好で、なおその表情に怯えをたたえながらも、声を出せないままでいる。
さるぐつわなどで封じられているわけでもないのに、一向にその口を開こうとしてくれないんだ。
大人たちも、大半がその光景にあっけにとられていたが、立ち直りの早いものたちは近くに立てかけてあったクワなどを手に取って、子供たちの元へ駆けつけんとする。
力づくでも壁を叩き壊し、子供たちの戒めを解こうとしたんだ。
しかし、その小屋だった壁のあちらこちらには、先ほど子供たちを吊ったものと同じ。降ってきた雨粒に紛れ込んでいた、あの糸がつながっている。
近づいてくる大人たちをあざ笑うように、小屋は子供たちを抱え込んだまま、またも宙へ浮いた。
姿を消したときとは違い、地上から離れること大人数人分ほどの高さ。それでも、近づこうとする村人たちの手から逃れるには十分すぎた。
その間も、埋め込まれた子供たちはどうにか身体をよじっているのが見える。大人たちは彼らの名を呼びながらも、何とか追いすがれないかと考えを巡らせながらも、気づいた。
小屋はすっと、彼らの頭上へ空を滑り、ぴたりと動きを止めたんだ。
それが自分たちへの情けだと、大人たちは思わない。すぐさま彼らが退避し、それが紙一重の命拾いであったことを、勢いよく落下した小屋の姿が裏付ける。
またも、村は大いに揺らされて村人たちは尻もちをついてしまった。
そこから、小屋は何度も浮き上がっては落ちるを繰り返し、村中をさんざんに踏みつぶして回った。
村人たちはどうにか子供たちを救おうと動くも、まともな成果を出せないまま、ひとりまたひとりと、小屋に踏みつぶされる犠牲者を出していく。もはや逃げるより手はなかった。
そうして村の家屋がおよそ半数ほど潰され、完全に人々が逃げ腰となったころあいで、小屋はまた飛び立った。
今度はより高く。あのとき、小屋そのものや子供たちをさらったときと同じように、かなたへと飛び去ってしまったんだ。
以降、かの地域で大雨があると、村人や立ち寄った者、通りかかった者の別なく、不意に空へ浮き上がり、連れ去られる者が現れたという。
いずれも雨具に不備があったりして、身体をじかに雨へさらす箇所が多かったものばかりだ。村人たちは、きっとあの小屋へ連れていかれたのだろうと、察したらしい。
それから私たちの地元では、フルアーマーのごとく全身を覆う、丁寧な蓑のつくりが重宝されたとのことさ。