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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

これは憧れか初恋か

作者: 爺誤

 春の近いというのに吹きさらしの河原は風が強く、日差しがあってもジャケットを抱きしめるようにガードしていないと寒くて堪らなかった。


「コタロー、おれ早く帰りたい」


 震えるおれの腕から伸びるリードの先には、白ベースの茶色い斑のある雑種犬が何も聞こえないフリをして進んでいく。犬のコタローにとって、おれは主人というより散歩のお供なのだろう。明らかに馬鹿にされている。

 いつもなら折り返し地点なのに、どんどん先に進むコタローに引っ張られてかなり遠くまで来てしまった。帰るのに三十分以上かかると思うと泣けてくる。だが出るのは鼻水だ。こんな事態を予想していたおれは、早々にマスクの内側にティッシュを挟んで誤魔化している。準備は万端だ。コタローが言うことを聞いてくれないのはいつも通りなのである。

 歩きまくって身体は温まってきているが、露出している頭は吹きっさらしのまま寒くて仕方がない。マスクをしていて本当に良かった。夏は鬱陶しいばかりだったけど、今は僅かな防寒の役割を果たしてくれている。


「立春したんなら春になれよ〜」


 おれの嘆きもそっちのけでコタローはぐいぐい進んでいく。いい加減引き返したいのになんなんだ。


「え? お前……マジかよ」


 徒歩で来る距離じゃないだろと半泣きになっていると、コタローは風の来ない高架下に辿り着くと、よいこらしょと聞こえてきそうな表情で、そこで横たわった。もう動かないという強い意志を感じる。

 こんな時に限ってジャーキーの一枚も持っていない。 

 ここから体重二十キロ近いコタローを抱えて帰らなければならないのだろうか。誰か嘘だって言ってくれ。


 コタローの傍でう◯こ座りでがっくりと首を垂れていると、プップーと車のクラクションが鳴らされた。車の邪魔になる位置ではないのに、妙なトラブルにまでなったら、完全にキャパオーバーだ。

 疲れと冷えで棒のようになった足を無理矢理伸ばして立ち上がると、すぐ横に停まった車から兄が顔を出した。クラクションは兄がおれに向けて鳴らしたようだ。地獄に仏!!


「兄ちゃん! 助けて、コタローが動かないんだ」

「それでこんなとこでベソかいてんのか」

「寒いのにこんなとこまで連れてこられたら泣けるよ」

「こんなとこまで来る前に帰れよ。まあいい、コタローと一緒に乗れって。悪いな鷹端(たかはし)

「あっ、鷹端さん、こんにちは」

「相変わらずだな、庸太(ようた)


 六つ上の兄、颯太(そうた)は近所の大学に通っている。通学は徒歩でも行ける距離だから、車は趣味で持っている。よく友達を載せてドライブでプチ旅行をしていて、だいたい彼女がいない者同士で気楽にB級グルメなどを楽しんでいる。おれも暇なタイミングが合うと連れて行ってもらえるから知っている。

 その兄が今一番よく遊んでいるのが鷹端さんだ。兄と違って知的で落ち着いた雰囲気の人だけど、空手の有段者らしく、軽くぶつかった時に身体がガチガチでびっくりした。実は強い者の余裕なのか、いつも穏やかで優しい。

 実は、おれは鷹端さんに特別な感情を抱いている。誰にも言う気はないけれど。


「庸太ちょい背が伸びたんじゃないか?」

「わかる!?」


 鷹端さんが後部座席のおれを見て目を細めた。本物の兄は大雑把で俺が変わったかどうかも気にしてないから、気付いてくれる鷹端さんが好きだ。理想の兄って感じ。そう、理想過ぎて困ってしまう。平常心平常心。


「声も変わったなー。中学ってこんな感じだっけ」

「すぐ追いついちゃうよ」

「庸太はいつまでも変わらないだろ」


 感心してくれる鷹端さんにくすぐったい気分で笑っていると、兄が混ぜっ返してくる。最近は大学とバイトと遊びで忙しいとはいえ同じ家だから、鷹端さんよりは遭遇頻度の高い兄に変化がわからないのも仕方がない。にしても言い方があるだろうに。


「兄ちゃんは黙っててよ。おれ、鷹端さんと話してんだから」

「コタローの前でう◯こ触りして、泣きべそかいてた、お前を、車に乗せてやった優しいお兄様に向かって偉そうだな」

「見つけたのは俺だけどな」

「鷹端さん……」


 兄が嫌味ったらしく情けないおれを強調するのにイラッときたが、やはりおれの救世主は鷹端さんだった。どうして兄のような人間とつるんでいるのかわからないけれど、おれにとって理想の人だ。

 おれと兄の立場が逆だったら、鷹端さんと学校でも遊びに行くのもおれが一緒にできたのになぁ。


 今日はコタローのせいで散々だったけど、最後に鷹端さんに会えて嬉しかった。

 おれとコタローを家に送り届けると、二人でどこかに行ったから、車に乗ったときに温まった心もすぐに冷えてしまった。もっとおれが大きかったら二人と一緒に……兄のように鷹端さんと付き合えたのだろうか。


 いつの間にか憧れを超えてしまった鷹端さんへの想いは、明確に初恋だとわかるようになっていた。

 今どきゲイだからってひた隠しにしなきゃならないことでもないのだろうけれど、自分が普通と違うと気付いてしまうのは切ない。

 友達の弟程度の立ち位置のおれが、鷹端さんの恋愛対象になるわけもないし……。

 おれの想いは、寒風のなか突き進んで行き場をなくした今日のコタローのようだ。違うのは迎えなど来ないということ。


 声も変わって、背が伸びても六歳の差は縮まらない。

 兄の学部は男が多いらしいけど、同じキャンパスには女性の多い学部もある。空手をずっと続けていて、今は子供に教えるのを手伝っていると聞いたから、憧れてるやつなんかいっぱいいるんだろうな。

 空手……今からでもやってみようかな。




「兄ちゃん。鷹端さんってどこの空手道場なの?」

「お前空手習いたいの? 無理だろコタローにも勝てないのに」


 おれと違って体格のいい兄に鼻で笑われてムッとする。歳がはなれているからか、いつまで経ってもおれのことを幼稚園児みたいに扱ってくるから腹が立つ。

 だけどそんな態度も、鷹端さんも内心では同じようにおれのことを見ているんじゃないかという不安にもなって、情緒はめちゃくちゃだ。込み上げてくる涙が悔しくて、誤魔化すように叫んでしまう。


「いつもいつも馬鹿にしやがって! 兄ちゃんのバーカ! 大っ嫌いだ!!」

「なっ、え、庸太、え? まて」


 兄の部屋のドアを乱暴に閉めて、コタローを連れて外に出た。相変わらずぐいぐい引っ張っていくコタローについていきながら、我慢していたけれど他人の気配がないことから、兄の言葉が図星すぎて泣けてくる。

 コタローがおれを引っ張るのに疲れたようで、河原の道で横たわった。今日は風もなくポカポカと温かい。


「コタロー、おれそんなに弱っちい? 鷹端さんが好きでもべつに守って欲しいとかじゃないんだよなぁ……対等になりたかったら鍛えるしかないのかな」


 おれは運動音痴で、体育のたびに動きが変だと笑われてしまっていた。身体を動かすのは嫌いじゃないけど、他人に笑われるんじゃないかという気持ちが強く出て足を踏み出せない。

 ジムでトレーナーについてもらうようなお金もないし、もうぜんぜん駄目だ。


 好きな人に振り向いてもらいたいなんて贅沢は言わないから、せめて六年後、おれが大きくなった時、対等に見てもらえるようになりたい。

 ジャケットの袖から自分のひょろひょろの腕を出して、情けないなぁと悲しい気持ちになっていると、影がさした。曇ってしまったのかと思ったら、自転車に乗った鷹端さんだった。コタローが立ち上がって尻尾を振っている。頭を撫でられてて羨ましい。


「あ、こんにちは」

「こんにちは。またコタローに手こずってたの?」

「そんなもん。情けないよね……」

「なんで? いつもコタローの散歩に付き合ってあげて偉いよ」


 鷹端さんがおれの頭も撫でてくれる。嫌だ、涙が出そうだ。


「おれ、空手習いたいって思ってたんだけど、兄ちゃんに馬鹿にされて。運動音痴だから」

「俺が教えてあげようか? 個人授業的な感じで」

「いいの!?」

「いいよ。ちょうどバイトの予定がなくなったとこだから、この春休みに基礎だけ教えるから、あとは自分で道場通ってもいいしエクササイズ的に使ってくれてもいいし」

「ありがとう!!」


 あとから聞いたところによると、実はブラコンな兄がおれに嫌われたからと鷹端さんに泣きついたから、そういう流れになったようだった。

 ちなみに、鷹端さんは大学の近くで一人暮らしをしていて、移動手段はもっぱら自転車だったから、通りがかっても違和感はない。むしろ鷹端さんに偶然出会えることを期待して、コタローの散歩をしていたのもある。


 鷹端さんはおれの奇妙な動きを馬鹿にすることもなく、どうしたら無駄な動きをしないでいられるか考えてくれた。その時の教えのおかげで、おれは体育の授業で笑われるような動きをしないよう、意識することもできるようになった。運動音痴に変わりはなくても、授業中に緊張することもなくなって気持ちが楽になっていった。


 もちろん鷹端さんが手取り足取り教えてくれる日々は、思春期のおれに刺激が強くて夢の中はどピンクだった。自分の性的指向について、憧れを勘違いしているんじゃないかという期待は、ガチでしたね……という諦観に変わった。


 今日が最後という日、おれは一生ぶんの勇気を振り絞った。といっても告白するわけではない。鷹端さんの恋愛事情を聞き出したかったんだ。


「鷹端さんはカノジョとか、いないの?」

「なんだよ藪から棒に。もしかして庸太、好きな子でもいるのか?」

「質問したのはおれだよ。……おれだって好きなひと、ぐらいいるし」


 トレーニングはコタローの散歩のついでに河原でやっていた。雨が一度も降らなくて、春休み中ずっと、休みなく見てもらえたのは幸運だった。

 もう夕方で薄暗くなってきているから、おれが真っ赤になっているのは見えないはずだ。


「その人のために、強くなりたかったのか?」


 おれの顔色が見えないということは、鷹端さんの表情もよく見えない。不意に真面目な雰囲気になって戸惑う。

 兄に探るように言われているのかもしれない。年の差もあってあんまり逆らっていなかったから、空手の件でおれが怒鳴ったのは兄にとってもショックだったようだ。


「えっと、うん……強くないと、だめだから」

「庸太が好きな子は、庸太が強くないとダメなんて言うような子なのか?」

「そんなんじゃなくて、おれが、だめだと思って」

「庸太はいい子……いい男だよ。人が嫌がることはしないし、コタローにも優しい。今でもお母さんの手伝いしてるって聞いてるよ。俺も庸太の作るご飯食べたい」


 運動音痴なおれだけど、インドア作業は好きで色々なことをしている。簡単な棚を作ったり、壁紙を張り替えたり、料理をしたり。母がアイデアは出すけど動きたくない人だから、いつのまにかそうなっていた。色々作るのは楽しいから文句はない。

 だけどそれが鷹端さんに知られているとは思わなかった。

 真剣に褒められてる雰囲気に心臓がいつもの倍ぐらいの速さになっている。どっか血管が破れてピューッと出てきそうだ。


「へっ!? た、食べたいなら来てくれたらいいのに」

「作ったら呼んで。颯太いなくてもいいから」

「あ、う、うん」


 トレーニングが終わったらもう頻繁に会えないと、泣きたい気分だったのが霧散していく。兄抜きでもまた会ってくれるなんて嬉しい。


「庸太が嫌じゃなかったら勉強も見てやるよ」

「ほんと!?」


 嬉しすぎる提案に飛びついてから、他人の目がない室内で平静でいられるか心配になる。だけどこんなチャンス逃せるはずがない。相変わらずガッチリしてて、おれが飛びついてもびくともしない鷹端さんはかっこいい。


「頑張ってうちの大学入ったらいい」

「え、それはちょっと難しくね?」

「俺が院まで行けば同じキャンパスになれるな」

「ふぉ!?」


 六歳年上だから一緒の学校に通うなんて無理だと思っていたけど、鷹端さんの学部は六年制のところだ。おれがストレートで入学できて、鷹端さんが大学院に行けば一緒の大学で?

 諦めかけていた恋心がメラメラと燃え上がる。


「頑張る!! 鷹端さん、おれ頑張る!!」

「おお、頑張って」

「今日はカレーだけど食べてく?」

「行く」

「帰るぞコタロー! 立てー!!」


 おれの戦いはこれからだ!



 ◇



 友人の弟が可愛い。

 最初は犬目当てで訪れた友人の家だったが、本物の犬よりも犬らしい弟の庸太の登場に心臓を撃ち抜かれた。犬の名前はコタローという。犬なので可愛いと思えるが、コタローの性格はかなり微妙だ。

 一方庸太は、あまりの可愛らしさに、しょっちゅう今は何をしているのだろうと考えるようになった。友人である颯太に、弟君はどうしてる? と話を振ると、まんざらでもない様子で彼の話をしてくれる。六歳も離れていると、弟が赤ん坊の頃の記憶も鮮明で、可愛くてたまらないようだ。いや年齢差だけの問題じゃない、庸太は世界一可愛い。


 庸太は、兄である颯太が一七八センチの身長に筋肉質な体型をしているにもかかわらず、同じ兄弟に見えないほど幼くて身長も成人女性の平均あるかないかだ。だからといって女の子に見えるような雰囲気でもなく、そう、ひたすら子犬を連想させる。

 彼ら兄弟の家で飼っているふてぶてしい犬、コタローだって犬好きの俺には可愛くて仕方ないのだが、誰だって成犬より子犬のほうが可愛く見えるものだ。

 俺を見る目は飼い主へおやつをねだる子犬のようにキラキラと輝き、些細なことで誉めると全身で服従している気持ちを表現する。飲み込みも早くて、俺がこうしたらいいよと与えた言葉を二度は繰り返させない。


 俺は垂れ目で頭が小さめだから、実際よりも小柄に見られるし、弱く見積もられることも多い。だけど弱そうな顔立ちのせいでいじめられないか心配した親に、幼少期から空手を習わされたおかげで腕にはそこそこ自信がある。さらに礼節にもうるさい。表に出すことはないが、年下のくせに最初からタメ口をきいてくるような相手は、名前を覚える価値なしのカテゴリーに放り込んでいる。


 その点、庸太はたどたどしくはあったが、慣れない敬語を一生懸命に使っていた。顔を合わせると挨拶をしてくるのも素晴らしい。

 自分でも知らなかったが、俺は他人相手に望むことが意外に多かったようだ。さらに意外なことに、俺のこだわりポイントをほぼ全て庸太はクリアしていた。

 ちなみにある程度慣れてからは、俺から敬語はいらないと言ってある。その時の嬉しそうな庸太の顔はできることなら撮影しておきたかった。


 ここで一つ言っておきたいことは、俺は断じて変態ではなかったということだ。思春期に入る中学頃から周りにはなんとなくいい雰囲気の女の子がいて、物語のような恋愛ではなくても、それなりに楽しく異性交際をしてきた。出会いがあれば別れもあり、それはクラスが離れたとか進路が分かれたとか、忙しくて会う時間も取れないからとか、そんなふうに離れていった。

 男友達と馬鹿な話をしているのも楽しくて、それが理由で振られたこともある。友達と恋人どちらが優先なのと聞かれて、先に約束した方を優先すると答えたら振られた。あれは非常に腹立たしかったし、しばらく彼女なんていらないと思ったものだ。

 女の子を可愛いと思う気持ちはあるが、それに伴う責任が面倒だと考えるようにもなった。大学ともなると、将来を考えた付き合いを求められることもプレッシャーになった。勉強と生活と多少の遊びに追われる日々に、他人の未来まで負わされるのは真っ平御免だ。

 我ながら嫌なやつになったものだと、内面を誰にも見せないように取り繕っていた。颯太は裏表のない奴だから付き合いやすく、気が向いたら彼のやりたいことに乗っかる形で遊んでいた。

 颯太の弟である庸太もまた、感情を顔……というより全身で表している。裏も表もなく、俺に対して理想の兄を見ているようだった。ブラコンの颯太にも気付かれて露骨にいじけられたが、面倒臭いと思いつつフォローをした。勝者の余裕だが、そんな内心の優越感はバレていないはずだ。たぶん。


 そんな、他人の都合を考えるのが嫌だなんて子供じみた意地で女性を遠ざけていた俺が、庸太の都合には全力で力を貸したくなった。断じて近くで見ていたいというわけでは、ちょっとだけそんな感じもあるけれど、……ちょっとだろうか……。

 俺はショタコンの変態になってしまったのだろうかと不安になったが、庸太ぐらいの年代の、他の少年を見ても欲情はしないからホッとした。きっとアイドルを推すような気持ちだろう。きっとそうだ。俺限定アイドル庸太。

 ……たまに夢に出てくる時に怪しい雰囲気なのは、アイドルのグラビアと混ざって脳がおかしな反応をしているからだろう。夢と現実は違う。


 そんな俺の推しである庸太は、驚くほど運動音痴だった。身体の動かし方を頭で理解しても、身体がついていかない。俺は一つ一つの姿勢を覚えさせるために、文字通り手取り足取り教えていった。

 身体に触れてみると、細く締まった感触に改めて女性ではないことを実感する。それでも可愛いと思う気持ちは消えなかった。女性アイドルにハマったことはないけれど、ハマった友人は彼女が何をしていても可愛い最高と言っていたから、同じようなものだろう。

 庸太は何をしても可愛いし最高だ。俺を信頼しきったキラキラしたまなざしで見てくれるのも、自尊心が最高に満たされてさる。期待に応えるために頑張れる。いいことづくめだ。


 庸太に頼まれたトレーニングの期間も終わりが見え、これからどうやって合法的に、個人的推しアイドルである庸太に会ったらいいか考えていたとき、思いがけないジャブを食らった。


「鷹端さんはカノジョとか、いないの?」


 庸太がしばらく目を泳がせたあと、何かを決心したように俺を見上げて聞いてきたから、ドキッとしてしまう。ちょっと待ってほしい、心の準備ができていなかった。いや心の準備って何だ、べつに自分の現状を話すぐらい問題はない。でも、庸太を推す気持ちが強すぎて、恋人を作る隙がないとか言えないし。


「なんだよ藪から棒に。もしかして庸太、好きな子でもいるのか?」

「質問したのはおれだよ。……おれだって好きなひと、ぐらいいるし」


 ずるい逃げ口上は庸太の爆弾発言で吹き飛ばされた。好きなひとがいる!? 俺の庸太が他人のものになるのか!? いやまて俺のってなんだ。俺の推しってことだ。俺のものってことじゃない。俺は何を考えているんだ平常心を思い出せ!!


「その人のために、強くなりたかったのか?」


 庸太はたしかに肉体的には強くないし、精神も年相応だけど、この先きっと強くなれる。俺の教え方は推し相手だからといって優しいわけじゃないのに、一生懸命ついてきて、この短期間でものにした。


「えっと、うん……強くないと、だめだから」


 誰だ庸太に強くないと駄目だなんて言ったやつ!

 そんなやつより、俺の方が……!? 俺の方がなんなんだ?

 落ち着け俺、いつもの庸太の憧れのお兄さんを演じるんだ。お兄さんは年下の恋バナに慌てたりしない。


「庸太が好きな子は、庸太が強くないとダメなんて言うような子なのか?」

「そんなんじゃなくて、おれが、だめだと思って」


 誰かに言われたわけではなさそうだ。でも庸太の好きな子ってどんな子なんだろう。男の好みなら、好かれてる自信があるし俺だろって言えるけど、そんな都合のいいことあるわけないしな。都合がいいってなんだよ俺。

 アイドルだって恋愛していいし、幸せになる権利がある! そんなことで俺の庸太を推す気持ちは変わらない……はずだ。


「庸太はいい子……いい男だよ。人が嫌がることはしないし、コタローにも優しい。今でもお母さんの手伝いしてるって聞いてるよ。俺も庸太の作るご飯食べたい」


 庸太の恋が実ってしまったら、俺に懐いてくれる頻度も減るのだろう。そう思ったら、前々から颯太に自慢されていた庸太の手料理を思い出した。

 誰かのものになる前に庸太の全てを堪能しておきたい。

 や、やましい気持ちではない。ちゃんと庸太の恋は応援する、うん。

 でもまあ初恋は実らないとも言うし、庸太が恋にやぶれて傷心になったら、そばにいて慰めてやらないと。颯太みたいながさつなやつには無理だろうから、庸太の理想の兄である俺の役割だよ。うん。


 庸太の泣き顔はまだ見たことがないなんて思いつつ、俺は喫緊の問題である、今後も頻繁に会いたいという目的を叶えるために策を弄するのであった。

 五年後、十八になった庸太に押せ押せに迫られるとも知らず。

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