洞窟で1
同世代の洞窟探検家の中ではそれなりに有名でTVにも出たことがあります。
私は駒澤大学に進学して探検部というサークルに入った。その活動の中で、ケイビング(洞窟探検)にハマって日本各地を探検した。 洞窟は大きく分けて火山の近くで熔岩が流れた後にできる熔岩洞窟と、石灰岩が水で侵食された鍾乳洞の二つに分類される。
大学卒業後もフリーターとして活動した私は、鍾乳洞のスペシャリストとなり、母校以外の大学の探検部や洞窟研究会の合宿にも招聘されることもあった。ケイバ―(洞窟探検者)として屈指の経験と実績から、その当時、もしオリンピックにケイビングという競技があったら、日本代表に選出されていただろう。
岡山県の阿哲台というカルスト台地(石灰岩が起立した山岳地帯)で、岡山大学が主催した合同合宿に参加したときのことである。
ゴンボウゾネの穴と本小屋の穴という阿哲台を代表する大洞窟が、洞窟の内部の水流部分で繋がっているのが発見されたばかりの時であった。私は本小屋の穴に入って、連結されているとう噂の最奥部の狭い水流部分を見て、ここを突破するとは岡山大学恐るべしと思った。
その次の日、私はゴンボウゾネの穴に入った。洞窟の奥まで行って洞口に戻っていく道筋で、水流が吸い込まれる狭い空間を指差し、岡山大学のO川が言った。
「ここ抜けるとホールがあって、その先の水路を抜けると本小屋に出られるんだ」
「へえ、そうなんだ」
それを聞いた私は、噂の通り抜けを体験してみるかと水路の長さも聞かず、仰向けで足から幅六十センチ、高さ四十五センチくらいで、天井までの空間が三十センチほどしかない狭い水路に突入した。
私はやばい時は戻り易いように、足先で水路の曲がり具合を確かめつつ進んだ。なかなか水路を突破できず、結構長いなと思っていたとき、ずっと天井に当たっていた足先がふっと当たらなくなった。
やっとホールに抜けたのかと思った私は一気に身体を前に出したが、そこはホールではなかった。ちょっと天井が高くなっていただけだったのだ。勢い余って水路の水流に顔が沈んだ次の瞬間息ができなくなった。被っていたヘルメットのつばが天井に当たって、鼻と口が水面より下になってしまったのだ。
慌ててヘルメットを脱ごうとしたが、焦っている上に、革の顎ベルトが水を含んでうまく外せない。私はこんなちんけな水路で死んでしまうのかとパニックに陥ったが、さっきホールと勘違いした場所まで行けば、天井が高くなっているのでヘルメットのつばが出て呼吸ができるはずだと気づいた。
私は空気を求めて必死に狭い水路を這いずった。バコッと音を立ててヘルメットの鍔が岩肌の天井がやや高くなった場所に食い込み、水面からなんとか鼻と口を出すことができた。私はブファと吸い込んだ水を吐き、何度か深呼吸して私はヘルメットを外した。ヘッドライトで水路の先を照らすと、天井までの隙間は十センチほどしかない。
私は後戻りするか先に進むか迷った。水流はゴンボウゾネから本小屋に流れ落ちている。後戻りするということは水面と空気の隙間がないさっきの場所を水流に逆らって進むということだ。私は前進することにした。
水面から天井までは数センチしか無く、鼻が天井をこするようなところもあったが、ゆっくりと息をしながら進んだ。しばらく進むと、また足先に何も当たらなくなった。今度こそホールに違いないだろうと慎重に進むとホールに出た。
私はホールを流れる水路の先を見て泣きそうになった。スタートから天井と水路の隙間が三センチもないのだ。この先の水路の状態も分からない中、入り口からこの狭さでは自殺するに等しい。かといって、あの水路を戻るのも気が引ける。
私が途方に暮れていると、頭上から岡山大学のO川の声がした。
「ここまでは、無理して水路行かなくても上から来られるやよ。今日、水多いから大丈夫かなって心配してたんじゃ」
私は「ふざけんな。最初からそう言えよ」と怒鳴りそうになったが、これで生きて帰れると正直ホッとした。
チープなスリルに命賭けていたなと思います。