記憶喪失
あのとき、私の体は誰かに乗っ取られていたのかもしれないと思います。
中学校三年の時、サッカーの試合でのことである。相手選手のパスを防ごうとしてコースに入ったところ、顔面に強烈なボールを浴びてひっくり返り、地面に後頭部を強打した。あまりに痛いので下がって試合を見ていたのであるが、それからしばらくして記憶が無くなった。
私は記憶喪失になってしまったのだ。しかし、感覚が無くなってしまったわけではなかった。目を開いているのに全く光も刺さない漆黒の空間の中で、肌にあたる風の感触から体が動いていることは分かった。
だが、私は夢遊病者のようになったわけではなかった。試合が終わって皆が自転車に乗って皆が帰ろうとする中、私は「ぼくんちどこ?」と近くの友達を呼び止めたという。
私の意識は暗闇に押し込められてしまったが、私の躰を乗っ取った何者かがそう口にしていたのだ。友達は最初ふざけているのかと思ったらしいが、ところがどうやら本気らしいので、友だちが家に連れて行くと日曜日なので父がいた。
すると私モドキ(私の躰を乗っ取った何か)は「こんなおじさんしらない」と父に向かってそう言ったそうだ。びっくりした父がすぐに病院に連れていったところ、入院して様子をみましょうということになった。
体を完全に私モドキに支配された私の意識はどうなっていたかというと、音のない暗闇の中で喜怒哀楽の全てを感じることもなく浮遊していた。私はただ漆黒の暗闇の中にいた。
その間、私モドキは、食べたいと思ったものを食べ、欲しいものを要求して手に入れていた。厳密には死にかかったとは言えないかもしれないが、私はこの世から消滅していた。
しっかりとした病院に入院していたら、もしかしたら私はそのまま永遠に闇の中を浮遊し、この実体験を綴ることもなかったかもしれない。
だが、入院したのは藤沢の駅に近い立地ながら、ヤブで有名な個人病院で昭和のうちに廃業して無くなったB府病院だったからである。当然ながら看護婦さんの質も悪く、点滴の針を腕の血管では無く、肉に刺していた。
私に残されていた唯一の感覚である肌から痛覚が伝わってきた。それと同時にそれまで真っ暗だった私の意識が漂っていた空間に、光が射してきたのである。
痛みがどんどん強くなってくるに従い、光もどんどん強くなり暗闇から外に出たと思ってしばらく光の中にいると、だんだんと視力が戻って来た。見慣れない天井の様子に、ここが家ではないことがわかった。何人もの人がベッドに横たわっているので、病院なんだと把握して、ふと目をやると母が憔悴して横に座っている。
何が起きたのかさっぱり分からない私は、病院のベッドの横に座っている母に「お母さん、どうなってるの」と声を掛けた。
驚いて顔を上げた母は「あたしが誰だか分かるのかい」と興奮して聞いてきた。
「お母さんでしょ、それより右手が痛いんだけど」と私が言うと、点滴失敗のせいで右腕が左腕よりも明らかに太くなっていたのを見た母は、「まあ、大変」と看護婦さんを呼びに行き、点滴が外された。しばらくして主治医がベッドの横にやってきた。
「二日前、問診したの覚えている」
ドクターの言葉を聞いた私は、四十八時間以上、躰を私モドキに奪われていたことを知った。
私が「いえ、全く覚えていません」と答えると、医者は一時的な脳震盪だと診断して、あと二十四時間様子を見ましょうと言った。ベッドに戻ると、私モドキが欲しがったのであろうグッズを見て、小学生くらいの精神年齢かなと私は思った。
もし点滴が正確に刺されていて、もっと長い時間暗闇に閉じ込められていたら、私の意識は無事でいられたのだろうか。喜怒哀楽の感情を失い漆黒の空間を無限に浮遊し続けていたら、自我を保っていられたのだろうか。思い出すだけでぞっとする。
私の身体を乗っ取っていたものは、いったい何だったのだろう。
藪医者に感謝です。