新入社員歓迎コンパ
これは実話である。ある種の自伝と言ってもいい。
私がまだ大学生だった頃、渋谷で手相を見てもらったことがある。
「冒険者と女難の相が出ています」
まだ二十代前半だった頃、渋谷の街角で手相を見てもらったとき、私に対して占い師が発した第一声である。占い師は続けて言った。
「何度結婚しても、家事ができるお嫁さんは来ません」
家事が出来ない嫁が来ることが女難なのかと考えたが、冒険者の相については大学で探検部に所属し、チープなスリルに命を懸けていたので当たっているなと納得した。探検部の活動中に同期が死んだこともあり、いつ死ぬかわからないような男は彼女なんて作っていけないと思い女性と関わることを避けていたが、個性的な女性と関わる事が多いので女難も当たっているかもと思った。
妹と一緒に街角で姓名判断をしてもらったときのことである。私の名前を書きとめた易者は漢字に数字を振ると、信じられないという表情で、「もし、空から物が落ちてきたとしたら、どんなにたくさん人いても必ず貴方に当たるでしょう。信じられないでしょうが、それくらい悪い画数です」と言った。
私はあまりの言われようにその場を後にし、いくつか姓名判断の本を読んでみたが、どの本にもいいことは書いておらず、ある本には最悪の画数として「不運災難運」とネーミングされ、「生涯艱難辛苦に襲われ、ほとんどの人は不遇のうちに一生を終える運命、家族との縁も薄い」と記載されていた。
私は手相と姓名判断の暗示のせいなのか、少なくとも十回近く死にそうになった。今や内臓も一つ無く、全身の縫い傷は六十針を超えている。
しかし、どんなに死にかかっても、特に後遺症もなく普通に活動していたので、洞窟探検家として活動中だった当時に放映されてヒットしたブルース・ウイリス主演の映画から「ダイ・ハード(直訳・死ぬのが難しい=なかなか死なない)阿垣」と呼ばれ、大学の後輩たちの間では不死身の人として伝説と化した。
だが、どんな人間でも不死身あるはずはない、いつか死ぬ。なので、実際に私を襲った災難と思えるものを文字に残すことにした。
全て私の日常生活の中で起きたノンフィクションであり、創作したものではないので小説とは言えないが、現実は小説より奇なりと言う言葉を地で行ったような半生だった。
私を襲った苦難が読んだ人にどんなメッセージを与える事ができるのかはわからない。だが、何度も苦難に見舞われても、諦めることなく歩んでいれば、なんとか生きていけるとは断言できる。
後輩には先輩ネタ多すぎと言われたので、生命の危機を感じた冒険者編は同系列の話を重ねることを避けるため時系列を無視したが、女難編はできるだけ時系列に沿ってまとめてみた。
今から三十数年前、大学を卒業した私は地元神奈川の湘南H電気に就職した。横浜営業所に配属が決まり、新入社員歓迎コンパが行われた土曜日の夜のことだった。酎ハイの一気をさんざん繰り返したあげく酔い潰れた私は、茅ヶ崎市に住んでいる先輩にJR東海道線で藤沢駅までは送ってもらったらしい。
自宅の最寄り駅は藤沢駅から小田急線に乗り換えて、一駅行った藤沢本町駅だから大丈夫だと言って別れたらしい。泥酔していて記憶が無いので「らしい」としか言えない。いつの間にか横になって寝ていた私は気持ちが悪くなり、目を覚まして白い天井が広がっているのを見て、自分の部屋ではないことに気がついた。
正気を取り戻した私は強烈な吐き気に襲われ上体を起こして、身体にかけられていた毛布の上に嘔吐してしまった。それがゲロではなく血だったことに私はびっくりした。そして、私の異変に気付いて看護婦さんがすぐにやってきたので、ここが病院であることを知った。
看護婦さんは血に染まった毛布を見て、「大変!」と叫んで慌てて取り換えている。私は何が何だか訳もわからず、ぼんやりとその作業を見ていた。
「患者が血を吐いたんだって」
ドクターが急いでやってきて、私に尋ねてきた。
「昨晩、入院したとき、お腹が痛いって言ってたけど、今はどの辺が痛いの」
そう言われても私にはドクターと会話した記憶がない。私はしゃべるのも鬱陶しいほどだるく、「い、今はあまり痛くないです」と短く答えた。
「君ね。昨日の晩、警察の人に連れられて、この病院に来たんだよ」
ドクターの話によると、小田急江ノ島線桜ケ丘駅に荷物一式残し、藤沢方面に向かって線路の上を歩いていたところを巡回していた警察官が確保して、派出所で職務質問していたところ、急に苦しみ出したので病院に連れてきてくれたらしい。
そう言われた私は、派出所で腹が痛くなり、のたうち回ったのを思い出した。四月に赴任したばかりで、職務に燃えて夜間巡回していた新任警察官に発見された。私は運が良かった。線路から側道に降りると、そのあとすぐに終電が通過して行ったからである。警察官に発見されるのがもう少し遅ければ電車に撥ねられて即死だったろう。
派出所で「救急車呼ぶか」と警察官に尋ねられた私は、痛みをこらえて「いえ、歩いて行けます」と言って、警察官に付き添われ、駅からも近いS中央病院に向かったことも幸いした。
救急外来に出た当直医には、私はただの酔っ払いにしか見えなかったようだった。受け入れを拒否しようかと思ったそうだが、警察官が一緒だったので、追い返して後で面倒なことになるよりはと入院させてくれたからだ。
「血圧測って」とドクターの指示で看護婦さんが血圧を測り、「上が八十で下が三十です」と報告した。私は元々貧血の気があり、上が百を切ることもあったが、その時はいつもよりちょっと低いなと思っただけだった。
CTスキャンもないような時代である。しかも、私が酔っ払っていたので、まともに問診もできなかったドクターは盲腸と判断した。
日曜日の朝早く、警察から連絡を受けた母が病院にやってきた。それからしばらくして、私のベットの周りに数人のドクターが集まって来た。
「今日は日曜日で本当なら外科医が一人しか出勤しない日なんだけど、土曜日に盲腸の手術ができなかった子のために皆集まっているからラッキーだったね」
ドクターにそう話しかけられて私は、小学生らしい男の子が苦しそうに唸っているのに気がついた。ただ、病院で血を吐いてぐったりしている事は、とてもラッキーだとは思えなかった。
「こっちの方がやばいね。血圧測って」
外科医のリーダーらしきドクターの指示で血圧を測った看護婦さんが、驚きのあまり叫ぶように言った。
「先生!血圧の上が四十八で、下が測れません」
ハリウッド映画「ワールド・トレード・センター」でニコラス・ケイジが演じていた奇跡的に救出された瀕死の消防士でも血圧の上が八十で下は三十であった。それを思うと、私は死んでもおかしくない状態だった。もはや痛みは全く感じなくなり、手足も動かせなくなっていた。
「「盲腸が破裂したのかもしれない。こっちの方が先だ」
ドクターは苦しんでいる小学生よりも、ぐったりしている私を優先的に手術することを決断した。
「これ手術の承諾書だけど書ける?」
ドクターには申し訳ないが、もはやしゃべることすらままならい。
「かっ、かっ、勝手にやってください」
私はどもりながら声を絞り出すのがやっとだった。
人の不幸は面白いと言います。嘘みたいな本当の話を楽しんでいただければと思います。