長文タイトルやテンプレが愛されるヒミツ!
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「顔が左右対称の人がなぜ美人と呼ばれるか」を調べていたら興味深い見解があった。
人間の脳は莫大なエネルギーを使うため、認知負荷の低いもの、つまりわかりやすいものを好ましく思うそうだ。
ゆえに顔が左右対称の人は認知するためのリソースが半分で済み、美人と呼ばれる。
これは小説も言えることだと思う。
よくあるのが「作者が本気を出して書いた作品はつまらない」ということだが、これは読者(大衆)にとって認知負荷が高いため、つまりわかりにくいため評価されにくいのではないか。
具体例を挙げれば、シャーロック・ホームズを生み出したコナン・ドイルがこれにあたる。
彼は元々歴史小説を書いていたが、小遣い稼ぎのつもりで書いたシャーロック・ホームズシリーズのほうが売れてしまい、「シャーロック・ホームズの生みの親」になった。
小難しい歴史小説より超人シャーロック・ホームズが次々に難事件を解決するほうが大衆にとっては面白かったというわけだ。
このことからも、長文タイトルやテンプレを使った認知負荷の低いネット小説が読まれると言えるだろう。
もう少し詳しく考えてみよう。
ネット小説はラノベなどの書籍と違い、表紙がないため一目でどんなものなのか判断しにくい。
判断するためには中身を読まなくてはいけない。
凝った作品であればあるほど、その作業は過酷なものとなる。
なぜなら読み解くのに労力がかかるから。
これが認知負荷が高いということだ。
モナリザよりソシャゲキャラのエッチなイラストのほうが好きな人はたくさんいるだろう。
これも認知負荷の問題によるためだ。
モナリザは非の打ち所がないほど美しいのだろうが、具体例にどう美しいのか、私にはわからない。
だからどんなにモナリザの芸術的価値が高かろうと、ソシャゲキャラのエッチなイラストより関心が高くなることはない。
好きなイラスト、好きな小説というのは見慣れているor読み慣れているものなのかもしれない。
まとめると、大衆受けを狙うなら、より認知負荷の低い(わかりやすい)ものを作ればよい。
作家は慣れている分認知能力が読者より高いため、なぜ長文タイトルでないと読者が読まないのかが直感的に理解できず、「読者のレベルが低い」などとついつい批判してしまう。
しかし、ネット小説は無料で誰でも読める。
ゆえに、有料の書籍よりも大衆向けのコンテンツだ。
この差があるから長文タイトルやテンプレに沿った作品が量産されやすく、評価されやすい。
なぜならその作品の評価を決めるのは読者だからだ。
そして作家は評価されやすいものを書きたがり、そういったものが生き残る。
読者が作品の価値を決める以上、より認知負荷が低くわかりやすい大衆向けの作品のほうが評価されるのは至極当然のことである。
この一連のエッセイも文字だけだから認知負荷が高いが、イラストつきであればもっと多くの人に理解してもらえるだろう。
認知負荷の高低によって世間からの評価が変わるとは、つまりそういうことだ。