出発
「ツバサ……、ツバサよ……」
誰か……俺を呼んでる? 何だか聞き覚えのある声のような気が……。
「ツバサよ。ワシじゃ、シトラじゃよ」
うーん……シトラ?
――あっ、思い出した! この聞き覚えがあると思ったこの声の正体はいつかの神様だ。
「お久しぶりです!」
「いやぁ……いきなりスマンのぅ。久々にお主と少し話がしたいと思って、夢の中にお邪魔させてもらったわい」
神様ってそんなことまでできるのか……。
まぁ、冷静になって思い返してみれば最初に会ったときも俺の心の中を好き勝手に覗いていたし、それほど驚くようなことでもないか。
「そうでしたか。それはそうと、お話しというのは?」
「お主が異世界で暮らす様子をチラチラ見させてもらっていたんじゃが、ようやくあの森から出る気になったみたいじゃな?」
「はい!」
最近、森に来た三人組の怪しい男たちを撃退したことや、そいつらが落としていった地図を見て森の外にも興味が出てきたことを話した。
「そういうことじゃったか。ところでお主、ワシが思っていたよりも長くあの森におったようじゃが、森での生活はそんなに良いものじゃったのか?」
「誰にも邪魔されることなく魔法や棒術の鍛錬に没頭できる環境でしたし、サバイバルな生活も俺にとっては新鮮だったしで割と充実していたと思いますよ?」
事実、魔法やらサバイバルといった新体験に囲まれた環境に身を置いて、気がつけば二年が経っていた。その甲斐もあって、魔法・体術ともにそれなりに強化できたと思う。
あとは――新しい自分の身体の成長もじっくりと観察することもできたし……。
「あまりにもお主が森から出ようとせんから少し気になっていんじゃが、その様子ならば心配は無用のようじゃな」
「あっ、いえ……何だか余計なご心配をおかけしてしまったようで……」
「別に気にせんでも良い。元はワシが自由に生きてほしいと言ったんじゃからのぅ」
いやー、まさか俺の知らないところでそこまで心配されていたとは……。
とは言え、これまでの生活を改めて思い返してみれば、いわゆる人間社会から孤立しっぱなしのままだし心配されても当然か。
「さてと心配はいらんかったとわかったことじゃし、ワシはそろそろお暇するとしようかのぅ」
「俺なんかのこと気にかけてくれてありがとうございます。――あっ、最後にひとつだけお聞きしても良いでしょうか?」
今回はたまたまシトラ様の方から俺に会いに来てくれたから再会が実現したわけだが、俺の方からシトラ様とコンタクトを取る方法はないのだろうか?
こればっかりは、今のうちに聞いておくほかない。
「なんじゃ、そんなことじゃったか……。これは単なる偶然じゃが、お主が修行僧に近い生活を長く続けていたことで『信託』というスキルが付与されておる」
――!? そうだった……頭から抜けがちだが、シトラ様は読心術で俺の考えを見透かすくらいは容易いんだったな。
でも……だったら、わざわざ俺とこうやって会話して情報を聞く必要なんてあったんだろうか。
「そりゃ、コミュニケーションは大事じゃからなぁ。さすがのワシだって必要以上に他人の心を読んだりはしないぞ?」
「ははは……そうでしたか。それより、神託……ですか?」
「そうじゃ。そのスキルがあるならどこか教会に行って祈りさえすれば、今と同じようにワシと話せるじゃろう」
「そういうことでしたか。ありがとうございます!」
なるほど。つまり、シトラ様と何か話したい用事ができたときは教会を探せば良いというわけか。
まさか、俺が好きで続けていた生活の中で、俺自身ですら知らないうちにそんなスキルを会得していたとは……。
「それじゃ、ワシはそろそろ帰らせてもらうとしようかのぅ。ツバサよ、達者でのぅ。これからもその調子で頑張るんじゃよ」
シトラ様は最後に一言告げたあと、程なくして俺の意識の中からスーッと離れていった。
◇
翌朝、俺は眠りから目が覚めるなり、立ち上がって両手を組んで身体ごとぐーっと伸ばす。
昨日までに溜まっていた疲れも特に感じられず、調子はとても良さそうだ。
朝食を早々に済ませ、準備したポーチを腰に装着してから飛び出すように外に出たあと、冒険に出発するにあたって最後の総仕上げを始める。
「アースウォール!」
俺は土魔法で分厚い壁を築き上げ、自宅として利用していた洞穴の入口を塞ぐ。
さらに、その上から隠蔽魔法を使い、ここら一帯をカモフラージュさせる。
「よしっ、これで冒険に出るための準備もすべて終わったな」
万が一に備え、俺がここに住んでいた痕跡もしっかりと隠してから森の外に向かって走り出した。
「おぉ、すっげぇ……」
森を抜けた先で最初に見たものは、視界を遮るものが何一つとして存在しない広大な景色だった。地平線が横一杯に広がっており、見渡す限り平原がひたすら続いている。
続けて、そのまま空を見上げると雲一つない晴れ渡った空が広がっており、まるで太陽が俺の門出を応援してくれているようにも思えた。
この平原を進んだ先に俺のまだ知らない世界が待っている。
俺はそれだけを信じ、まずは地図で見たポロッサと呼ばれる街に向けた最初の一歩を踏み出した。
◇
「ふぅ……結構、歩いたよな」
俺はレアンの森を出てから一体、どのくらい歩いたのだろうか。
気づけば、前方だけでなく後方までもが地平線一色に変わり果てたばかりか、出発直後にはチラチラと見えた小動物の姿すら今では一匹たりとも見えなくなった。
おまけに陽も沈み始めており、このだだっ広い平原を少しずつ闇夜が侵食し始めている。
辺りも暗くなってきているし、今日はここらで歩くのはやめようかと思う。
早速、野宿の準備に移ろうかと思ったが、この近くには水辺も見えなければ木の実のような食べられそうなものも何一つとして見当たらない。まさか、森を出た先がこれほどまでに何もないとは、さすがに思ってもいなかった。
しかし、これを知ると獰猛な動物やほかの人間が俺が住んでいた森に来なかったことも十分に頷ける。
さてと……それじゃ、夕食の準備でも始めるとするか。
今日に限っては、アイテムボックスに食料を用意しておいた甲斐があったな。初日にして、危うく水や飯にありつけなくなってしまうところだった。
俺はアイテムボックスから適当に取り出した食材を火魔法で調理し、この誰もいない平原でひとり夕食を済ませる。
せっかく、俺がまだ知らない世界を求めて森から抜け出てきたわけだが、これではいつもと変わらない気もするが仕方がない。
それはそうと、外で一夜を明かすのであれば、何でも良いから何か身を隠せるものが欲しい。
今のところは野生動物の姿も見えないし安全だとは思うが、心身ともに休息することを考えると、不安要素はなるべく減らすことに越したことはない。
「どうせ一晩だけだし、こんなもんでいいかな」
俺は早速、土魔法を使って簡易的な小屋をひとつの小屋を築き上げた。
一晩だけ身を守ることができれば十分なので、内装は極めて単純で壁とベッドのみ。簡素なだけあってそれほど時間をかけずに作り終えたが、それでも作り終わった頃には辺りは完全に闇夜に侵食されていた。
無事、冒険の一日目が終わりを迎えようとする中、俺は大きく息をつきながら大の字になってその場に倒れ込んだ。
「うぉ……これはまたすっげぇ」
倒れ込んだ視線の先には、感動の言葉が漏れ出てしまうほどに満天な星空が広がっていた。
あの森はどこもかしこも生い茂る木々によって、空一面が観られる場所自体がなかった。生前の頃も天体観測に興味そのものがなかったから、当然、こんな満天な星空など観たことない。
俺はしばらく感動に浸りながら、ひとり静かにこの星空を堪能した。