冒険の準備
「さてと……それじゃ、早いところ下処理を始めよっかな」
予想外の来客対応でうっすらと疲れも感じるが、早速、獲ってきた鹿の下処理を始める。
下処理とは言っても、あくまで試行錯誤した結果で自己流にほかならない。実際、動物の下処理に関する知識は限りなくゼロに等しい。
それ故に初めて動物を獲ったときの肉なんか、とにかく獣臭で酷かったことを今でも鮮明に覚えている。
「このくらいでいいかな」
ようやく獲ってきた肉の下処理が終わった。最初の頃の手際の悪さを思うと、我ながらかなり上達したと感じる。
ひとまず、夕食で使う分だけ肉を切り分け、残った分は空間魔法で生成したアイテムボックスにしまう。
アイテムボックスとは、生成した空間にアイテムを自由に収納することができる空間魔法。
このアイテムボックスのいいところは単にアイテムを保管できるだけでなく、ボックス内に時間という概念が存在していないこと。つまり、ボックス内で保管している限り、どれだけ時間が経とうが品質劣化することがない。
獲ってきた肉をはじめ、色々な食材を劣化も気にすることなく保存ができるため、独り暮らしの生活において大変重宝している。
◇
夕食の調理を済ませ、俺は食卓についた。調理とは言っても、肉に森で見つけた香草を適当に振りかけて火魔法でただ焼いただけだが。
「いただきます」
早速、一口大の肉を口に運び、一回二回と咀嚼する。手早く作った割には上出来な味と感じる。
これは単に肉が新鮮だからというだけかもしれないが、全然悪くない。
何口か肉を食べ進めたところで、俺はさっき拾った地図に目を向ける。
ながら食いがお作法として悪いことはわかるが、ここには俺以外に人がいないしあまり気にしてはいない。
改めて地図を見てみると、俺が住んでいるこのレアンの森の位置だけが明らかに外れていることがわかった。
考えてみれば、俺が異世界に来てから約二年。今日に至るまで自分以外の人間を見たことがなかったが、この地形を知ればそれも頷けた。
それどころか、実際に地図を見たからかもしれないが、森の外がどうなっているのかも少し興味が湧いてきた。
森の外にどんな危険があるかはわからないけど、今日の三人組との戦闘を踏まえると今の俺ならばそれなりにはやっていけそうな気もする。
それで、あわよくば旅の道中で同世代のショタと交友なんかできたら最高だよな。これが生前であれば、間違いなく事案でしかないからな……。
よしっ! 俺はレアンの森を出て、この世界に広がる色々な場所を冒険することに決めた!
念のためだが、不純な動機なんてこれっぽっちもないぞ?
俺は皿に残っている肉をかきこむようにして食べ終え、再び落ちついて地図に目を向ける。
「ポロッサ……か」
レアンの森を出て北に向かって進んだ先にある街の名前だ。
このポロッサと呼ばれる街が、この地図に載っている中で一番栄えている街らしい。まずは、この街を目指してみるのが良さそうだ。
この世界の街にはどんなものがあるのだろう?
どんな食べ物があるのだろう?
どんな人がいるのだろう?
考えれば考えるほど、気になることが増えてくる。一ついえることは、俺の知らないことに満ち溢れているということだけ。
悔いの残らないよう生きるとシトラ様とも約束した。ならば、小さいことで悩む前に冒険に出発することが今の俺にできる精一杯の努めだ。
そうと決まれば、冒険に出るための支度をしないといけないな。
この地図とサバイバルナイフはポーチに入れて、ほかのものはアイテムボックスに入れて持ち運ぶとしよう。
あとは……何を持っていけばいいだろうか。
「傷薬やポーション、水なんかは絶対にいるよな」
これらを持っていくのは当然として……せっかくアイテムボックスがあるのだから、食材もある程度は用意しておきたいところ。
ただ、いつでも調理ができる状況とは限らないし、即席で食べることができるものも用意しておいた方がいいかもしれないな。
そういえば、前に作った干し肉がまだ余っていたよな。とりあえず、それは持っていくとしよう。
――て、あれっ?
ひょっとして……実は冒険に出たところで今の生活とあまり変わらなかったりしないか?
よくよく考えてみれば、今だって結構サバイバルな日々を過ごしている気がする。
いや――、森を出て新しい発見がないなんてことはないはずだから、そんなことを気にするのはやめておこう。
さて、本格的な支度は明日することにして、今日は突然の来客対応で疲れたから少し早い気もするが寝るとしよう。
◇
翌朝、いつもより早めに寝たからか、その分いつもよりも早くに目が覚めた。
外に出て空を見上げると、太陽はまだ昇りかけで空はうっすらと青白い。
俺はさっと朝食を済ませたあと、まずは傷薬やポーションといった調合薬、非常用として即席で食べられる干し肉をせっせとアイテムボックスに入れていった。
「よしっ、これであとは水だな……」
水は住処としているここから近くにある湧き水が流れている小川から汲んできたものを普段から使用している。
当然、持っていく水の候補はこれ以外にはなく、この水を確保するため小川を目指して歩く。
その道中、俺は自分が初めてこの世界に来たときのことをふと思い出した。どうしてかって?
それは俺がいつも水を汲んでいる小川は、俺がこの世界に来て最初に目を覚ました場所だからだ。
自分の新しい身体や初めて魔法を使えたことに興奮していた頃のことは、今でも鮮明に覚えている。――が、それももう二年も前の話になるのか。
最初の頃は魔法のコツが全然掴めず、躍起になって魔法の練習に励んでいたな。――で、ほんのちょっと魔法が出せただけで滅茶苦茶にテンションが上がっていたんだよな……。
それが今じゃ、ここまで自由に魔法が使えるようになったんだから、我ながら感心してしまう。
異世界に来た当時のことを思い返しながら歩いてうちに、気がつくと目的地の小川に着いていた。
早速、俺は小川の水を両手ですくい上げ、それを口まで運びゴクゴクと一気に飲み干す。
「ぷはぁ……」
この小川に流れる水は川底がはっきり見えるほど澄んでおり、味も驚くくらい美味しい。
こんなにも美味しいと感じる水を飲んだのは、生前を思い返してもこの場所が初めてだと思う。
水分補給のあと、アイテムボックスからあらかじめ土魔法で作っておいた水瓶を取り出し、それに湧き水を汲み始める。
そして、たっぷりの湧き水で満たされた水瓶を再びアイテムボックスに戻した。
「さて、これで冒険に持っていくものの準備は全部終わりっと」
十分に準備は整ったし、これなら明日にでも森を出ることはできそうだ。
さて、今日の予定していたことも全部終わったことだし、最後に少しだけこの場所で森を感じながら休憩でもしようかな。
俺は大きく息を吐きながら、この場で仰向けで倒れ込んだ。
森の中に流れる心地よい風と川のせせらぎが身体全体に感じられる。
あまりの心地よさに眠ってしまっていたのか気がつくと太陽が沈み始めており、次第に辺りも闇の色が濃くなっていった。
「これが、この森で迎える最後の夜になるかもしれないのか……」
この森に戻ってこないと決めたわけではないが、この森に戻ってくる保障があるわけでもない。
そう思うと、いつもと同じ夜のはずなのに何となく名残惜しさが感じられる。
夜を迎えるとともに自宅に戻った俺は夕食を済ませ、明日から始まる冒険に備えて寝床に就いた。