5話 ライカの家
「アウルっ!? お前、こんな時間に何しに来たんだよ……?」
夜も更け始めてきた頃、ハーティス家に突如訪問してきたアウルに対し、ライカは玄関先で仰天する。
「あのさ、ライカ。今日一日だけ泊めてほしいんだけど……ダメ、かな?」
アウルが申し訳なさそうな表情で吃り、頼み込む。
「ハァ? 急にどうしたんだよ?」
ライカが怪訝に思うのも無理はない。放課後に遊びの誘いを断られたばかりにも関わらず、ここにきての突然の申し出だったからだ。
しかも、こんな夜分遅くに――。
「…………」
返答に困り、黙りこくってしまうアウル。だが口にはせずとも、少年の置かれている状況がその沈痛な面持ちに表れていた。いつもの軽い調子で接するのは違うと思い至ったライカは、ドアの前から身体を退かす。
「その、まあ……なんだ、何があったか知んねえけど、そんなとこにずっと突っ立ってねえで入れよ。店はもう閉まっちゃってるから大したもてなしはできねえけどな」
「ありがとう、ライカ……助かるよ」
「なんか気持ち悪りぃなぁ、そういうのいらねえって」
素直に礼を言われてしまったライカは、身体のあちこちがむず痒くなってしまう。
◇◆◇◆
「やっぱり、あのコは魔神族……だったのね」
「まだ憶測の域は出てないが、恐らく……な」
視察を終え、国軍の拠点となる王宮へと続く帰路を歩くバズムントとジェセル。道中での話題は未だに、アウルについてのものであった。
「ということは、団長とクルーイルも、魔神族だというの……?」
「いや、それは有り得んな。あの二人にも治癒術が使われる場面を何度か目撃したことはあったが、効き目は普通の人間と変わらなかったはずだ」
アウルに魔神族の疑いがあるなら、当然血の繋がった親と兄にも嫌疑がかかる。だがバズムントはきっぱりと否定し、ジェセルも考えを改めた。
「じゃあ、あの子は団長の実の子ではないというの?」
ジェセルが導きだした答えはやや短絡的ではあるが、辻褄は合う。バズムントは顎ヒゲを撫でながら考えを巡らす。
(それは俺も気になっていた所だったが、こればっかりはヴェルスミス本人に直接聞いてみるしかないよな……ただそれは果たして触れてもいい話題なんだろうか? キャスリーにも関わる話だとしたらますます聞きづらいしな……)
「――兎に角だ。この場でこれ以上推測していてもキリが無い。なにか決定的な証拠や、本人かそれに近しい者の証言を掴むまでは、この話は保留にしておく他ないだろう」
ひとまずは、と言ったようにバズムントが話題を強制的に終了させる。彼のその正論にジェセルは押し黙り、追及を諦めるしかなかった。
「そう……ね、今はそれが賢明ね」
まだ少しだけ煮え切らなそうな表情をジェセルは浮かべていたが、ここは大人しくバズムントに従うほか無いと悟る。
「もちろんこの話は、俺とお前さんだけしか知らない。決して誰にも口外はするなよ。無論、他の団員にもな」
「ええ」
◇◆◇◆
アウルが招かれたハーティス家のリビングは、家族三人で過ごすには十分な、平均的な広さのものだった。
仕切りのあるキッチンのすぐ側には、サイプラスの木で造られた大きなダイニングテーブルと、三つのイスが並ぶ。ライカに案内されたアウルは、その内の一つのイスに腰を掛けていた。
「ええええ!? お前ジェセル様に会ったのか? 親衛士団、第10団士のあのジェセル様にぃ!?」
アウルは放課後に起きたことを早速と、ライカに教えていた。もちろん、兄であるクルーイルとのいざこざは伏せてだが――。
「うん、会ったよ。すっごい美人だったなぁ……あんな人間存在するのか、って感じ」
「いいなあいいなあ! 俺も拝みたかったなあ、生ジェセル……」
国内でも最高級を誇る美貌の持ち主と名高いジェセル・ザビッツァは、学士だけに留まらず大人達の間でも男女問わずファンが多く、憧れの的であったのだ。
「なんていうか……〝華がある〟ってこの人の為にある言葉なんだなあ、って思っちゃうくらいにキレイな人だったよ」
「くっそお、羨ましすぎるぜ」
大袈裟とも言えるアウルの説明を、ライカが鵜呑みにする。実物を見たことが無かったので、想像力を掻き立てられているのだろう。
「なあライカ、そんなことよりゴハンまだ?」
「ちょっと待てっての、今作ってっから! ったく、さっきまでは家出少女みたいなツラしてたくせに、泊まれるって解った途端にいつもの調子だもんな――って痛っでえええ!」
キッチンで調理をしながら愚痴をこぼしていたライカの頭に、空のアルミ灰皿が勢い良く命中する。
「ライカぁ! せっかくアウルくんが泊まりに来てくれたっていうのになんだその態度は! 客人にはもっと敬え! もてなせ! 気を遣え!」
灰皿が飛んできた先には、ライカの父であるブレット・ハーティスが、開いた新聞を片手に胡座をかいていた。
角刈りの金髪にいつも鉢巻きを締め、絵に描いたような頑固一徹な雰囲気を放つライカの父。眼鏡は掛けていないが、ライカをそのまま中年にしたような顔立ちで、息子の受け継いだ遺伝が父の方に色濃く出ているのが容易に窺えた。
「痛ってえなクソ親父っ! そこまで言うんだったら親父がメシ作ってやれよ!」
「親に向かってクソとはなんだクソとはぁっ!」
客人が居るにも関わらず、喧嘩をおっ始めてしまう親子二人。キッチンからリビングへ、リビングからキッチンへと、物という物が飛び交っている。
(なるほど、ライカは性格も父親譲りなんだなぁ……)
来て早々に振る舞われた紅茶を啜りながら、アウルは親子喧嘩を静観していた。
「出涸らしだけど味はどうかしら、アウル君。お口に合うかな?」
その言葉と共に、厨房の奥から現れた薄い褐色肌の熟年女性。彼女がライカの母、ナタール・ハーティスであった。
「これ、紅茶……っていうんですよね? 初めて飲んだんですけど、とても美味しいです」
「あら、初めてだったの。ここ数年で若い子達に人気の味なのよねえ。私の国の飲み物なんだけど、お気に召したようで何よりだわ」
アウルの絶賛に嬉しそうな反応を見せたナタールはそのまま正面に座ると、目尻に幾重にも皺が重なるほどのニコニコとした表情でふと、アウルへと尋ねる。
「ところで、アウル君は……あのピースキーパーさんのところのお子さんなのよね?」
「え、ええ……そうですけど」
いきなりの出自に関する質問に、アウルは少しだけ動揺してしまう。しかし嘘をついても仕方がないと思い、正直に答えた。
「もし、今日の宿泊代を請求とかしちゃったとしたら、何トーカくらい頂けるんでしょうね? あ、例えばの話だからね?」
「……はい?」
穏やかな口調で相談を持ちかけてきたナタールからは、クルーイルと対峙した時以上の悪寒を感じさせられた。
「母ちゃん! 何言ってんのおお!?」
親子喧嘩の途中だったライカが、慌てて母の口を手で塞ぐ。
「なによライカったら、例えばの話をしてるんじゃない」
「そんなこと例えんなっての!」
「おいライカ! 父ちゃんとの話はまだ終わってないぞ!」
「親父はもういいって!!」
賑やかなハーティス家の日常を垣間見ることができたアウルは、久々に心の底から笑った。
(……ああ、そっか)
ただそれと同時に、自らが望んでいたのはこういう家庭なんだろうな、と気付いてしまう。
――少年の感情が少しだけ淡く、揺らいだ。
◇◆◇◆
「ほら、このベッド使えよ。客人用だからさ」
「サンキュー、ライカ」
ライカの自室で共に寝ることとなったアウルは、用意してもらったシングルサイズのベッドに横たわる。少しだけ散らかったライカの部屋の中は、広くはない割りには物が多く、とりわけスペースを使っていたのが木製の大きな本棚であった。そこには百冊近くはあろうかという程の大量の本が、乱雑に収められていた。
「朝、母ちゃんが部屋に来るけど、起こしてもらわないと俺が起きれないから勘弁してくれな」
いつも掛けている眼鏡を丸テーブルに置き、苦笑混じりにライカが言う。アウルも、つられて笑ってしまった。
「ハハ、なにそれ」
「し、仕方ねえだろ」
やや恥ずかしそうにしているライカは、照れを隠すかの如く布団へと潜り、背中をアウルに向けた。
「それじゃ、おやすみ」
「……おやすみ」
ライカが就寝を宣言し、アウルがそれに続く。程なくして、ライカは枕元にある灯飾のスイッチを切る。
灯りが消え、部屋の中は暗闇と静寂に包まれた。
時間にして数分後に、アウルは不意に声を発する。
「ライカ」
「ん?」
「今日はありがとう、本当に助かったよ」
「だからやめろって、水臭ぇな」
「いや、そういうの抜きで本気で感謝してるんだってば」
「……ああ、わかったよ。どういたしまして」
普段から軽口ばかりを言うライカだったが、こうしてアウルと改まって話す機会はそう無かった。若干の戸惑いこそあったが、相手の言葉の調子を鑑みて素直に同調をする。
そして意を決し、抱えていた疑問をアウルにぶつける。
「アウル、あのさ……」
「なに?」
「さっきは深く聞かなかったんだけどよ、自分ちに帰りたくなかった理由でもあったのか?」
「…………」
核心を衝こうかというその問い掛け。玄関先でもそうだったように、アウルは再び無言となり口をつぐんでしまった。しかしライカは、続けて話す。
「また明日以降、家に帰りたくない時があんならよ、今日みたいに俺んちに来ていいからな。だから一つ、その理由だけでも俺に話してくんねえか?」
「…………」
ライカのその提言に対し数分程、アウルは無言のまま悩んだ。そして決心をしたように、やがて口を開く。
「……そうだね。じゃあ、ライカにだけは話すよ」
◇◆◇◆
アウルは帰宅してからの出来事も含めて、兄との過去をライカに打ち明けた。
兄が名家の嫡子として努力を続けていた裏で、日常的な暴力を自身に振るってきたことを、包み隠さず全て――。
「マジかよ……! あのクルーイルさんが、弟のお前にそんなことを……」
驚きを隠せないライカは、覚えている限りでのクルーイルの印象を振り返る。
「俺とかピリム、他の学士達にもあんなに優しく振る舞ってたあの人がまさか……」
弟以外の同年代の全学士にとって、クルーイルが憧れを抱かれる存在だというのが、ライカのその反応から察することができた。
「でもライカ、俺も悪いんだよ。由緒正しい名門のピースキーパー家きっての落ちこぼれの俺は、兄貴から言われた通り、今まで大した努力もしないで適当に学園生活を送ってきたんだ。だから、長男としていつも期待と重圧を一身に受け続けてきた兄貴からしたら……俺みたいな存在はやっぱり気に食わないんだと思う……」
半ば諦めたような口振りのアウルが、自身にも非があると告げる。しかし、それを制すようにすかさずライカがフォローをする。
「アウル、だからと言って弟に手を上げていい理由にはならねえぞ。努力をしてない連中なんて他にも沢山居るし、俺だってその内の一人だぜ?」
「……それフォローのつもり?」
「うっせ! とにかくだ、弟に手を上げるなんて絶対に間違ってる! で……そこでだ。明日よ、二人でクルーイルさんと話つけに行ってみようぜ!」
「……え?」
途中までは、ライカのフォローに安心を与えてもらっていたのだが、その突然の非常識な提案にアウルは思わず声を洩らしてしまう。
「あ、せっかくならピリムも連れていこう! アイツ自体は役に立たないだろうけど、親父さんが親衛士団の副団長さんなんだろ? 上司の娘とくれば、クルーイルさんだって流石に手は出せないだろうしな……おお、我ながら名案だぜ!」
「いやいやいやいや、ちょっと待ってよライカ!」
唖然としていたアウルだったが、独りでに作戦を立て、勝手に盛り上がっていくライカを慌てて制止する。
「ダメだって! 家族間の問題なんだし、他の人に迷惑なんてかけられないって!」
「いいや、ダメじゃない! それに迷惑ならもう既に俺んちにかかってるわ!」
「た、確かに……そうだけども! でもダメなものはダメなんだって!」
「問答無用! 明日の放課後絶対行くからな!」
ライカの意志は固く、梃子でも動きそうに無く――。
(ええ……嘘でしょお)
――打ち明けたことを即座に後悔するアウルだった。
それから一時間後――。
(くそ……全然寝れない)
寝慣れていた自宅のベッドと枕では無い上に、ライカの物凄い音量のいびきのおかげで、アウルは中々寝付けずにいた。
(眠たくなるまで適当に本でも読もうかな……)
丁度良く自分のベッド側に本棚があったので、アウルはライカを起こさぬよう静かに何冊か取り出し、布団の中へと潜った。
「〝リフール〟」
布団の中でアウルは吐息混じりの小声で、光の属性術――光術を唱えてみせた。
唱えたその光術は、卵大の大きさの淡い白色の光球がランタン程の範囲を照らす、というだけの初歩的な光術の一つであった。
(さて、と。この本はえっと……料理の本か)
最初に手に取った本は、アウルにとっては興味の無いジャンルの内容だった為、その本を布団の外へと出す。
(あと、これは……うーん、これとこれも料理関連か。ライカのやつこんなのばっか読んでるのか)
どの本もパラパラとめくってみるが、レシピ集など料理関連のものばかりで、暇を潰せるような本は無いとアウルは諦めかけた。
(ん……?)
と、そこでアウルは一冊のノートを見付ける。
(コレだけなんか薄いな。本というかノートみたいな……)
そのノートの表紙を見ると、こう書かれていた。
『〝目標一日一調理!〟』
と、雑な文字で大きく記され、掲げられたその目標。察するに、そのノートはライカが毎日記録しているであろう、いわゆる料理日記である。使い古した形跡として、ノートの角はすり減り、所々に跳ねた油や調味料のシミらしき汚れが見受けられた。
(……ライカ、嘘だろ)
ノートを開いてみると、日付とその日に使用した食材と調理手順。更には味の評価に反省点などが事細かに殴り書かれ、先程アウルが振る舞われた料理も漏れなく書き記してあったのだ。
(こんなのを毎日書いてるのか……!)
どのページを開いてもメニューは異なるが、同じような密度の文章が刻まれていた。読み進めれば進めるほどに、ライカの料理に対する熱意と努力が嫌でも伝わる。
(っ……!)
アウルの胸の内に、締め付けられるような痛みが襲う。そして全てのページを読み終える前に、少年は我慢の限界が訪れパタンとノートを閉じた。
だがトドメとでも言わんばかりに、裏表紙に書かれた『No.23』の文字列を目にしてしまったのだ。アウルは、とうとう打ちのめされてしまう。
(……しっかり努力してんじゃんか、嘘つき)
友人の嘘を、アウルは胸中で呪った。
だがすぐに、見方を別の視点へと切り替える。
(……いや、違う。ライカにとってこの程度の努力なんて努力の内にも数えられない……ってことなんだ)
ライカも自身と同じく、普段から大した努力もせず、自分の将来に対して楽観視をしている同じ穴のムジナとばかり思っていた。
ただ、それはあくまで学園で見せていた一面なだけ。彼も自分以外の他の学士と同様、密かにではあるが、きっちりと努力を続けていたのだった。
それに気付いてしまったアウルは改めて、兄の言葉を思い出す。
(〝平々凡々とのうのうと〟かぁ……兄貴の言ってた通りだ。今まで何やってたんだろ、俺……)
かつてない悔しさにうち震えた少年は、友人に悟られないよう、静かに涙を流した――。




