47話 更に二人
茜色に染まる空が徐々に暗さを帯びていく。程なくして、沈み終えた太陽から仕事でも引き継いだかのように、真ん丸とした黄白色の月が空を照らし始めた。
夜が深くなれど賑わいが衰えを見せることのないドメイル市やグラウト市の繁華街とは違い、住宅街が区画の大半を占めているアーカム市は、二十一時台へ差し掛かってくると人通りも自然と少なくなっていくのが常だ。
アウル達が過ごす『ハーティス食堂』もその例外ではなく、ディナーの時間帯を過ぎてしまえば閑古鳥が鳴くレベルにまで客足は遠退くのだが、今日だけは違っていた。
そう、ディナータイムを過ぎても客足は途絶えるどころか、依然として大盛況のままだったのだ。いつの間にか満席となっていた食堂では、埃を被っていた予備のイスとテーブルまで使用をする事態となっていた。
ここまでの繁盛ぶりは、老舗を誇るこの食堂の長い歴史を遡っても例を見なく、閉店時間をとうに過ぎているにも関わらず入り口には『closed』の札が掛かる事はなかった。
――というよりかは『店を閉めるタイミングを失った』と言うのが適切だろう。
「いやー、まさかウチの店に団士様が来店するなんてなあ」
調理をする手を動かしつつ、ブレットが感慨を漏らす。注文は次から次へと殺到し、四つあるコンロには常に火が灯ったままだ。
「こんなシケた食堂の席がここまで埋まるたあな……」
ガヤガヤと賑わうホールをブレットがざっと見渡す。立ち食いをしている者も含めれば、既に客数は四十人を優に超えていた。
「っおい、ライカ! この切り方だと鮮度が落ちやすいって何度も言ってるだろうが! いくら忙しいからって適当にやってんだったら張っ倒すぞ!」
「はい――!」
先代から店を継いでからの二十年間、下拵えから盛り付けまで、調理に関わる全てを一人で受け持っていた店主ブレット。そんな彼ですら、まだ学士の身分である息子の手を借りなければ、切り盛りが回らない程の繁盛ぶりだったのだ。
その父からの怒声混じりの指摘を受けた少年――ライカは包丁を握り、モスウッドで出来たまな板の上で肉や魚、野菜などのありとあらゆる食材を相手に集中した姿を見せていた。
(クルーイルさんを亡くしたアウルがあれだけ頑張ろうとしてんだ。俺だって……!)
手伝わされているライカ自身も、普段の特訓の成果を発揮できる機会に恵まれたことにより、熱意を顕にしている――。
『第11団士のカレリア・アネリカが来店した』
そのビッグニュースは瞬く間に店内を飛び出すと、すぐ側の往来を行き交っていた人々にまで知れ渡ることとなり、食堂の入り口前には数十人による行列が出来上がっていた。
「――ここアーカムでしょ? この時間にどうしてこんなに混んでるワケ?」
「――さあ……アタシもこの店には初めて来たからね」
店を見やった女性二人が、行列を前にして立ち尽くす。
「ねえ、他の店にしない?」
「アタシは並んで待つ。ここに来る約束もしたことだしな」
「マジ? ん……だったら」
行列に並ぶのを躊躇った一人がそう言うと、ふと列の先頭へと向かった。
「ねーえ、ちょっと……前いいかしら?」
女は色香を漂わせた猫なで声で尋ねると、先頭に並ぶ男性の肩を叩く。男性は不快そうな顔つきで振り向いた。
「あぁ? 俺はもう一時間以上も待ってんだ! いくら女だからって譲るわけには……っっ!」
激昂混じりに頑なとしていた男性だったが、声を掛けられた人物の姿を視認した途端、息巻いた勢いそのままにして萎んでいくように呆然としてしまう。
「何か言った?」
「いえ……お先に、どう……ぞ」
傍目からだと、男性は洗脳されたかの如くあっさりと先を譲ったようにすら見えた。女性が行ったその交渉の一部始終を見ていた連れの方の女性は、やれやれと言った様子で共に先頭へと身を置く。
「全く……随分な力技ときたものだ」
「そんな野蛮な言い方しないで。権力を行使したまでよ」
「だから力技と言ったんだが」
「……なるほどね、一本取られたわ」
◇◆◇◆
「……カレリア様、今日までゼレスティアを守って下さり、私達は大変感謝しております。私のようなジジイめが生き永らえていられるのは、ひとえに団士様達のお陰であります」
腰が〝く〟の字に曲がった杖をついた老人が、丸テーブルの席に座ったままのカレリアへと縋るように、両手で握手を求めた。彼女も謙遜をするようにして、それに応じる。
「もう、そんな畏まんないでよぉ。これからも私たち頑張るからさ、おじいちゃんもその調子で長生きしてね?」
「おお……なんと有り難きお言葉」
握手をしながら老人は涙を零し、感動と感謝の意を表した。
(そういえば……)
目の前で泣く老人を見てアウルは、避難場所へ向かったあの日、辛そうに階段を登っていた老人の手助けをした時のことをふと思い出す。
(……あのおじいちゃんも元気にしてるといいなあ)
そう思いを馳せるアウルと、途絶えることなく客達から握手を求められていたカレリア。二人の本来の目的であった食事はとうの数時間前に済んでおり、既に頭の中では帰宅をしたいという一心で一杯となっていた。
しかし先刻からこういったように客の一人一人がカレリアの元に訪れ、団士に対する日頃からの感謝の想いをそれぞれの言葉に乗せて伝えてくることによって、すっかりと帰るタイミングを失っていたのだ。
「かれりあちゃん。いつもぜれすてぃあをまもってくれてありがとう」
お次はまだ学園にすら通う年端にも満たない、熊のぬいぐるみを抱えた幼女。拙い言葉ながらも、国の英雄に対しての感謝の句を述べた。
「あら、お嬢ちゃんありがとう。お姉ちゃん頑張るからねえ」
営業スマイルならぬ英雄スマイルを振り撒きながら、カレリアは幼女に明るく応えてみせた。
(まあ、こうやって感謝されること自体悪い気はしないんだけどさ……流石に人数が多すぎるのよね。昼間歩きまくった疲れもまだ残ってるしさぁ……)
と、胸中で零すカレリア。表情にこそ出さなかった彼女ではあるが、そろそろ体力と気力に限界が見え始めていた。
「アウルくん、そろそろ帰ろっか?」
「いいの? まだこんなに順番を待ってる人がいるけど……」
「いいの。キリないんだもん」
小声でそれだけを言うと、カレリアは席から立ち上がり眼鏡をかけ直す。アウルも仕方なしと、彼女に続いて立ち上がった。
「あら、二人とも。もう帰っちゃうのかしら?」
他の席へ料理を運んでいたナタールが、席を後にしようとする二人を見て声を掛ける。ホールを一人で賄う彼女が一番激務である筈なのだが、汗の一筋すら流していなかった。
「ナタールさんごめんねぇ、お代はここ置いとくからさ。お料理も紅茶も美味しかったし、また来るね!」
ナタールにそう返したカレリアは、上質な牛革で出来たブランド物のロングウォレットを、おそらくは同じブランドであるショルダーバッグから取り出す。そして、トーカ紙幣を何枚かテーブルに置いた。
「なんだいカレリアちゃん。帰っちゃうのかよ?」
そんな彼女に対し、赤らめた顔色の酔っ払った中年客からの惜しむ声。他の客からも、同様の嘆きがしきりに聞こえてきた。アウルと手を繋いだカレリアは若干のはにかんだような笑顔で誤魔化すと、人混みを縫うようにして入り口まで足を運んだ。
「みんなごめんね。また来るから――」
最後にそう別れを告げたカレリアは、ドアノブに手を掛けようとする。しかし直後にドアが外側から開かれ、ベルがカランコロンと音を立てた。
「えっ……?」
扉が独りでに開いたかのような錯覚に陥るカレリア。
反射的に店の外へと目を向けると、そこには――。
「……なんでアンタがこんな店にいるのよ?」
「げっ!?」
外からドアを開き目の前に現れた人物は、カレリアと僚友でもある第15団士のオリネイ・メデュープであった。
「なんだオリ姐、知り合いでもいたのか」
(えっ、なんでこの人がここに……?)
そして、そのオリネイの背後から店内を一瞥しようと姿を現した女性に、今度はアウルが驚いた。その女性の正体は、グラウト市を活動拠点とする女鍛治士――エレニド・ロスロボスであった。
「エレン、この女よ! 私のシャルロアたんを壊したのは!」
後ろに立つエレニドを愛称で呼ぶと、オリネイはカレリアの鼻先へ向けてビシッと指を差す。
「ちょ、オリネイちゃん! 急に何言って――」
「ほう……アタシの作品をあのような姿にしたのは、オマエだったか」
オリネイが誇るグラマラスな肢体の前へ割って入るように身を乗り出し、憮然とした表情でエレニドがカレリアの眼前へと立ちはだかる。女性でありながら一七〇アインクを超える身長を持ち、左目に眼帯を掛けた黒髪の女。露となっている方の眼から放たれる鋭い眼光を、見下すようにしてカレリアへと放つ。
(なんなのこの子……怖いよぉ! ジェス助けてぇ!)
年下の女性に因縁を付けられ、怯え竦むカレリア。
(……うーん、これはまだまだ帰れそうにないかなぁ)
そのカレリアと手を繋いだままのアウルが、脳内でそう嘆く。




