42話 目覚め
――真っ白な天井が眩しい。
生まれて初めて瞼を開いたのではないかと錯覚をしてしまう程、目に映る白色がアウルには新鮮に映った。そして同じく真っ白なベッドにて仰向けで寝た体勢のまま、まだボンヤリとした意識で頭を働かせてみる。
ここは一体どこで、今は何時で、自分はどれくらいの間寝ていたのだろうか。少しずつ定かになっていく意識と比例するように、様々な疑問が湯水の如く脳内で溢れ出てくる。
ただ、自身にとってとても大事なことを何か一つ忘れてしまっている――そんな気がした。どうにかしてそれを思い出すべく、考え込むが――。
「お、目ぇ覚ましたな」
左方向からの聞き馴染みのある声。天井を向いたままだった視線を反射的に左へと向ける。ウォルナッツの木で造られた机の横には、同じ材質で出来た椅子に腰を掛けていたライカの姿があった。
「ライカ……」
未だ状況が掴めないこの場に、親よりも信頼のできる人物が居合わせてくれたという事実が、アウルの心に安堵をもたらす。
「ったく、もう起きねえかと思ったぞ。待ってろ、今先生呼んでくるからよ」
「ちょ……ちょっと待って!」
席を立ち部屋から出ようとするライカへ、アウルは上半身だけをベッドから起こし、慌てて引き留める。
「ここは病院……だよ、ね? 俺は一体どのくらい寝てたの?」
ライカが言った〝先生〟というフレーズと、自身が今まで寝ていたシングルサイズのベッド。自室と学園の教室の中間程の広さを誇るこの空間を見渡して察するに、ここが病院の一室だというのをアウルは容易に想像することが出来た。
「んんと、大体……二日と半日くらいじゃねえか? まあ、とりあえず後でその辺はちゃんと説明するから今は待ってろよ。目が覚めたら医士を呼んでくるように言われてるんだ」
ライカはそれだけを言い残すと、他にも何かを聞き出そうとしているアウルを尻目に、病室のドアを開いて廊下へと消えていく。
「そんなに……寝てたんだ」
想像以上の時間の経過に、アウルは唖然とする。しかしその情報を得ても、目が覚めてからずっと頭の片隅で引っ掛かる何かを思い出せずにいたのだ。
(何だ……? 何かとても大切なことを俺は……くそっ、どうして思い出せないんだ……!)
頭を抱えて悩み抜くアウルに応じるよう、再び病室のドアノブが回る音が聞こえた。そして、すぐに扉が開く。
「なんだ、目を覚ましてたのか」
部屋に入ってきたのは、一度その姿を見てしまえば絶対に忘れないであろう風貌の女性。黒のロングヘアーに黒のドレス、そんな鮮烈な見た目のインパクトを持つ鍛治士、エレニド・ロスロボスであった。
「――っ!」
彼女の姿を見た途端、ノイズのようなものがかかっていたアウルの脳内へ潜む情報が情景として、少しずつ鮮明に蘇っていく。
――派手な見た目。
――エレニドさん。
――鍛冶士。
――グラウト市の。
――性格がキツい。
――兄貴の……。
――兄貴?
――俺の
――兄貴
――死んだ?
――――兄貴が死んだ。
「うわあぁあああぁあああああぁぁっっ!」
全てを、本当に全てを思い出してしまった。
襲いくる困惑と悲哀と焦燥。その他多種多様な負の感情が一斉に去来した少年の精神は、たちまちとパニックを引き起こす。そのまま慟哭と共にベッドから跳ね起きると、エレニドから逃げるようにして勢い良く病室を飛び出すアウルであった。
(嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ――! 兄貴が……兄貴が……!)
現実から目を背け、無理矢理と否定の言葉を脳内で埋め尽くす。更には屋内だという事を全く考慮もせずに、病室が並ぶ廊下を全力でひた走るアウル。曲がり角から迫る人影にも気が回らなかった少年は、そのまま駆け抜けようとするが案の定と言うべきか、その人影と勢い良くぶつかってしまう。
一切の身構えもなく衝突をしてしまい、アウルはタイル張りの廊下へと尻餅をつく。
「キミ、大丈夫かい?」
ぶつかった相手である黒髪の青年が、心配の声と共にアウルへと手を差し伸べる。
「す、すみません……」
衝撃によって乱れた思考が幾分か正常へと引き戻されたアウルは、照れを紛らわそうとしたのか顔をやや俯かせたまま差し伸べられた手を取り、起き上がろうとする。
「もう廊下は走っちゃダメだよ? さもないと――」
青年は諭すように、穏やかな口調でアウルへと注意を送る。だがそこでアウルは初めて、その青年の容貌を視界に捉える――。
「――こんな風になっちゃうかもしれないよ?」
「えっ?」
青年の顔面は、二つに割った熟れた西瓜の断面の如く真っ赤に染まり上がり、鈍器で何度も殴られたような形跡が窺えた。目・鼻・唇の境目がどこからどこまでだったかを忘れさせてしまう程、その面はぐしゃぐしゃに変形をしていたのだ。
「あはっ……AHAっ、あははははhaははははははははははははhaはははははははははははははは」
嗤う青年。アウルの脳裏には、自身が振るった拳によってみるみると赤へと染まっていくビスタの顔と呻き声が、映像と音となって浮かび上がり――。
「ああぁぁあああああぁぁああああああぁあああ――っっ」
◇◆◇◆
真っ白な天井が眩しい。
全身からはじっとりと嫌な汗。
白い枕とベッドは湿り気を帯びている。
「……っ!」
意識が定かになったと同時に左方向へと首を傾けるが、そこにライカの姿はなかった。
「……夢か」
まだ若干ボンヤリとした意識だが、先程まで目にしていた映像が悪夢によるものだということを、第一に理解することが出来た。
(くそ……一体何がなんだか……)
目覚めた際に視界へと映った景色が全くの同一であったため、既にどこからどこまでが夢なのかとアウルは判断に苦しむ。そして再び状況の把握へと思慮を巡らせようとしたその矢先に、病室のドアが開いたのだ。
(――っ!)
アウルはつい先程に夢で見たおかげか、エレニドが入ってくる姿を予め想定した。そのまま、アウルはドアを注視する。
「あら、ようやく目が覚めたのね」
入ってきた人物はライカでも、エレニドでも、況してやビスタでもなく――第10団士のジェセル・ザビッツァだった。
「ジェセル……さん? うっ、痛って……」
上半身だけを起き上がらせようとしたアウルは、電撃のように全身へと走る筋肉痛に顔を歪ませる。
「あ、まだ動いちゃダメよ。今、医士を呼んでくるから少しだけ待っててね」
「ま、待って! ジェセルさん……!」
「ん、何かしら?」
夢で見たライカと同様に病室を後にしようとするジェセルを、アウルは引き留めた。
――そして小さく息を呑み、意を決し、問う。
「あの、兄貴は……」
その質問を聞くや否や、目鼻立ちがくっきりとした美貌を持つジェセルの表情が目に見えて曇っていく。
「……ごめんなさい。私達の力と配慮が至らなかったばかりに、こんな……。本当に、本当に……ごめんなさい」
それだけを告げるとジェセルは、アウルと目を合わることの無いまま部屋を出ていき、ドアを静かに閉めた。
「夢じゃ……なかったんだなぁ」
両の目を腕で覆い、ぼそりとそう呟く。
枕だけが、湿り気を増した。




