33話 窮地
グラウト市、中央商店街通り――。
普段は喧騒が飛び交い、活気に満ち溢れている通りなのだが、現在は緊急時のため市民の全員が避難し無人となっている。安価な武具屋や胡散臭い骨董品屋などが出店の様に建ち並ぶこの通りを、アウルは全速力で駆け抜けていた。
そんな最中、一〇ヤールト程の高さの火柱が西門前広場の方角にて打ち上がるのを目撃する。
(あれは――兄貴の術……じゃあ無さそうだ)
一瞬だけ足を止めたアウルだったが、兄が放った術ではないと悟ると再び走り出す。
先ほどにエレニドから問い詰められたアウルは、兄を一人で戦地へと赴かせたことに自己嫌悪へと陥り、ここまでの道中に後悔の念を幾度となく募らせてきた。頭の中では既に兄の安否以外考えられず、借り受けた片手剣の鞘の中身を確認する余裕すらない精神状態だったのだ。
(早く、急がなきゃ兄貴が……!)
不安定な情緒のまま、奔走する少年。
脇目も振らず、ただただ全力で駆け続ける――。
◇◆◇◆
(今の火術は……?)
アウルから約八〇〇ヤールト後方を走るサクリウス。ビスタの唱えた『クアドレイド・プロミネート』を、彼も走りながらに視界へと捉えていた。
(……ワインのヤツ、もう着いたってのか? いや、それはありえねー、流石に早すぎる。それにウチらの中に信号での伝達を怠るマヌケなんて居やしねーし……一般兵の誰かか?)
再び考え込んでしまうサクリウスだが、先程ワインロックに諭された内容を思い出す。
(……ここでまた考えちまったらダメだな。今はとにかく急がねーと!)
そう思考をリセットした彼は、走る勢いを落とすことなく広場へと急行した。
◇◆◇◆
二つの火柱による時間差攻撃――おまけに二本目は従来のものとは違い、真下からのもの。クルーイルは完全に虚をつかれる形となってしまった。しかし、体に染み付いていた感覚だけでなんとか反射的に回避し、一命は取り留めていた。
「はぁっ、はぁっ……ッ!」
煤けている石畳から数ヤールト離れた位置。地面にうつ伏せる形での不格好な着地でクルーイルは転がっていた。
「くっ……!」
そして彼は、更に襲い来るであろうビスタからの攻撃に備え即座に起き上がろうとした。しかしここで、身体にある違和感を覚えてしまう。
(なんだ、この感覚は……?)
なぜか、上手く起き上がることが出来ない。クルーイルはひとまず、二本の腕で上体だけを起こす。炎剣による左腕の抉れた火傷の痛みを堪えつつ上体を起こすと、首だけを後ろへと振り向かせ、自らの下半身に目を配って違和感の正体を探る。
「ウソ…………だろ?」
口から零れ出るは驚嘆。
彼のその視線の先には。
――足首から先が欠損した左足。
――膝から下が存在しなくなった右脚。
「うっ、うわああああああああ――っ!」
傷口が焼け焦げていたので、出血はさほどでも無い。しかし、無惨な姿に変わり果てた己の両足を認識した彼の脳内へ、痛みと恐怖心が一同に襲い掛かっていく。
「あはははははははははははははははははははははは――クルーイルぅ、何だよその情けない姿は?」
消し飛んだ両足を見て悲鳴を上げるクルーイルに向かい、ビスタが狂ったように高笑う。
(そんな……そんな……俺の、足が――!)
クルーイルは強固な意志を携えて、この戦いへと臨んでいた。だが既に一度沁み付いてしまった恐怖心は心の中から拭い去ることはできず、無理矢理と取り繕った覚悟で自らを奮い立たせていたのだ。謂わばそれは川の氾濫を防ぐ際の土嚢のような、一時しのぎに過ぎない覚悟。彼は逃げ出したい想いをどうにか踏み留まらすことで、ここまでの善戦を可能とさせていた。
ただそれは両足を失ったことで、遂に決壊を迎えてしまう。圧し殺していた恐怖心が、鉄砲水の如く爆発的に溢れ出したのだ。
「はは、子どもみたいに喚いちゃって……みっともないなぁ」
一方でビスタは左肩から先を切断され、絶え間なく鮮血を垂れ流したままだ。喚き散らすクルーイルとほぼ同程度の負傷であるにも関わらず、取り乱す姿を微塵も見せていない。
「くっ、来るな……来るなぁっ!」
徐々に迫り来るビスタに対し、腕の力だけを使い匍匐前進で逃げ惑うクルーイルだが、歩くスピードには到底敵う筈もなかった。その上、辺りは火の海に囲まれている。逃げ場など殆ど残されていない。案の定、炎とビスタに挟まれる形に追い込まれてしまった。
「どうしたんだいクルーイル? さっきまでの落ち着きは一体どこに行ってしまったのかなぁ?」
炎を背に逃げ場を失ったクルーイルの前に、ビスタが佇む。残った右手で剣を鞘から引き抜き、ニヤニヤと口元を緩ませ、怯え竦むクルーイルを見下ろす。
「いやだ、死にたくない……! 死にたくない……! 死にたくない……!」
ビスタの問い掛けを無視するように、自らの感情だけを主張し続けるクルーイル。いつも小綺麗にセットされていた金髪は汗と熱波で散らかり、砂埃と煤で顔と服は汚れ、涙と鼻水で濡らしたその表情。羨望を集めてならなかったかつてのエリートとしての威厳は、とうに消え失せていた。
「怖いかい? 怖いよね? でも安心して、すぐに楽にしてあげるからさぁ……」
意地の悪さを含ませた優しい声色で、ビスタは剣先をクルーイルの左胸へと突き付ける。
「……っっ!」
心臓に向けて無慈悲に突き付けられた刃を前に、クルーイルは何を思う――。
(死にたくない――死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない……! 誰か……誰か……助けて……! 誰でもいい……誰でもいいから…………!)
口から発する命乞い同様、慈悲を求める言葉。埋め尽くすようにただ巡らせ、懇願するのみ。
「さよなら、クルーイル」
そんなクルーイルの訴えを聞く耳などビスタが持ち合わせているわけもない。彼は躊躇うことなく、そのまま剣を握る手に力を込めようとするが――。
「――兄貴っ!」
「っ!?」
だがそこで、突然の第三者の声。
驚くビスタと、汚辱にまみれた顔色のクルーイル。
両者が同時に振り向いた先には――。
広場の入り口に立つ、息を切らしたアウルの姿があった。




