32話 苛烈
ビスタ本人の意識が、再び表から消え去る。顔付きからは穏やかさが失せ、既にこちらが主人格と呼べるビスタの方へと立ち戻っていく。
「ふう、ただいまっと」
意識を立ち返らせて早々にビスタは、剣を既に構えていたクルーイルを視界に捉える。
「へえ……もう臨戦態勢なんだね……ん?」
ビスタも相手に倣い構えようとするが、剣を両手で持ち、背すじを張ったクルーイルのその構えを見てある記憶を思い起こす。
「ねえキミ……もしかして、俺と前に戦ったよね? その構え方……やっぱりそうだ! あはは、こんな偶然ってある?」
「……なんだと?」
突拍子もなく、独りでに盛り上がるビスタに対し、クルーイルも思わず聞き返してしまった。
ビスタが言う『俺』とは、ビスタ本人の脳内に入り込む以前の魔神の人格を指していた。しかし人間の姿を借りている現在とはまるで風貌が違ったため、クルーイルにはその問い掛けに心当たりが露ほども無かったのだが――。
「ほら、キミの剣を破壊して、一緒に戦っていた仲間も全員ドロドロに溶かしてあげた……あの魔神だよ」
「――っ!?」
そこまでの情報を受け取って、クルーイルは初めて正体を察する。途端、それまで毅然と振る舞っていた彼の脳裏に、中位魔神と対峙した際の光景がまざまざとフラッシュバックする。心の奥底に閉じ込めていた精神的外傷が掘り起こされ、次第に剣を持つ手はガタガタと震えが増し、膝が笑いを始める。
「思い出した……? 思い出したよねえ? またあの時のように無様に逃げ回ってもいいんだよ? あはははははははははははは――」
元の人格では絶対にしないであろう笑い方で、ビスタは恐怖に竦み上がったクルーイルを高らかに笑い上げる。
(くそっ、くそぉ……! なんで震えるんだ……!)
クルーイルは恐怖に抗おうと、丹田に力を込めるよう足腰をどっしりと構え、剣を更に強く握り締める。だが、深層心理に刻まれた深い傷はこの短期間では易々と癒えるはずもなく、震えが収まることは無かった。
「やっぱり面白いねえ、キミ。でも安心してよ。もうあの能力はコッチの身体では使えないみたいだし、あんな長い両腕も無いからさ。だから……」
愉悦に浸り、助言でも送るかの如く話すビスタは続けた。
「――キミの大好きなトモダチの姿で今度こそ殺してあげるよ」
その表情は悪意に満ちた粘り気のある笑み。
心の傷をこれでもかと抉り、愉しむ。
「お前っ……絶対に許さんぞ!」
クルーイルは、震えながらも憎しみを口にする。だがビスタはそんな彼の虚勢を袖にするよう、握っていた剣を腰に差してある鞘へと収め――。
「――〝ブレイズ・ブラーデ〟」
火術を唱えてみせた。
直後、ビスタの開いた両手から棒状に炎が勢い良く出現すると、二刀の小振りな剣の形へと徐々に変化していく。
(この術は……!)
唱えられたその火術を見てクルーイルは目を疑う。
だが、ビスタは思慮を巡らす暇を与えてはくれず。
「行くよ……!」
その言葉と共にビスタは石畳を強く蹴り、真っ直ぐにクルーイルへと向かう。そして手始めと言わんばかりに、左手に持つ剣状の炎を上半身目掛けて薙いだ。
「くっ――!」
虚をつかれつつも屈み、クルーイルはなんとかそれを避けてみせた。
「まだまだ――」
ビスタが次いで放ったのは鼻先への膝蹴り。今度は左に転がっての回避。しかし、間髪を入れずに右手の炎での追撃が迫る。それを剣で防ごうとしたが、炎は鞭のように形状を変え、構えた剣の内側へとしなるようにして潜り込む。
「ぐ……っっ!」
咄嗟に左腕を使い頭部への攻撃をガードするが、炎が直接服の袖を焼き、クルーイルは小さく呻く。
「はははっ、そりゃあ熱いよねえ」
ビスタが嘲笑う。対してクルーイルは更なる追撃から逃れるため後ろへと跳ぶ。距離を置いた先で、筋肉まで達する火傷の痛みに苦悶の表情を浮かべる。
(くそっ、ガードが意味を為さない……完全に回避をしないと無傷で済まないのか……!)
〝リーベ・グアルド〟を駆使しての攻撃への対応は、避ける・受け止める・弾く、の三つに分類される。その内の一つである『受け止める』が通用しないのは致命的だろう。想像以上に厄介な炎剣での攻撃に、クルーイルは頭を悩ませた。
「ふふ……安心して、すぐに殺しはしないよ。このまま少しずついたぶってじわじわと恐怖を与えてあげるからさ」
右手一本で剣を構え、息を荒げているクルーイルに対し、ビスタは容赦なくそう言いのける。そして再び地面を蹴った――。
「くっ!」
今度の初撃は右手の炎による左脇腹への水平打ち。クルーイルはそれを身体に触れる直前に、剣の刀身で受け止める。ギリギリまで攻撃をおびき寄せ、形状変化をさせる隙間を与えないよう防御のタイミングをわずかにずらしたのだ。
「じゃあ……これはどうかな?」
ビスタは試すようにそう言うと、今度は左に持つ炎で胸元への刺突を繰り出した。
(よし――)
クルーイルはガードしていた剣ごと、右にクルリと身を翻してみせた。そして鮮やかに躱したのち、アウルとの手合いで見せたものと同様後ろ手に回り込み、延髄目掛け峰での一撃を打とうとしたが――。
「甘いよ」
「――なっ!?」
ビスタは前のめりに身体を傾け、首筋への剣撃を回避。そのまま馬が後ろ足で蹴り上げるかのように、左足での後ろ蹴りをクルーイルの腹部へと見舞う。
「ガハッ……っ!」
反射的に小さくバックステップ。蹴りの威力を未然に殺せはしたが、十全に防げた訳では無い。鈍く残るような痛みに、クルーイルは表情をしかめる。
(くっ……やはり精神同化状態でもリーベ・グアルドは使えるのか! しかし、動き自体は……)
「まだまだ行くよ――」
腹部を抑えよろめくクルーイルに、ビスタは更なる追撃を仕掛けようと飛びかかる――。
「くっ――!」
跳んだ状態からの、首元への横薙ぎ。
クルーイルは上体を仰け反らせ、間一髪で避ける。
横切った剣閃から来る熱波が、シャツの襟を焦がす。
「……やるね」
ビスタが感嘆をこぼしたその後も、炎の剣撃が矢継ぎ早にクルーイルへと襲い掛かる。不規則な軌道のものも併せ、それら全てを紙一重で避け、剣で捌く――。
実父にして現在は親衛士団の長であるヴェルスミス・ピースキーパーに、クルーイルは幼少の頃からリーベ・グアルドを指南され続けてきた。
ゆえに単純な回避能力だけであれば、クルーイルは全団士の中でも上位を誇っていたのだ。ビスタの攻撃に対しても、あくまで防戦一方ではあるが回避を続け、剣撃の鋭さや炎剣の性質にも徐々に慣れ始めてくる。震えの方も、次第に収まっていった。
そして、針穴に糸を通すが如く、刹那ほどの一瞬の隙を見出したところで彼は遂に―――。
「……っ!」
斬った。
血飛沫を散らし、ビスタの腕が舞う――。
「な……」
左腕を肩口から斬り飛ばされたビスタは唖然としている。何が起こったかわからないといった様相が、その表情から窺えた。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
じわじわと痛む火傷と、避け続けた疲労のお陰ですっかりと息が上がっているクルーイル。しかし、これで勝利を確信した。
「どうして……」
片腕を切断されたにも関わらず、ダメージを少しも顔色に出さないビスタ。その彼の口から、思わず零れ出た疑問。その答えはクルーイルの口から紡がれる。
「……お前の剣術の腕は確かに凄まじかった。だがな、お前が使ったその術はビスタが習得できなかった術なんだ。その意味がお前にわかるか?」
「……?」
質問の意図が読めず、ビスタは怪訝としている。
そう、オリジナルのビスタは火術を得意としていた。だが、炎で物体を形取るような精微な魔力のコントロールは苦手だったという。
先程ビスタが唱えた『ブレイズ・ブラーデ』という術は、クルーイルが口にした通りビスタ本人がどうしても習得をすることが叶わなかった術だった。
『魔神の肉体は、マナで形成され、マナの力を以て身体を稼働させていると言っても過言では無い』
それほどまでにマナの扱いに長けた魔神族が彼の精神を乗っ取ったお陰で、ビスタはその術を元々覚えていたかのように易々と唱えてみせた。
しかし、ビスタ本人は術を扱ったことが無い。つまり彼の身体と記憶を借りいくら剣術の腕を向上させることが出来たところで、長剣ではない炎剣での近接戦闘はオリジナルのビスタに比べると、僅かに精彩を欠いていたのだ。
それゆえ、かつてのビスタとは剣の腕がほぼ互角であったクルーイルに対し、こうして遅れを取る結果となってしまうのであった――。
「……ふぅん、なるほど……ね」
オリジナルの記憶を探り起こし原因を究明し終えたビスタは、切り口から血を勢い良く流し続けながらも冷静に納得を見せる。
「初めから大人しく剣で戦っていればお前は勝てたかもな。敗因は、お前の過信と油断だ」
一方でクルーイルは、構えていた剣を下ろし、相手の戦意を削がせようと更に告げる。
「もう諦めろ……その傷と出血量じゃもう助からん。俺にトドメを刺させるな」
そう諭す彼の『止めを刺したくない』という発言は本音である。いくら人格が違うと言えど、友人の左腕を断つのにはやはり心が傷んだのだ。
「……はは、キミはなにを勝った気でいるのさ?」
「なんだと……?」
虚勢を発したかに見えたビスタは、炎剣を手品の様にパッと消して解除。
そして、残った右手を頭よりも上へと翳し――。
(また〝プロミネート〟か……!)
「――〝クアドレイド・プロミネート〟」
「なにっ!?」
またしても、オリジナルのビスタが会得していない術の詠唱。クルーイルは一瞬だけ狼狽えてしまったが、先ほどと同様に自身の頭上に出現した、赤い光輪を目にして察する。そして迷うことなく、横へと転がって降り注ぐ火柱をどうにか避けた。
(くそっ、やはり魔神……! 許容量が本人とは桁違いだ! 確か今の術は……)
転がった先で態勢を整えようとしたクルーイル。だが、今度は自身が立つ位置を中心に囲うよう、石畳に光輪が映る。
(二発目……! 避けきれ――)
堰を切り勢い良く噴火する火山の如く、炎の柱がクルーイルの足元から打ち上がった――。




