28話 後悔
ゼレスティア国の中心部に建つ王宮。そこへと続く巨大な中央階段。
何十段もある幅広なこの石段を登りきると、避難場所である王宮前広場に辿り着くことができる。広場は、毎年の建国記念日に執り行われるマルロスローニ王の演説の時など、大きな催しの際に使用される場所となっていた。
一万人以上の人口を誇るゼレスティア全国民を一同に集める事が可能なほど広く、最も多くの兵士が常駐するこの広場に身を置けば、余程の事がない限りまず安全は保証されると言っていいだろう。
クルーイルと別れたアウルはその兄からの指示に従い、この石段の中腹を昇り広場へと向かっていた。
だがその途中で、杖をついた老人が階段を辛そうに昇っている姿がアウルの目に留まり、現在はその老人に背中を貸している最中だった――。
「アウル君といったかな……? すまないねえ、ワシの足腰が弱いばっかりに迷惑をかけてしまって……」
「大丈夫だよおじいちゃん! これくらいっ、どうってこと、ないっ、からさっ……!」
老人を背中に担ぎながらそう強がってみせたアウルは、一段ずつゆっくりと登っていく。平気そうに振る舞ってはいるが、少年のその額からは大量の汗が流れ出ていた。十五歳の少年が自身と同じくらいの体重の老人を背負ったまま、この長く険しい階段を登り進んでいるのだから無理もないだろう。
一方で、他の市民は我先にと登る者ばかりで、老人を労っている暇も余裕も無いといった様子だ。アウルはそんな大人達を見て少しだけ幻滅をする。
(俺も……昨日までの日常をあのまま送り続けていたとしたら、こうなっていたのかな……。でも、みんなやっぱり自分の命が一番大切なんだよね……これが普通の感覚か……と、やっと到着したか)
あれこれと考えを巡らせている内に、アウルは長い石段を登りきることに成功した。
(ふぅーっ、疲れたなあ。膝がガクガクする……)
アウルは老人を背中から降ろした途端、膝に手をついて肩で息をする。顎から滴る汗を拭っていると、老人がアウルの左手を両の手で握手をするように掴む。
「ありがとう、アウル君。本当に、本当に助かったよ……」
「いいのっ、気にしないで! それじゃ俺は行くから、おじいちゃんも気を付けてね!」
苦しそうな表情を一切見せようとせず、アウルは笑顔で手を振ってその場を後にする。
(さて、と……誰か居ないかなぁ)
老人と別れたアウルは、キョロキョロと広場内を見回す。
「――あっ!」
全国民の九割以上が集まっているため尋常ではない程の人混みの密度であったが、アウルは運良くお目当ての人物を見付ける事ができた。
「ライカ!」
「……お、アウルか!」
奇跡的とも言える親友との遭遇に、クルーイルと別れた後の心細さが少しだけ和らぐ。
「おお、アウル君も無事だったようだな!」
すぐ近くに居たライカの父ブレットもアウルに気付き、声を掛ける。母親のナタールも隣に立っていたので、アウルは挨拶を返す。
「おじさん、おばさんも無事で良かったです。あ、それと……昨日はお世話になりました!」
「いいのよ。それよりこっちも大したおもてなし出来なくてごめんなさいね」
ペコリと頭を下げるアウルにナタールが返すが、アウルは遠慮をするように慌てて否定をした。と、そこでライカが近付き、小声で耳打ちをする。
「そういえば、クルーイルさんとはどうなったんだよ? ここに一緒に居ないってことは……やっぱりダメだったのか?」
それを尋ねられたアウルは『待ってました』と言わんばかりにニヤリと笑い、自宅に帰ってからのクルーイルとの一件について、説明を開始する――。
◇◆◇◆
「――おお、良かったな! それって大成功じゃね?」
事の顛末をひとしきり聞き終えたライカは、アウルの背中を叩いて喜びを分かち合う。
「うん、一応はね。でもちょっと話がおかしな方向に行っちゃってさ……さっき言った放課後の特訓の話が――」
「何をやっている?」
「えっ……?」
アウルが説明を付け加えようとしたその瞬間に、背後から唐突に口を挟まれた。
声がした方へ振り向くと、そこには――。
「エレニド……さん?」
先刻逢ったばかりのエレニド・ロスロボスが、腕を組みながら立っていたのだ。その佇まいは彼女の店で話した時と同様、相も変わらず厳然としている。
当然彼女もグラウト市から避難してきたのだろうが、服装と独特な雰囲気のお陰か、全国民が一堂に会するこの広場では存在感が明らかに際立っていた。
「……おい、アウル。このエロカワ姉さんは一体誰なんだよ?」
ライカが口元を手で隠しながら、アウルに訊く。
「エレニドさん、っていう兄貴の友達……になるの、かな?」
彼女と兄の関係については、アウルもまだ理解をしきれていない。自信がないままに答えてしまった。
「さっさと答えろ。何をやっている?」
そんな戸惑うアウルに対し、再度急かすようにエレニドが問う。だがアウルは質問の意図を汲み取れず、返答に困っているばかり。言葉を探り探りで紡いでいく。
「ええっと、見ての通り避難してきたん……だよ。エレニドさんも……無事にここまで来れたんだね、良かっ――」
「そうではない。兄を戦場に置いてきておいてオマエは何をやっている、とアタシは聞いているんだ」
「――っ!」
核心を衝かれ、ようやくと意図をアウルは理解した。そして一転して、保とうとしていた平常心が動揺へと移ろいでいく。
「…………っ」
心臓の鼓動が早まり、動悸が激しくなる。息が詰まるような感覚に陥りながらも、アウルはなんとか反論をする。
「……兄貴が、お前は来るなって……言ってたから」
「それで? お前は大人しく従ったのか?」
――やめろ。
「従う、というか……足手まといになると思って……」
「ほう、お前は兄貴を超える戦士になるのではなかったのか? そんな奴が、家族を置いてノコノコと一人だけ逃げてくるのか? たいした戦士だな」
――やめてくれ。
「違うっ! 俺はまだ弱いし、兄貴の方が強いから……」
「そんなことはアタシでも知っている。けど、それでもお前が兄貴を置いてきた事実に変わりはない」
――それ以上。
「それにお前は知っているんじゃないのか? アイツがどうしてお前に――」
――言わないでくれ!
「――未来を託したのか」
「っっ……!」
『――俺は……恐いんだっ!――』
エレニドが発する一語一句に、心臓を抉られるような思いをしながらアウルは聞き入っていた。そして最後の一言で兄の言葉が脳裏を過り、取り返しのつかない後悔の感情がアウルの心を占めた。
「……行かなきゃ」
「お、おい! どこ行くんだよっ!」
フラッとした足取りで中央階段の方へ引き返そうとするアウルを、ライカが腕を掴んで引き止める。
「離せよ……! 兄貴が、兄貴が……!」
「アウル……?」
今にも泣き出してしまいそうなほどに弱々しい表情を浮かべたアウルに、様子がおかしいとライカが気付く。
「アウル、とりあえず落ち着けよ! なっ?」
状況をよく呑み込めてはいなかったが、ひとまず落ち着かせようとライカが宥める。
「離せっ!」
「あ、アウルっ!」
だがアウルは掴まれていた腕を無理矢理と引き剥がし、そのまま広場の出口へと踵を返す。
「待ちな!」
そこで引き留めたのはエレニドだった。一喝するかのように呼び止め、振り返るアウルに向けて彼女は何かを放り投げた。アウルが受け取ったそれは、ワインレッドカラーの鞘に納まった短い刀身の剣だった。
「丸腰で向かうなんて愚かなマネは辞めるんだね。アタシの剣を貸してやるよ」
剣を受け取るや否やアウルは、礼を言う余裕も無かったのか、何も言わずその場を駆け抜けて後にしていく。そのままあっという間に人混みを抜け、登ってきた階段を降りていったのだった。
「…………!」
エレニドと少年のやり取りを間近で見ていたライカからすれば、彼女がアウルに何らかの暗示をかけたように見えたのは明らかだった。親友を無理に戦場へと向かわせた彼女に対し、ライカは滾る怒りを抑えきれないでいた。
「おい、あんた! 一体アウルに何を……えっ?」
激昂した先には、先程までの毅然としていた彼女の姿は無かった――。
その場へと屈み込み、静かに涙を流す彼女、ただ一人。




