27話 約束
前触れもなく響く、鐘の音。時報の役割を担っていないそれが聴こえたことによって、往来を行き交うグラウト市民達は瞬く間にパニック状態へと陥った。
各地区に配属されているゼレスティア兵が懸命に市民を落ち着かせ、避難場所への誘導に尽力する。しかし、数年に一度有るか無いかの非常事態だ。殆どの市民が緊急時に対する免疫を備えていないのが実態であった。
周囲が逃げ惑う人々で溢れ返るそんな中、アウルとクルーイルの二人は冷静に状況の判断をする。
「兄貴、これって……」
「ああ、どうやらゲートの中に魔神か魔物が入り込んだようだな」
事態を正確に把握しようと、クルーイルは辺りを見回した。すると市民への誘導を担当する一人の兵士を視界に捉え、人混みをすり抜けながら駆け寄る。
「――少し聞きたいことがあるんだが、いいか」
兵士の肩を後ろから叩き、振り向かせた。
「どうした……っっく、クルーイル……様?」
「こんな時だ、会釈はいらん。それよりも侵入した敵の数と種類、出現した地域を知っている限りでいい、教えてくれ」
元団士とこのような所で出くわすとは思いも寄らなかった、といった様子で兵士が驚くと、クルーイルは要点だけを掻い摘まませて敵の情報を聞き出す。
少し遅れてアウルもなんとか人波から抜け出し、クルーイルに追い付く。その兄が兵士から情報を聞き出した直後に顔色が変化していったのを、アウルは見逃さなかった。
(兄貴……?)
「――わかった、邪魔をしてすまなかった。引き続き避難誘導の方を宜しく頼む」
それだけを兵士に告げると、クルーイルはアウルへと向き直る。
「アウル、お前は今すぐ避難場所に向かえ。俺はこれから侵入してきた敵と戦う」
「お、俺も兄貴と一緒に行くよ! いいでしょ……?」
兄からの指示にアウルは大人しく従うつもりはないようで、反論をする。
「ダメだ」
弟からの訴えを、クルーイルが一言で伏せた。それでもアウルには引き下がる気など毛頭無い。ようやく長年に渡る遺恨から解放され、これから仲良く暮らせる。その感慨から今日だけは、兄から片時も離れたくないと思っていたのだった。
「何でだよ……これから毎日俺に戦いを教えてくれるんでしょ? だったら一緒に戦って間近で見た方が――」
「バカ野郎っっ!」
――怒号と共に飛んできた左拳が、アウルの右頬を捉えた。
「っ……!?」
全く警戒をしていなかったので、アウルは避けることも儘ならず。倒れ、ジンジンと痛む頬に触れ、兄の顔を見上げる。クルーイルは尻餅をついた弟を見下ろし、厳格な態度を崩さずに言葉を放つ。
「……自惚れるなよアウル。ここから先は今のお前が足を踏み入れて良い領域じゃない。半端な戦力と覚悟しか持たないような奴が一緒に行った所で、足手まといになるだけだ」
「――っ!」
クルーイル程の戦士に『足手まとい』と言われてしまっては、反論の余地などない。それを理解出来ないほど、アウルも愚かではなかった。
「……わかったよ、兄貴」
――何故か涙が出そうになった。
――それは痛みや悔しさから来るものではなく
――ここで兄貴と別れたら
――二度と会えないような気がしたから。
――そう思うと、何故か涙が出そうになったんだ。
「……約束、してもらっていい? 兄貴」
見上げていた顔を俯かせ、前髪で目頭を覆うように隠しながらアウルは言った。
「約束、だと?」
「うん。俺を卒業までに強くしてくれるって約束」
それを聞いたクルーイルは少しだけ呆気にとられるが、若干の笑みを含ませて応える。
「お前に言われずともそのつもりだが……まあ、約束してやろう」
無愛想ながらもそう言い残し、クルーイルはその場を後にした。人混みに呑まれ瞬く間に見えなくなってしまった兄の背中を、アウルはしばらくの間見送った――。
◇◆◇◆
アウルと別れた後――クルーイルは街中を奔走しながら、状況をもうひとつだけ把握することができた。
敵が居るであろう西門方面の夜空に目を移すと、空と雲がうっすらと紅く照らされている。これが意味するのは、中規模以上の火災も同時に発生しているという事実だ。
「本当に、アイツなのか……」
先ほど訊き出した敵の情報に半信半疑ではあったが、空の色を眺めていると、徐々に信憑性が高まっていく。
(流石に……丸腰じゃキツいよな)
これから出逢う敵の戦力が一筋縄ではいかないものだと判断したクルーイルは、道中で適当な鍛冶屋を見付ける。ここで武器の調達をしようと目論んだのだ。
(やはりこの状況では誰もいないか……)
立ち寄った店は鍛治士が既に避難していたので、蛻の殻と化していた。
「大したモノではないが、無いよりはマシか」
ひとしきり物色をしてみたが、元団士を唸らせる程の業物は一振りも無かった。
『他の鍛冶屋を回るか』とも考えたが、そんな時間は無いと即座に否定をする。そして妥協した結果、その店の中では一番上等である材質で造られた長剣を、クルーイルは見繕うことにした。
「よし……行くか」
彼はそのまま店を後にし、剣を納めた鞘を握り締め、再び西門へと向かう。
更に一〇分程走ると、クルーイルは広場へと到着する。
(……っ!)
早速と視界へ映った惨状に思わず目を伏せてしまいそうになるが、背けずに広場を見渡す。
(ひどいな……)
屋台等の露店が普段から数多く構えられ、いつも賑わっていたこの広場。しかしそこら中が業火に包まれた今となっては、逃げ遅れた市民や立ち向かったであろう兵士が、何人も無惨な姿で横たわっていたのだ。
(くそっ……! 既に犠牲者がこんなにも……!)
もう少し早く向かっていれば、ここまでの被害にはならなかっただろう。そう後悔し、自らを責めるクルーイルだったが――。
「だっ、誰かぁ……助けてええええっ!」
金切り声が耳に届く。クルーイルはすぐに意識を切り替え、悲鳴が聴こえた方向へと走る。
「ビスタ様、お願いです! 娘だけは……娘だけはどうか!」
辿り着く先には初老の男性が、泣き叫ぶ二十歳前後の若い娘の盾となるように庇い立っている。その親子の前に佇んでいたのは、ビスタ・サムエレスだった。
「……娘だけは助けてほしいってこと? どうしようかなぁ?」
そう言いながら、彼はわざとらしく悩む素振りを見せている。表情にはいつもの精悍さは感じられず、クルーイルの知る彼とはまるで別人のようだった。
「妻はこの子を産んですぐに死んでしまって……男手一つで育ててきた大切な娘なんです! だからどうか……どうか!」
ニタニタと意地の悪い笑みを浮かべ続けているビスタに対し、男は必死に訴えを続ける。
「うーん」
対してビスタは、値踏みでもしているかのように懇願をする男性を瞥し、考え込むようにして唸っている。
(くそっ、間に合えっ――!)
一〇〇ヤールト程離れた位置にあるその現場へ、全速力でクルーイルは急行するが――。
「――じゃあ、とりあえずキミは死んでも良いって事だね」
ビスタのその無慈悲な言葉と共に、男は喉元で剣を呑み込むかのように貫かれてしまったのだ。
ずぶり、と新鮮な果実をナイフで思い切り刺したような感触が、音となって聴こえた。剣を抜いた傷穴からは大量の鮮血が飛沫く――。
絶え間なく、噴き出す赤。
「お父さん……? お父さん……! 嫌ァアアアアアア」
実父の惨死を目の前で目撃した娘は、亡骸を抱きしめて慟哭する。
「うるさいなあ……もういいや、キミも死んじゃえ」
その様を傍らで見ていたビスタは煩わしそうにそれだけを告げると、泣き叫ぶ娘の脳天目掛けて剣を振り下ろす――。
「――っ!?」
しかし長剣の切っ先は、娘の頭頂に触れることはなかった。直前で停止したのだ。
「はぁっ、はあっ、はぁっ……!」
間一髪で間に合ったクルーイルが、ビスタの手首を掴んで阻止していた。いや、また一人と尊い命が失われたのだ、クルーイルは決して『間に合った』と思ってはいないだろう。その表情は、安堵ではなくやるせなさに包まれていた。
「ビスタ……これは一体どういうことだ?」
手首を握る力を込めたまま、クルーイルは問い詰めた。
それに対し、ビスタは――。
「えっとキミ……誰だっけ?」




