23話 賭け
そよぐ微風に夜の冷たさが交わり始める頃、ピースキーパー宅の庭には二人の兄弟が対峙していた。
学園にある武術場と同様、一面が緑の芝生で覆われている庭。その面積は、一対一の手合いをするにあたり申し分のない程度に広かった。
「何を企んでいる、アウル」
そんな中、まだ怒りの冷めきっていないクルーイルが、つい先程の不躾な振る舞いと提案に対し弟へと訊く。
「何も企んでなんかいないよ。ただ兄貴に俺の力を見て貰いたいだけ、かな」
一方でアウルは深い意味など含ませず、ありのままにそう答えた。
「お前の力を……だと?」
クルーイルは不愉快と不可解が同居したような面持ちだ。そんな彼の疑問に答えるかのよう、アウルは隠し持っていた木剣を一本投げ渡す。この時のために学園からくすねてきた物だ。
「…………」
左手でそれを受け取ったクルーイルは訝しみながらも手に取って確かめ、何の変哲もないただの木剣だと認識をする。
「これを使ってやるのか……? 手合いとやらを」
兄からそう問われると、アウルはニッと口元を緩ませて答える。
「そうだよ。兄貴も、まだ学士だった頃は武術授業の時に良くやってたんでしょ? だったらやろうよ」
「落ちこぼれのお前なんかに俺の相手が務まるとでも思っているのか?」
「やってみなきゃわからないでしょ」
分を弁えない弟の発言に、クルーイルは苛々とした感情が顔から滲み出る。だがその怒りは、家の中で激昂していた程のものではなかった。更には手合いの提案に少しだけ心を躍らせたのか、木剣を手に馴染ませるよう二度三度軽く振り、感覚を思い起こそうとすらしていた。
「フ……まあ、いいだろう。それで、勝敗の条件は?」
「〝時間無制限のトーナメントルール〟で……って言えばわかるよね?」
限られた単語だけで説明がされたそのルールだが、クルーイルには心当たりがあった。
「……! あのトーナメントはまだあるのか?」
「あるよ。兄貴の代から始まったんでしょ?」
そう問い返されたクルーイルは、虚をつかれた表情を少しだけ緩める。
「……よく知っているな。じゃあ俺の戦績も知っているのか?」
「〝三年間無敗〟――だよね?」
「そこまで知っておいて申し込んできた、ということでいいんだな?」
「当然!」
アウルは威勢よくそう言うと、腰を低く落として左肩を相手に向け、右半身で左手に持った木剣を隠すような姿勢で構える。
対するクルーイルは両手で柄をしっかりと握り、背筋がピンと整った構えを見せた。
「…………」
お互いに準備が整い、後は開始の合図だけといったところだ。だがそこで、唐突にアウルが一つの提案を持ちかける。
「……兄貴、賭けをしてみない?」
「賭け、だと?」
構えを解かずにクルーイルが問い返す。
「うん。勝った方が負けた方の言うことを何でも一つだけ聞く、ってのはどうかな?」
「フ……何が狙いなのかさっぱりだが、いいだろう。それで、お前が勝ったら俺に何を言い聞かせるつもりなんだ?」
「えっと……」
アウルは少しだけ躊躇う素振りを見せると、やがて小さな声で呟く。
「――らそう」
「えっ?」
「これからは仲良く暮らそう、兄貴」
――ああ、そうだったよ。
――俺はコイツのこういうところが心底嫌いだったんだ。
――俺がいくら殴っても、蹴っても。
――何食わぬ顔で接してきやがって。
クルーイルの怒りの感情が、ゆらりと淡いだ。
「……わかった。お前が勝ったらな」
「兄貴は勝ったら何を望むの?」
「さあな。勝ってから考えるさ」
その返答を受け、アウルは小さく深呼吸をする。
いよいよ態勢は整った。
「じゃあ、開始の合図は――」
「いつでもこい」
アウルが合図の取り決めを一任される。
そして――。
「……わかった」
直後、芝生を強く蹴る。
真正面から間合いを詰め、水平に木剣を薙ぐ。
アウルが最初に狙いを定めたのは左脇腹――ではなく下顎。
(サクリウスさんと同じで、バカ正直に攻めても兄貴には通じないハズ……だったら!)
昼にサクリウスから攻撃の単調さを指摘されたのを受けて、アウルは算段を立てていた。
(フ……バレバレだ。初撃は当てるつもりないんだろ? 狙いは……)
一方でクルーイルは、アウルの踏み込みの甘さからその目論みを見破っていた。読み通り、アウルの初撃は避けずとも、彼の着ているコートを掠めるようにして空を切る。
(これで――!)
アウルはそのまま、振りの遠心力をふんだんに乗せた、残り脚での回し蹴りを兄の下顎目掛けて放つ。
(……ホラな)
放った蹴撃が弧を描いて素通りしていく。あっさりと回避されてしまった。
「フ……いきなり剣を使わないどころか、顔面攻撃とはな」
「……っ!」
動きと意識の不意をついたつもりでいたアウルだったが、軽々と躱されてしまったことに少しだけ驚いた顔を見せた。しかし間髪を入れることなく、今度は木剣を短く持ち、喉元への素早い刺突を繰り出した。
(いい速さだ。だが――)
それに対しクルーイルは、迫る切っ先を自らの木剣の刀身で冷静に受け流してみせた。そして突きの勢いを残させたまま、軽やかにアウルの背後へと回り込み、延髄へ一撃を振り下ろした。
「がっ……っは……!」
クリーンヒット。芝生に滑り込むようにアウルが倒れ、重く残る痛みに悶える。
「試合なら一本……と言いたいところだが、俺の勝ちでいいのか?」
「やだ。全然効いてないから有効な攻撃になってないし」
「……涙目になりながら何を言ってるんだお前は」
兄に言われ、目の端に一滴の涙が浮いてしまっていた事に初めてアウルが気付く。慌てて起き上がると目尻を拭い、平気だとアピールをした。
「……まあいい。俺もこの程度でお前に勝ったとは思わんしな」
クルーイルは再び両手で柄を握り、構え直す。それに呼応するかのように、アウルも先程と同じ構えをとった。
「次は俺から仕掛けるぞ」
「……うん」
アウルのその応答と共に、クルーイルは踏み込み――。
(えっ――)
「……見えたか?」
先程のアウル同様、真正面からクルーイルは向かってきた。だがアウルと異なっていたのは、攻撃に一切のフェイントを織り交ぜることなく迫ってきたこと。当然アウルもリーベ・グアルドを駆使し、既で攻撃を躱せるよう身構えていた。
しかし袈裟斬りの方向に放たれていた剣撃は、アウルの鎖骨の側に既にて止められていたのだった。
(み、見えなかった……)
全身に後から戦慄が奔り、思わず芝生に尻餅をついてしまうアウル。
「その反応から察するに、見えていなかったようだな。なぜこうも簡単に正面からの攻撃を許してしまったのか……その理由がお前にわかるか?」
唖然とするアウルは強がろうと嘯く余裕すら無く、その問いに対して首を横に振ることしかできずにいた。
「今のは技術でも仕掛けでもなんでもなく、俺の攻撃が速くてお前の回避が遅かった。ただ、それだけだ」
(……俺の回避が――遅い?)
突き付けられた事実が、衝撃となってアウルの脳内を駆け巡る。益々と言葉を失ってしまうそんな弟に対し、クルーイルは続けた。
「お前はリーベ・グアルドを俺から見て盗み、使いこなしてはいる。しかしそれは結局、学士レベルで通用する代物にしか過ぎない。本当に強い相手……己の実力を圧倒的に上回る相手との実戦経験が遥かに不足しているのが、お前の現状だ」
「……!」
『――〝お前みたいな実戦経験がほぼゼロのような奴には〟』
クルーイルから告げられたその言葉に、サクリウスから指摘された内容が胸の内にて反芻をする。
(くそ……)
またもや自らの実力不足を痛感させられてしまったアウル。そんな弟に対し、クルーイルは――。
「……実力差はもう理解しただろ。お前では俺に勝てない」
ここまでの差を見せ付けられてしまっては、反論の余地は皆無だった。ただ沈黙するしか出来ずにいたアウルは、表情に悔しさを滲ませる。
「では早速、俺の言うことを聞いてもらうぞ」
「え……えぇ!?」
唐突に勝敗を決められ、驚きの余りアウルは久々に声を発した。
「お、俺……〝参った〟なんて言って……」
「いいから良く聞けっ! お前はこれから――」
「……っ」
激昂で遮られ、早速と勝者の権限が行使されようとしている。無理やりと固唾を呑まされたアウルは、心の準備がまだ整っていない。
そして、クルーイルの口から放たれたのは――。
「俺に代わって親衛士団に入団しろ」
「……えっ?」




