21話 ケルーンとマックル
「――ビスタ様っ!」
ケルーンを救うため『上級火術』を唱えたビスタは、直後に膝から崩れ落ち、その場にうつ伏せで倒れ込む。
虚ろとなった視線。手足の若干の痙攣。額から冷たい汗。容態を伺ったマックルはすぐに、その症状がマナ・ショックによるものだと察した。
「ビスタ様がマナ・ショックになるなんて、一体なぜ……」
魔術を扱う者達の間で、絶対にあってはならない失態として認識されているマナ・ショック。それを団士であるビスタが引き起こしていることに、マックルが困惑する。
「……っっ……っ!」
その彼に対し、まだ辛うじて意識のあったビスタは魔神にトドメを刺すようにと、喉を振り絞って伝えようとしている。しかし全身の筋肉が弛緩し身動きはおろか、声すら出せずにいたのだった。
(マックル、頼む……! 俺の事はいい……早く、トド……メ、を――)
声を出さずに懇願するが、徐々に意識が遠退いていくビスタ。彼のその想いも虚しく、プロミネートの発動時間はやがて終了を迎えてしまう。そして、魔神が火柱の拘束から解かれる。
「あ、aっ……あつっ熱か、っ……tあ」
魔神の全身が再び重度の火傷に見舞われるが、焼け焦げ黒ずんだ皮膚は、瞬く間に修復していく。
「ふぅっ、あぶねえあぶねえ……」
一方でケルーンは間一髪で地面に向けて跳び、不恰好ながらもビスタの術の巻き添えから逃れていた。
「……っ! おいおいマジかよ?」
すぐに起き上がるがそこで彼は初めて、魔神の自己治癒力の高さを目撃し、驚嘆とする。
(なんつう回復スピードだよ。ビスタ様のプロミネートをモロに喰らったっていうのに……)
だが、驚いている場合ではない。瞬時に思考を正したケルーンは大剣を再び構え、魔神の正面へと立つ。
(……ビスタ様は、あの様子だと恐らくマナ・ショックによるダウンだろうな。俺としたことが魔神の〝特性〟の存在をすっかりと忘れてたぜ……ビスタ様がプロミネートを撃ってくれなきゃ今頃天国行きだっただろう……本当に面目ねえ)
ケルーンは先程の攻防を反省しつつ、魔神の背後にいるビスタとマックルにチラリと視線を移す。
(ビスタ様があの状態じゃ、マックルはあそこから離れることは出来ねえだろう。だからこの場は俺がどうにかしてコイツを倒さなきゃな。じゃないと、自分のマナの許容量を無視してまで守ってくれたビスタ様に顔向けが出来ねえ……!)
決意を新たに、彼は覚悟を奮い立たせた。
(俺が、やるしか……!)
剣を握る手に力を込め、闘志を剥き出しにする。
が、それを嘲笑うかのように、魔神は念じ始めていた。
(――溶解――)
「えっ?」
瞬間、大木のように太く逞しかったケルーンの左大腿部がドロリと溶け、激しい火傷のような痛みが彼を襲う――。
「熱っつ、うぅっ……ぐっ! があああぁぁっっ!」
自身の脚が溶けていくその激痛は筆舌に尽くし難く、大の男でありながらケルーンは大声で呻く。そのまま身体のバランスを崩し倒れ込みそうになるが、彼は大剣を杖のように地面へと突き立て、転げ回りたい気持ちをなんとか踏みとどまらせる。だがその容態は深刻で、分厚い筋肉に覆われていた左脚は白い骨を覗かせる程に溶解が進み、爛れた傷口からは湯気が昇り立っていた。
「ふうーっ……ふうーっ……!」
歯を食い縛りながら痛みを堪えるケルーンの額には珠のような汗が滲み、次第に顔色は蒼白へと変化していく。
「ケルーンっ!」
ビスタの傍らに居たマックルはケルーンの負傷に見兼ね、駆け付けようとするが――。
「来るんじゃねえっ……!」
怒号で遮られ、マックルは反射的に身体をピタリと止めてしまう。声を上げたケルーンは開いた手をマックルへと向けて制し、再び口を開く。
「だいっ、じょう……ぶだ! 来なくていい……! それよりっ、ビスタ様の傍にいてやれるのはお前だけなんだ……絶対に、そこを離れんなよ……!」
彼はそう言いながらも、苦痛に顔を歪ませている。満身創痍なその姿は、誰の目から見ても『大丈夫』という言葉とは無縁なのが明らかだ。当然、マックルは反論をする。
「貴様……強がるのは止めろっ! いいから一旦退け! このままでは死ぬぞ……!」
「おやおやマックルくん……俺の事を心配してくれるってのかい? お優しいねえ」
いつになく心配をする彼に、ケルーンはいつものように軽口を叩く。マックルは顔を赤くして激怒する。
「……ああそうかわかったっ! 貴様はそのままそこで死んでろっ! 俺はもう知らんからなっ」
この期に及んでの軽薄な態度に呆れ返ったマックルは、ぷいっとビスタの元へと踵を返す。
「……マックルちゃん、勘違いすんなよ? 俺は無駄死にする気なんてサラサラ無いんだぜ」
(なにっ――?)
「――お前ら今だっ! 出てこい!」
「応っっ!」
その合図とともに、魔神とケルーンを挟むようにあった繁みから兵士達が葉音をたてて現れると、一斉に魔神へと飛び掛かる――。
「――っ……っ?」
ケルーンが予め指示していた、本日三度目の奇襲。魔神は山羊頭をキョロキョロと動かし、左右から群がるどの兵士から相手取ればと困惑している。そして、そこに一瞬の隙が生じた。
(――チャンスだ!)
その好機をケルーンは見逃さなかった。地面に刺していたままの大剣を強く握ると、片脚と腕の筋肉のみを使い、棒高跳びの要領で大きく跳躍。そして着地と同時に魔神へと組み付き、背骨ごと折ろうかというほどの力で羽交い締めをする。物理的な拘束に成功したのだ。
(……よしっ、俺の方が強えぇ!)
成人男性一人分ほどの重量を誇る大剣を軽々と扱うほどに、腕力自慢のケルーン。怪力によるその羽交い締めは、いくら魔神族といえども引き剥がすのは容易ではないだろう。
「お前らっ! 頭だ、やれっ!」
抑え付けながらそう指示したケルーンに従い、兵士達は各自が持っている剣で頭部への攻撃を繰り出そうとする。だが魔神は組み付かれる直前、咄嗟に右腕を地面深くへと突き刺し、潜行させていたのだ。針金のようなその腕は地中から猛スピードで飛び出し、蠍が尾の先端を突き刺すが如く、兵士一人の額を貫通させ一瞬で絶命に至らしめた――。
「う、うわああああ!」
隣にいた兵士が、恐怖のあまりに悲鳴を上げた。魔神に斬りかかろうとしていた全員の意識が一瞬ながら、そちらへと集中してしまう。
(――溶解――)
その僅かな硬直を魔神は逃さない。今度は一番間近にまで踏み込んでいた、兵士の頭部を特性であっという間に溶かす。そして間髪を入れず右腕を再び動かし、並んで立ち尽くしていた兵士二人の側頭部を、串焼きのように連続で貫いてみせたのだ。
「なっ……!」
八人もいた奇襲部隊は瞬く間に半数となった。残った四人は、踏み込むのを躊躇っている。
「お前ら、怯むんじゃねえ! 頭を……!」
「あっ、A、naなた……いっE加減、じゃ、邪っ魔っま、ね……」
必死の形相で組み付くケルーンに魔神は嫌気が差したのか、彼の顔面に向けて特性を念じる。
「――っ!」
頭部だけには食らうまいと、羽交い締めをしながらもケルーンは咄嗟に上体だけを仰け反らす。そう先読みして回避したのだが――。
「ぎっぎぎぎっ……! あっ、があああああァァッッ」
密着したままでは避けきれるはずもなく、今度は胸から腹部にかけてが溶け、被服ごと筋肉と脂肪が焼け爛れていく。じわじわと溶解は進み、下腹部からはだらりと腸が零れ出る。
「――今だ! 行くぞ!」
しかし、魔神の意識がケルーンへと逸れたことが功を奏す。逡巡していた兵士達は、一斉に山羊頭目掛けて斬りかかる――。
「なんっ、て硬さだよ……この頭! 切り落とせねえ……!」
刃こそ通るのだが、硬さと重さで振り切れない。並の兵士達の技量と、支給された鉄剣程度では、腕前と切れ味が足りなかったのだ。トドメを刺せずにいるそんな兵士達に見かねたケルーンは、痛みに震えながらも、力を振り絞って声を上げる。
「――び、ビスタ様の……ビスタ様の剣を持ってこいっ!」
「わ、わかった!」
最高級魔金属と言われる『スピルス』で造られたビスタの長剣であれば、容易に切り裂くことが可能だとケルーンは判断したのだ。瀕死の彼に命じられた兵士は、急いでマックルとビスタの居る位置へと向かおうとしたのだが――。
「い、イカっ、せな、いっ……わゎよっ」
(――溶解――)
特性によって兵士の左脚が溶かされる。身体の支えとなる部位が片方だけとなった兵士はその場に倒れ、溶解していく足を見て無様に喚き散らしている。
(だ、ダメだっ、一体どうしたら……)
残った兵士三人の脳裏を、諦めがちらつく。魔神も勝利を確信し始めた頃であろう。
するとそこで、彼らの頭上を一輪の風が吹き抜けていく。
その場に居合わせた全員が反射的に上を見やると――。
「まっ、マックル――!?」
飛翔風術で空を滑空するマックルが、宙空にはいた。手には気絶したビスタから借り受けた剣が握られている。そのまま魔神の頭上で術を解除した彼は、落下した状態のまま両手で剣を掴み、大きく振りかぶる。
「これで……終わりだ!」
マックルがそう宣言すると、山羊頭の魔神も諦めを悟ったかのように――。
「ええ……終わりのようね」
――ハッキリと聞き取れる言葉を残すと、首は直後に切り落とされた。
◇◆◇◆
「マックル……助かったよ。お前がやってくれなきゃ俺達は全滅してた」
兵士の一人が礼を言うと、他に生き残った二人もそれに倣う。
「俺はただトドメを刺しただけだ、礼には及ばん。それよりも……ケルーン!」
マックルはニつの首が綺麗に切り落とされた魔神の身体をケルーンから引き剥がすと、急いで容態を確認する。
「……っっ全く、貴様ときたら……この期に及んでまでどうして笑っていられるんだ」
マックルが瞳に涙を滲ませ語りかける。とても安らかに眠るよう瞼を深く閉じたケルーンの顔は、後悔や未練など微塵もない、とでも言わんばかりの満足げな表情が浮かんでいたのだった――。
「貴様と共に戦った日々……」
いつも緊張感がなく、大雑把な性格のケルーン。神経質で几帳面なマックルとは、反りも合わなかった。
「……悪くはなかったぞ」
時には衝突し、時には対抗心を燃やしたこともある。だが、彼と肩を並べて戦っていた時が、一番充実を得られたのも事実だった。
「今までありがとう、ケルーン」
マックルは心の底から彼の死を悼むと、共に過ごした戦いの日々を思い返し、感謝を送る――。
「……雰囲気壊しちゃって悪いんだけどさぁ、その剣確か俺のだよね? 返してもらっていいかなあ?」
「――っ!?」
ケルーンの亡骸を寝かせ、立ち上がろうとしたマックルの背後からは、聞き慣れた声。
振り返った先に、悠然と立っていたのは――。
「ビスタ……さま?」




