20話 奇襲
あと一息で魔神を倒せる――。
という段階にまで、ビスタは戦況を好転させた。だがもう一度『プロミネート』を唱えようとしても、二の足を踏んでしまう。自身のマナの残量が限界に近いからだ。
生来より備わった許容量を超える値の魔術を扱ってしまった場合、人間は『マナ・ショック』という名の、マナの過不足による全身の一時的な麻痺状態へと陥る。
そうなってしまうと戦闘は勿論のこと、全身に襲い来る激しい疲労感と倦怠感により、半日はまともに身動きが取れなくなってしまう。ゆえに魔術の心得がある者は『絶対に許容量を超えるマナを使用してはならない』と、学士の一修生から常識として叩き込まれているのだ。
(様子見代わりで最初に初級火術を撃ったのが迂闊だったか……仮にもう一度上級火術を唱えてしまうと、あの無駄撃ちの分が完全に許容量を超えてしまうな……どうすれば)
親衛士団クラスの戦士となれば、己のマナの絶対量を完全に把握し、どの術をどれ程唱えればマナ・ショックに罹るかを知り尽くしていた。
(くっ、やはり剣だけで……!)
魔術での足止めを諦め剣一本で戦うしかないか、とビスタは作戦を切り替えようとした。
しかし、その時であった――。
(――溶解――)
魔神が脳内でそう念じる。無論、ビスタにはその単語を聴き取ることなど不可能だ。それでも彼は咄嗟に第六感が働いたのか、言い様のない嫌な気配を感知し、左へと身を転がして回避をする。
「なっ……!? これは……!」
予感は的中。魔神が念じた数秒後、ビスタが元々立っていた位置からやや後ろに転がっていた兵士の生首の一つが、濃硫酸を浴びせられたかのようにどろりと溶け始めたのだ。
「……っ!」
思わず鼻をつまんでしまいたくなるような、強烈な刺激臭が周囲に充満する。顔面の骨が剥き出しになる程にたちまちと溶けていくその様は、ビスタをかつてなく戦慄させた。
(これが、中位以上の魔神が持つと呼ばれる〝特性〟か……なんとか避ける事は出来たが、もう数秒遅ければ……!)
その仮定の続きを考えただけで背筋が凍り付く。初めて目の当たりにした特性の脅威に、ビスタは警戒を張りつつ策を練り直した。
(ノーモーションであんな威力の攻撃がある相手にこれ以上接近するのはマズい。やはり中距離以上からの魔術での攻撃が望ましいが、それはもう難しい……)
これ以上相手との間合いを詰めることなどできない。かといって、このまま離れて戦うにはやはり魔術での攻撃が必須となってくる。打つ手は無きに等しかった。
そして彼がそうこう考えている内にも魔神は再び念じ始めていた。一切の予備動作もなく放たれようとしている特性による攻撃に対し、そう都合良く何度も勘が働くはずもない。ビスタは立ち尽くしたままとなっていた。
だが、その瞬間――。
「〝プレッション・ゲーレ〟!」
――念声ではなく肉声が聞こえたのだ。
直後、ビスタの後方から視認不可の風の矢が放たれ、魔神の左胸を射抜く。
「――っっ!?」
何故胸が貫かれたか魔神には理解が及ばず、そのまま視線を凝らして前方を窺ったが、そこにはビスタ以外誰もいなかった。
「ここだ!」
「……eえ……ぇっ?」
魔神の頭上から聴こえた声――見上げたその先には風術士、マックル・ワレリオの姿があった。人間の跳躍では有り得ないほどの高さに、彼が浮いていたのだ。
(マックル……? どうしてここに……)
魔神の驚きとは理由が異なり、この場には既にいないと思っていた人物の再登場に、ビスタは唖然としている。
(……いや、これはチャンスだ!)
しかしすぐに冷静にと頭を働かせ、叫ぶ。
「マックルっ! 頭だ!」
その指示を受けたマックルは、右手の二本の指を頭上へと掲げる。そして体内を駆け巡るマナを練り上げ終えると、狙いを定めるようにして二本指を魔神へと向け――。
「〝プレッション・ゲーレ〟!」
唱えたと同時に再び放たれた風矢。
狙いは山羊頭の眉間。
一直線に突き刺さるかと思われたが――。
「ぐっ……!」
呻きを上げたのはマックルだった。矢を発射する直前、魔神の長く尖った右腕が、宙空に浮くマックルの右肩を先に貫いていた。それにより風矢の狙いは外れてしまい、地面に少しの穴を空ける程度に終わる。
「く……そ……」
肩を貫かれた痛みに表情を歪ませたマックルは、予め唱えていた『飛翔風術』をやむなく解除。よろめきながら、ビスタの側へと着地をする。
「マックル! 大丈夫か!」
ビスタが患部を診る。鉛筆ほどの太さの風穴からは、大量の血が流れ出ていた。着ていた白いローブの袖がじわりと、赤で滲んでいく。
「お、俺なら大丈夫です……! それより……」
しかしマックルは事もなげに済まそうとする。そして既に左胸の修復を終えていた魔神の方に目をやり、悔しそうに唇を噛んだ。
「俺の奇襲は失敗してしまいました……ビスタ様の命令に背いた挙げ句、このような体たらくをお見せしてしまい、誠に申し訳ありません……!」
「そんな事で一々謝らなくていい! それより……キミ一人で引き返して来たのか?」
「いえ……俺は風術で飛び、先に辿り着いたまでです。後続の兵士達は遅れて到着するでしょう」
(――ん?)
とそこで、ビスタは一連のマックルとのやり取りにどこか引っ掛かる箇所があったことに気付く。
(確か……)
違和感を覚え、思い返し、マックルに改めて尋ねる。
「今、俺の奇襲が失敗したと言わなかったか……?」
その問いにマックルは、ニヤリと薄笑みを浮かべた。
「ええ、俺の奇襲は失敗してしまいましたよ。俺の、はですが……」
「それは一体どういう……」
「――すっすす好きっ……す、隙だっらっ、け……ね……」
だがビスタが訝る一方で、二人を目掛け魔神が再び念じ始めていた。マックルの予期せぬ参戦により動揺をしてしまったビスタが、今回の戦闘で見せた一番の隙だったのだが――。
「――へっ、お前が一番隙だらけだよ」
「っっ!?」
魔神の背後から突如聞こえた、野太い男性の声。正面に並ぶ二人以外の存在に対し、魔神は仰天とする。
「ケルーン!?」
「あの蛮人も意外と頭が切れるのですよ。ビスタ様……」
ビスタはケルーンの登場に再び面を食らう。
一方でマックルは笑みを浮かべたまま、第二の奇襲の成功を確信していた――。
◇◆◇◆
「〝ティア・ゲーレ〟っ!」
そう唱えたマックルの身体の周りを、辺りにそよぐ微風が徐々に集束していく。次第に彼の全身はゆっくりと宙に浮き、三ヤールト程の高さにまで浮遊した。
「俺は一足先にビスタ様の元に向かうつもりだが、貴様らはどうする?」
ふよふよと宙空に浮かびながら、ケルーン達を見下ろす形でマックルは訊いた。
「そうだな……俺は〝ヒドゥネ〟を使って向かうつもりだ」
ケルーンが自信満々に答えた。マックルはその術の名を聞き、頷いて納得を見せる。
「ヒドゥネ、か……成る程な。貴様にしては考えた方じゃないか」
「オメーは一言余計だよ」
大剣で宙に浮くマックルを突っつこうとするが、ひらりと華麗にかわされてしまう。
「……俺はもう行く。貴様らも遅れずに来い」
「ああ、ビスタ様を頼んだ」
ケルーンに託されたマックルはこくりと頷くと、前屈みの体勢で勢いよく空中を滑走。真っ先にビスタの元へと向かっていった――。
「なあケルーン……俺達はどうすればいい?」
会話を交わしていた二人を除いた八人の兵士達の内の一人が口を開き、ケルーンへと指示を仰ぐ。彼等もゼレスティア軍の勇猛な兵士。ただ指を咥えながら戦いを眺める気など無いという強い意志が、それぞれの表情からうかがえた。
「そうだな……お前達は四人ずつに分かれて左右から迂回して向かってくれ。茂みに隠れながら機を窺い、俺の合図で挟み撃ちしてほしい」
「……わかった。俺達の命、お前に預けたからな!」
「おう、任せろっ」
拳同士をゴツっとケルーンとぶつけ合ったその兵士は、他の兵士達と共に左右から迂回して向かっていった。
「……さぁて、俺もぼちぼち向かわねえとな!」
気合いを入れるべくケルーンは両頬をバチンと叩き、全速力で戦場へと馳せていった――。
◇◆◇◆
「――そうか、ケルーンはヒドゥネを……!」
土で全身が薄汚れたケルーンの姿を見て、ビスタは理解を示す。
ケルーンが此処に辿り着く前に予め唱えていた『ヒドゥネ』とは、己の身体を地中へと潜らせることが可能となる術。比較的簡単に会得ができるこの初級土術は本来、逃走や待ち伏せなどの用途で扱われる事が多かった。
(確かにケルーンのあの腕力なら……!)
だがケルーンはビスタ達から少し離れた位置にて地中へと潜ると、魔神の背後まで力尽くで掘り進んで来たのだ。『ヒドゥネ』を用いてここまでの完璧な奇襲を実践できるのは、ゼレスティア軍全体で見渡してもトップクラスの腕力を誇る彼くらいなものだろう。
「――もらったぁ!」
完全に魔神の虚をついたケルーンは、そのまま剣を水平に大きく振りかぶる。極限にまで身体を捻り遠心力を込めたのち、大剣を山羊頭へ目掛け全力で振るおうとする。手を伸ばせば触れられる間合い、ここまで接近してしまえば長腕による反撃も手遅れだろう。ケルーンもそう確信していた。
「あ、あっ、a……ま甘いわ、よ……!」
「なっ……?」
だが剣撃の加速が開始されようとするその刹那、山羊頭の首は一八〇度にぐるりと捻転。常識的な身体構造を大いに無視してみせたその動きのまま、続けて念じる。特性で狙い撃とうとする先は、驚きのあまりに硬直してしまっているケルーンの――顔面だった。
「なんだ? なにしようってんだよ……?」
相手取る魔神の『特性』について、ケルーンはまだ理解が及んでいない。剣を両手で振りかぶった姿勢のまま、ただ訝しむ事しか出来ずにいたのだ。
「――ケルーン、離れろぉっ!」
「っ……ビスタ様っ?」
ビスタから咄嗟に回避を命じられ、ケルーンはようやくと己の危機を悟る。しかし、既にそれは遅きに失していた。
「〝プロミネート〟ぉっ!」
(――溶解――っ!)
魔神が念じ終える直前の間一髪、ビスタは再び上級火術を唱え、先程と同様に業火を直下させる。特性の発動を遮りビスタは見事、ケルーンを窮地から救ってみせたのだ。
「ビスタ……様?」
だが彼は、自らのマナの許容量を無視してまで『部下の命を守る』ことを優先してしまった。それは謂わば、事態を先延ばしにしただけに過ぎない。導火線に火が点けられたかの如く、ここから静かに絶望は始まっていくのだった。




