1話 アウルの日常
木造の教室の窓から差す、木漏れ日の暖かさ。その心地良さは勉強への意欲を削ぎ、微睡みへと誘うことだろう。
だが生徒達は欠伸を堪えながらも集中を途切れさせることなく、黒板を注視し続けている。卒業を間近に控えた大事な時期、少しでも内申に響くような行いをすれば、将来の選択肢に影響を及ぼす可能性がある。生徒たちはそれを理解し、真面目に勉学へと励んでいたのだ。
そんなある種の緊張感が漂う教室の中、窓際の席に座る一人の少年が、栗色の頭を机に伏せていた――。
「――おいアウル、起きろ」
「…………」
隣に座る友人が小声で名を呼び、身体を揺すって起こそうとする。だが少年は起きようとはせず、小さく寝息を漏らしたままだ。
「――アウル、やばいって」
「…………」
更に強く友人は揺するが、それでも少年は起きず、微動だにしてくれない。そして――。
「――アウリスト・ピースキーパー!!」
「いでっっ」
友人とは別の人物からの名を呼ぶ怒声と共に、伏したままの少年の頭に飛来物が命中したのだ。
◇◆◇◆
――ここは『城塞都市ゼレスティア』
その冠した城塞都市という名の示す通り、石製の分厚い城郭に囲われた都市国家だ。城郭内には一万人を優に超す国民が住み、生活を営んでいる。
城郭は、人類にとって脅威となる存在を寄せ付けないために建造されたものである。魔物や魔神族といった『外敵』として扱われている生物に対し、触れることはおろか近付くことさえ嫌うという特殊な鉱石にて造られていた。
人はこの城郭を『ゲート』と呼び、このゲートが建っているからこそ、国民は安心して日々の生活を送ることが可能となっていたのであった。
次に国内の地域区分だが、ゲート内は東西南北に四つの市で分けられている。そしてその内の一つの東に位置する『アーカム市』が、この物語の主人公となるアウリスト・ピースキーパーが住まう街となる。
アーカム市にはこの国で唯一の教育機関となる『学武術園』という教育施設が存在し、ゼレスティア国に住まう人々全員に、六歳で入学する義務と十五歳で卒業する権利が与えられる。
学武術園では一般的な教養となる学術の他に、基礎的な武術・魔術を学ぶようカリキュラムされ、義務教育を終えた生徒達には個人の能力に応じて職が斡旋される。つまり卒業後はごく一部を除いて、そのまま社会の一部へと組み込まれていくという仕組みだ。
そして、たった今居眠りから覚めた少年――〝アウリスト・ピースキーパー〟は、今年度に卒業を迎える九修生の身分にあった。
◇◆◇◆
「いでっっ」
指で強く小突かれたような衝撃が頭を叩き、アウルは深い眠りから覚める。
「痛ったぁ……」
頭をさすりつつ、アウルはおそるおそると面を上げた。顔を向かせた先には、黒板の前でこちらを睨み、顔面を紅潮させて怒りに打ち震えている様子の中年男性が立っていた。男性の名は〝ハミルク・マコマク〟といい、数術教士歴二十年を超えるベテランの教士となる。
(うわぁ……バレちゃったかぁ。しかもめちゃくちゃ怒ってるし……)
その教士の怒りがアウルの居眠りに対してであるのは、この場に居合わせた誰の目から見ても明らかであった。
アウルは授業の退屈さからくる睡魔と、窓から射し込む暖かな陽気に抗えず、授業開始直後から眠りについてしまっていた。それを目撃したハミルクはすぐに心頭へと怒りが達し、机に突っ伏したアウルの脳天へ、投擲にてチョークをお見舞いしたのであった。
「やっと起きたかピースキーパー」
整列された机を縫うように、ハミルクがアウルの席へと迫り寄る。
「俺の授業は退屈だったかぁ? んん?」
口角を目いっぱいに吊り上げて、ハミルクが邪悪な笑顔を見せる。その額には、うっすらと青筋が浮き出ていた。
「い、いやぁ……ハミルク先生のありがたい授業は退屈とは無縁なんですけど、もう卒業も間近な九修生の俺には、今さら数術なんて勉強したところで今後の人生に役に立たないんじゃないかな、と思いまし――」
「お前は一修生の時からまともに聞いてなかっただろうがぁっ!」
アウルの苦し紛れな言い分を、ハミルクが怒号で遮る。
「ひっ……す、すみませんっ!」
竦み上がるアウル。その様子を見たハミルクは溜め息で間を置くと、呆れたように口を開く。
「……もういい、授業を再開する。ピースキーパー、授業は聞かなくていいから、もう寝るんじゃないぞ」
それだけを言い残し、ハミルクは定位置である教壇へと戻って行ったのだった。
(ふう、今日は補習無しで済んだか……良かったぁ)
今度は安堵の溜め息を、アウルが静かに漏らす。
(うーん、どうせ数術なんて学んだところで俺には使い道なんて無いんだしさ、別に居眠りくらい良いじゃん……って思ってたんだけど、今回ばかりは流石に堂々と寝過ぎちゃってたかな)
チョークをぶつけられた栗色の髪を無造作に掻くアウル。眠ってしまった事については、特に反省をしていないようだ。
「――おい、アウル」
「ん?」
と、そこで左隣の席に座る黒い縁の眼鏡をかけた金髪頭の友人が、他の学士に聞こえない程の囁き声でアウルを呼んだ。
「大丈夫か、頭?」
「どっちの心配? ハミルクのチョークの威力なら相変わらずだし、頭の中は冴えきってるよ」
「ハハ、そこまで聞いてねえよ」
他愛のないそのやり取りから、アウルと友人との普段の仲の良さが窺えてくる。
「というかなんで起こしてくれなかったのさ、ライカ」
「バカ、散々起こしたっつうの! お前が起きなかったんだろ!」
アウルがライカと呼ぶこの少年は、名を〝ライカート・ハーティス〟といい、学年はアウルと同じ九修生である。彼とアウルは入学して早々に意気投合し、学園内外で常に行動を共にしていた、謂わば『親友』のような関係である――。
◇◆◇◆
数術の授業が終わる頃には、空は既に赤みを帯びていた。程なくして終業のベルが鳴ると、アウル達を含んだ学士達は、まばらに帰宅を開始''する''――。
「――そういえばアウル。お前、学園を卒業した後の進路ってどうするつもりなんだよ? この時期にまだなにも決めてないのはお前くらいだぜ?」
帰りの支度の最中、アウルはライカからふと疑問を投げ掛けられた。
「希望を前もって提出しとけば学園側も多少は考慮してくれるの、お前も知ってるだろ? 早く希望出さねえと進路の枠どんどん埋まっちゃうぞ」
「うるさいなあ、進路なんて決まってなくてもなにも問題ないでしょ。どうせ国軍に配属されるんだし」
自身の将来への忠告に対してアウルは適当に返し、学園指定がされている皮のバッグを肩に掛けると、ライカよりも先に教室を後にする。
「ちょっ、待てっての……」
そのアウルを追ってライカも急いで支度を終わらせて教室を出ると、神妙な面持ちでアウルの背中へと再度尋ねる。
「なあアウル……お前の今までの成績で〝国軍に配属される〟とか、それ本気で言ってんのか? 競争率の高さ知らねえの?」
「なるようになるってば! 大体、俺の心配ばっかりしてるけど、ライカはどうなのさ?」
口調を熱く尖らせたアウルは振り返り、そのままライカへと詰め寄って鼻先に指を突き付けた。だがライカはその勢いに狼狽えることなく、自信満々な表情で答える。
「俺か? そりゃもう前から言ってるしお前もわかってるだろ? 俺には〝家業〟っていう決められた道の上を歩くだけのイージーな未来が待ってんだよ! 将来で悩む必要なんて俺にはねぇのっ」
「あぁ、あの美味しくないハンバーグが出てくる食堂でしょ? あれ、オットルの肉使ってるんだよね?」
「おまっ……百五十年の歴史を誇る老舗〝ハーティス食堂〟をナメんなよ! つか、魔物の肉なんて使うわけねえだろ! 滅多なこと言うなって! ただでさえ少ない客足が更に遠退くじゃねえかよ!」
半分口喧嘩に見えなくもない論争だが、周囲に居る誰しもがその場を収めようとはしなかった。この二人の仲の良さを入学当初から知っている者ばかりなので『止めなくてもすぐに仲直りをする』というのを、皆理解しきっていたのだ。
しかし、学士達に微笑ましく見守られているそんな二人の少年の目の前に、腕を組んだ一人の赤髪の少女が悠然と立ち塞がるのであった。
「また下らないことで言い争ってる……アンタ達ってホント懲りないわよねえ」
呆れたようなその少女の声に、アウルとライカが言い争いをピタリと中断させ、同時に名を呼ぶ。
「なんだ、またピリムか」
「なんだとはなによっ!」
一瞥したと同時にやれやれといった表情を見せたアウルとライカに、少女が激昂する。
青みがかった緑色の大きな瞳に、華奢な身体。ローゼの花のように赤いロングヘアーと、活発さを印象付けるような、額を出した前髪がチャームポイントな少女。名は〝ピリム・ネスロイド〟といい、アウル達と同じく九修生だ。
「アンタ達ももうすぐ卒業なんだしさ、そうやって言い争うのもいい加減ヤメたら?」
国軍に勤める父の下で育ったピリムは武術と魔術にも秀でており、学年の中でもトップクラスの成績を誇っていた。しかしそんな彼女だが、万年平均以下の成績のアウルとライカとは何故か一緒に行動を共にしていることが多く、クラスメート達はそれを積年の謎として不思議に捉えていた。
「お前は毎回毎回出しゃばってくんなっての!」
「何よその言い方! 毎回仲裁に入るアタシの身にもなってよね!」
「いや別にさ、俺たち喧嘩なんかしてないよ……? ねぇライカ?」
「あぁ、全くだ」
「ちょっ、急に結託しないでよ! あぁムカつくー!」
そして、このピリムを加えた三人で再び言い争いへと発展していくのも、他の学士達からすればお馴染みの光景となっていたのであった。
――これが、アウルの送る学園生活のいつもの日常だ。