18話 中位魔神
魔神族とは――。
『原初のヒト』と呼ばれた『アルセア』が定めたとされるアルセア暦一六〇〇年の有史以来から、この大陸に存在していたと言われている種族である。
種族の特徴としては、人間や動物以上に多種多様な姿形を個体毎に持ち、魔物とは比べ物にならないほどの力を持つとされている。
発生起源は不明。ゼレスティア中の聡明な学術士達が頭を捻らせて導き出した仮説は『この星ではない別の惑星から来た異星人』という、信憑性に欠けるものだ。
そしてこの魔神族だが、解りやすい目安として上位・中位・下位魔神と便宜上、見目形や能力を元に序列が定められていた。
まず下位魔神は、やや不定形な姿を持つ個体ばかりで、種類はさほど多くないと言われている。だが魔物には無い高い知能を備え、戦闘能力も大抵の魔物よりは高い。
中位魔神に関しては下位魔神よりも更に高い知能を持ち、個体の殆どが人間の言語を理解した上で、二足歩行も可能だという。更に厄介な事に個体毎に特性と呼ばれる特殊な能力を持ち、それによって戦闘手段も異なってくる。ゆえに対策が想定しづらく、単体でも桁外れの戦闘能力を誇るという。
上位魔神に関しての説明はここでは割愛するが、現在ビスタ達の前に現れたのは紛れもなく中位魔神だ。下位魔神との戦闘しか経験したことがないビスタにとっては、眼前の敵から放たれる言葉では言い表せられない程の不気味な雰囲気は、初めて味わうものだったのだ。
◇◆◇◆
(僅かながら人間の言語を扱う……ということは、コイツは間違いなく中位魔神だ。俺一人でやれるものなのか……?)
正面にいる魔神から充分な間合いをとり、相対をするビスタ。この窮地にどう対応するか、頭を悩ませていた。
「うっ、馬う、まっUま……馬う、うまっ、美味う……ま……」
そんなビスタの苦悩とは裏腹に魔神は黒い山羊の頭の方で、既に馭者が死亡している荷馬車へと繋がれたままの馬を、頭部から食す。頭骨ごと丸齧りしているため、不快な咀嚼音が嫌でも耳に届く。
「お、いっ……しい? SOれ、おっイシ……い? キャハっキャハハハハ」
馬をひたすら食べ続ける山羊頭の方を向きながら、面を被る頭は相変わらず笑い続けている。
「な、なんなんだよコイツ……中位魔神ってこんなんばっかなのか?」
不愉快極まりないその光景に嘔吐してしまう兵士がいる中、ケルーンは初めて遭遇する中位魔神に狼狽える。
「ちっ……」
マックルが小さく舌打ちをする。彼もケルーン同様、中位魔神は初めて遭遇する相手だった。ゆえにどう対処して良いのか分からず、ただその光景を眺めることしか出来ない。
ただ、いつまでも躊躇をしていては駄目だ。そう判断したマックルは、ビスタに向けて声を張り上げる。
「……ビスタ様! 俺達も共に戦います! 全員でかかりさえすれば、中位魔神相手にだって勝てる筈です!」
「――っ!」
後方から聞こえたマックルの声。それによってビスタはハッと我に返り、思慮に思慮を重ね煮上がりかけていた思考回路を正常へと正す。
(確かにマックルの言う通り……俺達が総出でヤツに立ち向かえば……)
それまでのビスタは一人でこの場を引き受け、その間に兵達をゲート内へと退避させたのち、他の団士を増援として呼んできてもらう――といった作戦をあらかじめ考えていた。〝共闘〟などという考えは、初めから選択肢に含めていなかったのだ。
(……いや、ダメだ。仮に全員で戦ったとしても、勝てる可能性はまだ低いだろう。それに……もう)
チラッと横目で見やった先には、五人の亡骸とその数に応じた生首が無残に転がる――。
先ほどに『団士として部下の命を守る』と宣言したにも関わらず、既に五名が絶命してしまった。その事実に、彼のプライドはひどく傷付けられたのだ。
「――キミ達は今すぐゲート内に退避するんだ! それから他の団士を大至急呼んできてくれ!」
考えあぐねていたビスタだったが、マックルの意見を汲まずに自らの判断を頼りに退避を促す。
「っならば……全員で退避しましょう! 俺の風術を使えばそれも可能です!」
「……ダメだ!」
マックルから提示された妥協案にも頑なとして譲ろうとしない彼であったが、どうしても退くことのできない理由が二つ存在していた。
まず一つ目の理由は、ゼレスティア領内に現れた害敵がたとえ如何なる強敵であったとしても、敵前逃亡は団士として御法度だという至極単純な理由。
そして、もう二つ目の理由は――。
「部下の命を預かるはずの俺が逃げてしまったら、死んだ五人が浮かばれないだろ……? 彼らの無念は俺が必ず晴らす……だからお前達は今すぐに逃げるんだ!」
――ビスタ・サムエレスとしてのプライドであった。
「――っ了解!」
ビスタの心には揺らぐことのない強い意志と覚悟が宿っていた。これ以上はどんな説得をもってしても、その決心を覆すのは難しいだろう。張り上げた声を通してそれが伝わり、マックルは素直に従ったのだ。
「おい、マックル! ビスタ様に何を言われようと、俺はここに残るぞ!」
「ビスタ様のご覚悟あっての判断だ。貴様も従え」
「……っくそ!」
残ろうとするケルーンだったがマックルの語気から発せられる気迫の前に、渋々と了承をする。
そして退避の手筈が整った兵達は、去り際に再びビスタの背中を見やり――。
「ビスタ様! ご武運を――!」
「ビスタ様! 死んじゃあいけませんよ! 約束ですからね!」
激励を送る。二人に続くよう他の兵士も口々に述べると、踵を返しその場から退散した。
「任せろっ!」
十人余りから送られた声援に背中を押されたビスタは、力強く応えた。そして腰に差していた鈍色の鞘から、白銀色に煌めく刀身の『長剣リアーズル』を引き抜き、構えを見せた。
「にっ、に二に……逃っげ、ちゃっ……だメっ……」
だが、魔神はこの場からの退却すら許してくれず。
兵士達の遠くなっていく背中を目の端で視認するや否や、咀嚼を中断し先程に五人を一瞬で絶命させた時と同様、針金のような左腕を横に薙いで斬撃を放つ。
――が、その腕は振り終える前に両断されてしまった。
「……っ……っっ?」
何故腕が途切れているのか――。
半分ほどの長さとなってしまった左腕をみて、理解ができず魔神は首を傾げる。
「……もう誰も殺させるものか。そして、これから死ぬのはお前だっ!」
魔神の左腕を断ったのはビスタ。魔神が有無を言わさずに腕を振るった後にも関わらず、剣を先に振り終えてみせたのだった。高速で放たれたその斬撃は『斬られた』という感覚すら与えず、魔神の左腕の切り口からは摩擦熱によって煙が立っていた。
「うふっ……ふふFUふふっフ腐ふ……」
「きっ、きき鬼……きキきKIヒィ……」
魔神は、左腕を両断された原因が目の前に立つ男の仕業だと理解をするや否や、異なる不気味な笑い声を双頭から発する。同時に聴こえたそれは最早、不協和音に近いものだった。
「来いっ!」
対するビスタ。魔神が持つ未知なる力に怯えることなく、迫りくる恐怖に臆することなく、額に巻いた赤のバンドを靡かせ剣を力強く握り締める――。