75話 均衡
「さて、話を横道から元の方向へ戻すとしましょう……ワインロック、この牢を解除するかどうか、決断はもう済んだのですか?」
エルミは気を取り直すようにそう言うと、ワインロックに再度選択を迫った。
「そうだねぇ……どうしようか」
組んでいた胡座を解いて立ち上がったワインロックは、ボトムスに付着した埃をぽんぽんと払う。口では迷っているように聞こえるが、その落ち着き払った表情から、既に考えはまとまっているかのように窺える。
「時間を稼ごうとしてもムダですよ。フェリィは生存しています」
「そこまで言い切っちゃうってことは……やっぱり他に手駒を隠していたのかい?」
「さあ、それはどうでしょう」
飽くまでシラを切り通そうとするエルミ。これ以上ここで問答をしても無駄だろう。尋ねたワインロックもそれは悟っていた。
「……わかったよ。この化かしあいはキミに勝ちを譲るとしよう」
そして遂に、ワインロックは石牢を解除した――。
◇◆◇◆
ワインロックが石牢を解除した数分前――午後2時35分。アルセア教会内、聖堂。
既に半壊の様相を呈している聖堂内。少女の姿をした魔神と二人の男女が繰り広げる戦いは、熾烈を極めた真っ只中にあった。
(コイツら……!)
女が発生させた無数の光球が執拗に追尾し、絶えず狙う。男が繰り出す剛と柔を兼ね備えた体術が、巧みに死角を突いてくる。男女の連携が織り成す波状攻撃に、クィンは完全に翻弄されていた。
「クソッ……ヒト族の分際でこのあたいに――」
「ああ、どうした? 随分と焦っているようだな?」
十数個もの光球が旋回する間隙を縫って、アダマスの剛脚がクィンの脇腹を蹴り抜く――。
「うがぁaああ――っ!」
「……っ!」
蹴り飛ばされるのをどうにか堪えたクィンは怒り散らすかのように哮ると、膝と肘でアダマスの蹴り足を挟み潰す。潰された脚は痛々しくひしゃげ、アダマスが僅かに顔色を歪ませた。
(――圧壁――っ!)
脚を潰され、機動力を失ったアダマス目掛け、クィンは特性を放とうと左手を翳す。しかし周囲に控えていた光球が発動を阻止すべく、一斉にクィンへと迫る。
「くっ――」
血の匂いに惹かれた肉食の海魚の群れが如く、全方位から襲い来る光球。避けきれず何発か被弾をしてしまうが、クィンはなんとか包囲網から抜け出す。
(またこれだ。アダマスとの近接戦を制しても、あの女の光球が深追いを邪魔してくる……!)
ひとまずアダマスとの間合いをはかったクィンは、自己修復が完了する暇を稼ごうと聖堂内を駆けずり回る。
(自動追尾に切り替えたか……こうなるとあたいは逃げ回るので手一杯だ)
クィンは絶えず追尾をしてくる光球の群れを、回避し続ける。そして滾る怒りを抑え、先程から続くこの劣勢を冷静に分析し始めた。
(そう、こうやってあたいが光球を避け続けている間……ヤツ等は――)
追い縋ってくる光球を軽やかに躱しつつ、クィンは敵の姿を傍目に映す。映った先には、離れた位置にて光球を操っていたジェセルの元に、アダマスが足を引き摺って向かう様子が窺えた。
「チッ……」
クィンが舌を打つ一方で、ジェセルは駆け寄ってきたアダマスの懐へと寄り添い、唇を差し出す。アダマスは差し出された美女の唇に、スキンシップ程度の軽い口づけを静かに交わすと、再び前線へと舞い戻っていく。
(……あれだ。あの行為になんの意味があるのかもわからんし、どういう仕組みなのか見当もつかんが、あの接吻によってあたいがヤツに与えた負傷は全て無かったことになる!)
『アダマスが受傷』
『光球を自動追尾に切り替え』
『クィンを守勢に回らせる』
『その間に特性で治癒』
『再び復帰を果たすアダマス』
如何様にして傷が瞬時に癒えるのか――その仕組みについて知る由もないのは当然だが、先程から以上のルーティンが絶えず繰り返されているのを、クィンは身を以て実感させられる。
(――圧壁――)
それならば、とクィンは駆け迫ってくるアダマスとの間にあった瓦礫を特性にて圧し潰した。粉々だった石片は更に極小へと砕かれ、積もっていた埃や塵が周囲に舞い、煙幕のように立ち込めていく。
(今だ――)
目眩まし代わりに発生させたその土埃の中を、クィンは全速力で突き進んだ。しかしクィンの狙いはアダマスではなくジェセルにあった。術士を先に始末してしまえば、光球も治癒も発動不可になるという算段からの特攻だ。
「――ああ、それは無駄だと何度も言っただろう?」
だが視界が晴れた先に待ち構えていたのはアダマス。クィンとジェセルとの間合いに割り込む形で立ち塞がっていたのだ。奇襲は敢えなく失敗に終わる。
(女を狙えば、男が全力で死守してくる……か。実に厄介だな)
既に試行していた手段を改めて試みたクィンは、拳足による打擲の応酬をアダマスと繰り出し合う。
(女がまだ近くに居るこの状態のまま男をどうにかして殺れれば良いんだが、腹が立つことにコイツは強い……それは認めよう。そして――)
互角の打ち合いの中、拳を振り被った直後に炸裂音が聞こえ、僅かな閃光が奔る。二人が打ち合っている隙をジェセルが狙い、光球を手動で操りクィンの拳へと被弾させたのだ。
(――更に厄介なことに、光使いと接近すればするほど……操られる光球の動きの精度が格段に上がっていく……! これでは迂闊に飛び込めん……!)
手首から先が消し飛んだ激痛に歯を食い縛りつつ、クィンはアダマスと正対をしていたその間合いからバックステップをとって離脱をする。
(クソっ、クソっ、クソっ! ヒト族風情にあたいがここまで追い詰められるなんて……!)
為す術もない劣勢に、クィンはかつてないほどの屈辱を覚えていた――。
◇◆◇◆
「……また離れたか。芸の浅い奴だ、ああ」
離れていくクィンをアダマスが見送る。一方でジェセルは、額に浮かぶ汗を袖で拭った。
「はぁ……はぁ……アダム、これ以上打つ手は無いのかしら? 長時間に渡る上級光術の発動持続はマナの消耗が激しいわ。早いところ勝負を決めないと、もう……」
荒息を含ませ、ジェセルは自らの限界を諭す。焦燥するクィンと同様に彼女らも、この均衡を保つので精一杯となっていた。相手に気取らせぬよう余裕を取り繕って見せてはいるがその実、追い込まれているのは彼女らの方であったのだ。
「わかっている、ああ。もうヤツの動きのクセは大方見抜いた。それでも確率は五分だろうが、俺がヤツを何とかして抑え付ける。抑え付けた後は……わかるな?」
「っ……」
ジェセルは若干の躊躇う様子を表情に出したが、息を呑むようにして頷いた。アダマスは敢えて口にはしなかったが、彼が立てた作戦とは――〝クィンの身動きを封じた自身もろとも、光球で仕留めろ〟といった内容となる。
「アダム……わかっているわよね? 攻撃用の光術は――」
「ああ、人間に対しての効果は薄いが、それでも少なからずは威力を発揮する……だろう?」
そう、彼は多少の巻き添えは覚悟の上で策を講じたのだ。
「大丈夫だ、死にはしない。まあ、仮に死んでも……俺達なら問題は無いだろう、ああ」
「それは、そうだけど……」
つまるところ、ジェセルとの間でのみ発動が許される『完全治癒』があってこそ成立する作戦だろう。それでもジェセルは自らの術で夫に傷を負わせる事への抵抗があったようで、決心を鈍らせていた。
「ああ、容赦なくやれ。これは要求じゃないぞ……命令だ」
「っ……了解」
定められた序列からなる立場を以て、アダマスはジェセルを促した。こうなると夫妻である間柄など関係もなく、ジェセルはただ従わざるを得ない。
「いくぞ、ああ」
「ええ……!」
そしてジェセルの相槌を合図に、二人は上位魔神を確実に斃すべく作戦を決行した――。




