12話 ピースキーパーの歴史
――見物する学士達から少し離れた芝生の上で、レスレイはパシエンスを介抱していた。
「パシエンス君……大丈夫かい? 僕の代わりに戦ってくれたというのに、すまない」
「俺のことはいい。自分の意志で戦ったんだから自業自得だ。それに、アイツの言ってた通り大したダメージじゃねえ……くそっ」
学士の中でも剣術だけなら最強クラスを誇るパシエンスだったが、流石にアウルとの実力差は歴然を認めていたようだ。その表情からは、諦めが悔しさを上回っているのが窺えた。
「悔しいがアイツの実力は本物だよ……にしても落ちこぼれだと思ってたアウリストが、まさかあんなに強かったなんてな……」
「僕も驚きだよ。トーナメントで何度も優勝してる君だったらもしかしたら……と思ったけど、あれ程とはね」
レスレイの言った通り、剣術組のヒーロー的存在であったパシエンスが相手であれば、勝てないにしても良い勝負を演じてくれるのでは。という淡い期待が、彼以外の学士達にもあったのは事実だろう。
しかし、結果は敢えなく惨敗に終わる――。
そしてその結果が意味するのは、学士相手では最早アウルの実力を測る物差しにはなり得ないということだ。パシエンスの敗北によって、先程それが証明されたのだった。
「ああ……でも、今は恨みなんかよりアウリストの実力がどこまでサクリウス様に通用するか、っていうことしか俺の頭には無いぜ。まぁ、応援する気はサラサラねえけどな!」
「そうだね。僕もだよ……」
レスレイとパシエンスは武術を志す者として、このハプニングの顛末が同じ学士であるアウルがどこまでの実力を秘めているか、という興味に既に切り変わっていた。
◇◆◇◆
アウルが勢い良くサクリウスへと斬りかかる。突風の如き早さで間合いを詰め、手加減など一切無用の一撃を首元へと放つ――。
「――っ!?」
アウルが、目を丸くさせて驚く。
完璧な踏み込み。完璧な剣速。確実に当たると思っていた一撃が、既の位置にて躱されたのだ。それは、先程アウルがライカやパシエンス相手に散々と見せつけていた技術と似た動きであった。
「残念、当たんねーよ」
「……やるじゃん」
その感嘆の後も、アウルは臆することなく更に剣撃を重ねていく――が、やはりどれも触れることすら敵わず、空を切る音が虚しく響くだけ。
「どうしたーそんなもんかー?」
余裕綽々。といった表情でサクリウスが少年を煽る。
「それなら……これでどうだ!」
そう発したと同時、アウルはピタリと攻撃の手を止めた。すると少年は、剣を握る手とは逆の左手に握っていた何かを、サクリウスの顔に向かって投げつけたのだ――。
「……っ?」
――投げ付けられた『何か』は、アウルが予め毟り、隠し持っていた武術場の芝だった。
(もらったっ……!)
サクリウスの眼前で舞う芝生を目隠しに、アウルが先の丸まった木剣の切っ先を額に目掛けて、突く――。
だがその刹那、木製の物体同士が勢い良く衝突したかのような、小気味の良い音が武術場へと鳴り響く。そしてその音と同時に、アウルの剣は自らの手を離れ、宙を舞う。
「……え?」
一文字が思わず口からこぼれ、宙空へと舞った剣に目を奪われてしまったアウル。
「はーい、これでオマエは死亡なー」
「っっ!?」
そして間髪を入れず、真正面から聞こえたサクリウスの声。次の瞬間、アウルの目前にヌッと現れたバンブレードの切っ先が、少年の喉を軽く小突く。ダメージこそ一切無かったが、全身からは冷や汗が途端に噴き出し、少年は明らかな動揺を面に出す。
「なーに戦闘中にヨソ見してんだー? これが本物の剣なら今のでブスッと刺されて死んでたかんなー?」
サクリウスは飄々とそう言いのけてみせると、剣を定位置へと戻す。
「うおおおおおおおっ!」
「サクリウス様、すげええええ!」
団士の鮮やかな戦闘技術を初めて間近で目撃することができた学士達は、驚きと興奮が入り混じった歓声を上げる。
「嘘だろ……! アレってさっきアウルが見せてたやつじゃねぇのか……」
そんな中、ライカはサクリウスの動きに既視感を覚えていた。
「…………っ」
一方で、アウルは戸惑いを隠せないでいた。だがその理由は完璧だと思っていた不意打ちを防がれたことでも、いつの間にか喉元に剣を突き付けられた事でもなく、他にあったのだ――。
「……そんなに驚くことかー? もしかして、家族以外でコレを見るのは初めてだったかー?」
その言葉に核心を衝かれた少年の、背筋が凍る。
「はっ、図星って顔してんな。んじゃー、ここいらでちょーっとだけ教士っぽいことでもしてみっかなー。ギャラリーの学士くん達もみんな良く聞いてろよー? 楽しい楽しい〝歴史の授業〟の始まり、ってか」
戦闘中にも関わらず、男は愉しげに説明を開始する――。
◇◆◇◆
『城塞都市ゼレスティア』が建国し、初めて国として独立。そこで初代の国王陛下となった――〝ワルベルク・マルロスローニ〟
彼が築き上げたその王朝は現在も受け継がれ、マルロスローニ家の血脈は途絶える事なく子孫を繁栄し続けた。
その歴代のマルロスローニ家に仕えてきた戦士の一族は、歴史を遡っても数多く存在してきた。だがどの一族も魔物や魔神族との激しい争いによって血脈を存続出来ず、志半ばで潰えていく者ばかりとなってしまった。
そんな中、初代のワルベルクから現代のヤスミヌクの代まで常に側近として在り続け、最も多くの外敵を討ち払ってきた一族が存在した。
その一族の名は『ピースキーパー』といい、名が体を表すように、ゼレスティアの平和を今日まで維持し続けてきた名門の中の名門を誇っていた。
ただ、そのピースキーパー家も、建国当初から勇名を馳せていたわけではなかった――。
建国して間もない頃。ゼレスティアは魔物や魔神の脅威から人々をゲート内へと匿うために、その広い国土を生かし、近隣の農村や漁村からの数十・数百単位での移民を幾度も受け入れ続けてきた。
日を追う毎に、増加していく国民。しかしその結果、食料や生活用品の需要量が、供給量を圧倒的に上回ってしまったのだ。
所謂〝スピルスマネー〟と言われている、誰もが成し遂げる事の出来なかった、魔金属『スピルス』の加工法の確立。その技術の革新によって莫大な資産を築き上げた当時のマルロスローニ王は、元が貴族階級の生まれではなく一般市民としての鉄工所からの叩き上げなだけあって、政治に関しては殆ど無知を極めていた。
その為、前述した理由によって国民の貧富の差が激しくなり、次第に治安も悪化の一途を辿ることとなる。そんな国の情勢の中において、当時のピースキーパー家も、ご多分に洩れず移民してきた漁村の出自であった。
そして初めてマルロスローニ家に仕えたとされる〝フラウシェル・ピースキーパー〟は、移民してきた当時は十五歳と、まだあどけなさが残る年齢にあった。
フラウシェルは南地区の比較的治安の悪いスラム街にて、両親二人と仲睦まじく暮らしていたという。
周りの同年代の少年達が暴行や窃盗と非行に明け暮れる中、彼だけは両親の言い付けを守り、品行方正に過ごす親思いの少年だったとか。
だが十六歳となったフラウシェルに、今後の人生を左右する転機が、事件となり襲い掛かってきたのだ――。
ある日の夜分のことだった。近所の酒場に勤務をしていたフラウシェルの父グアルドが、その日の仕事を終え帰路についている最中、強盗に遭い全身を何ヵ所も刺され死亡する――という痛ましい事件が発生したのだ。
幸いにも目撃者が居たため、犯人はすぐに捕らえられ、公正に裁きを受けた。ただ、長年夫に連れ添っていたフラウシェルの母リーベの深い悲しみはそれでも当然癒えることはなく、毎日のように家で泣き果てていたという。
まだ幼い時分にありながらの、父との死別。そんな絶望的な境遇に置かれてしまったフラウシェルはというと、敬愛して止まなかった父親が亡くなったにも関わらず、不思議とそれほど悲しむことはなかった。いや、それどころか悲嘆に明け暮れる母親を見て、こう決意したとか――。
『次は、僕が母さんを守らなきゃ』
その強い意志を胸に、その頃からフラウシェルは毎日、遊ぶこともせずに自身が強くなるための訓練に時間を割いていくこととなる。しかし、心の優しいこの少年は相手を傷付けるための武術を殆ど学ぼうともせず、防御・回避の術だけを極限まで練り上げていたという。
時には近所の悪ガキ相手に自ら喧嘩を仕掛けて襲いかからせ、ひたすら回避だけを続けるという異様な特訓もしていたとか。
一念発起をしてから間もない頃は当然、回避も防御もまだまだ未熟の域。擦り傷や青痣といった、生傷の絶えない日々が続く。しかしそれでも彼は諦めることなく、技術を伸ばし続けた。
やがて襲い掛からせた相手が疲弊して諦めるようになり、身体に傷が一切付かなくなった頃、遂にその技術は完成を迎える――。
一方で、特訓を二年ほども続けていると、隣町にまで『避ける少年』の噂が出回るほどに、密かに彼は話題となっていた。
そんな中、怪談じみた少年の噂を聞き付けたどの文献にも名前すら残らないような無名の兵士が、少年に直接会いに行く事を決意したのだった。
噂を半信半疑でしか信じていなかった彼は、フラウシェルの避ける力の真偽を確かめる為、わざと暴漢の振りをして接触を図る。そして実際に襲い掛かったのだが、どんな手段を用いても暖簾に腕押しと言った様に紙一重で回避されてしまい、疲れ果ててしまったところで初めて噂は本当だと兵士は確信をする。
そして次にその兵士がとった行動とは、フラウシェルに対し『軍に来ないか』という提案――いわゆるヘッドハンティングだったのだ。
フラウシェルは、単なる暴漢だとばかり思っていた彼からの誘いに少しだけ驚きを見せたが、すぐに二つ返事で快諾をしたとか。
想定していたよりもあっさりとスカウトに成功し、兵士は手放しで喜びを見せた。だが、思い出したかのように慌ててフラウシェルの年齢を聞き出す。
フラウシェルの口から『十八歳』と告げられた兵士は、親の認可が必要な年齢だと判断し、少年に母親か父親の所在を確認した。
しかし、フラウシェルは笑顔でこう答えたという。
『父は、二年前に殺され、母は去年に自殺しました。なので親はいません――』
『だから僕に、なにかを守らせてください』
――その後、フラウシェルはすぐに軍へと入隊。
当時のゼレスティア軍は、国の資源となる鉱山や鉱床などがまだ確保・発見に至っていないこともあり、国内にて加工のできる金属の量に限度があった。その為、兵士の頭数に見合った武具が足りていないという、不況の時代でもあったのだ。
そのおかげで剣を使用しての訓練も満足に行えなかったのだが、フラウシェルが編み出した避ける・防ぐ・弾くという回避技術は得物を持たずとも練習が可能だった為、兵士達の間でその訓練は大変な人気を博していた。
その技術は軍内で瞬く間に評判となり、その絶賛の声は軍の上層部、ひいては王であるワルベルク・マルロスローニの耳にも当然届いた。
そしてフラウシェルが入隊して二年が経ったある日――。
多忙を極めるワルベルクにしては異例とも言える、兵士一人での王への謁見を、フラウシェルが許可されるのであった。そこでマルロスローニ家とピースキーパー家の血脈を持つ者同士が、初めて対面を果たす――。
『君が、ピースキーパー君だね。評判は聞いているよ。なんでも……攻撃を避けるのが大変達者だとか』
玉座に腰掛け、堂々と君臨するワルベルク。だがその表情は穏やかであり、口調も厳格さは微塵もなく、優しいものであった。
『いえ! 自分で達者と言える程、まだまだ研鑽が足りていないというのは、つねづね自覚しております!』
対するフラウシェルは片膝をつき、もう片方の膝に腕を置くような形で跪く。そして石壁に囲われた謁見の間全体に響き渡る程の大きな声で、ワルベルクに答えてみせた。
『ははは……そう謙遜しなくてもいい。君のその能力の高さは、軍に所属する誰もが認めていると、私の耳には入っている。誇りなさい』
『はっ! 有り難き幸せ!』
口調とは裏腹に、内心ではフラウシェルは素直に喜んでいた。そんな彼にワルベルクはふと、問い掛ける。
『……ところで、二つほど質問をしてもいいだろうか。予め言っておくが、その質問に答えたくなかったからといって、厳罰を下したりする気は毛頭もない。安心するといい』
『はっ! なんなりと!』
『ではまずは一つ目だ。君はその技術をどこで編み出したのだ?』
『はっ! 全て独学で訓練したものであります!』
フラウシェルの迷いのない返答。虚偽が無いと判断したワルベルクは、続けて質問をする。
『……そうか、では二つ目だ。その技術の名はなんというのだ?』
その質問にフラウシェルは表情を堅くしたまま、黙してしまう。それを察したワルベルクは、返答を待たずして口を開く。
『……考えてなかったと?』
『はっ! 私の力不足ゆえに至らず、心からの謝罪を申し上げます!』
考えていなかったというのは図星であり、即座に陳謝をするフラウシェル。しかし、それを咎めようとはしなかったワルベルクが、笑いながら再び口を開く。
『はははは、まあ気にすることはない。次に会う時までに考えてくれればよい』
『はっ! しかし陛下……次とは?』
フラウシェルのその反応と返答。そう、次の謁見の機会など、この先訪れるとは露ほども思っていなかったのだ。そんな彼の応対を見て、ワルベルクは怪訝そうな顔付きで答えた。
『なんだ、使いの者に聞いていなかったのか? 君は来週から私の側近として働いてもらうんだよ?』
それを聞いたフラウシェルは石床に頭をつけ、喜びの言葉を口にする。
『はっ! 身に余る光栄……有り難く頂戴致しますっ!』
『あらゆる物から、私とこの国を守っておくれよ』
フラウシェルのその技術の名は、のちに〝リーベ・グアルド〟と名付けられた。
その名の由来は、沢山の愛を賜った母の名であるリーベと、その死を以て守る心を教えて貰った父の名であるグアルドを組み合わせたもの。
そして、ここからピースキーパー家が名家と呼ばれる由縁である伝説が、幕を開けたのだった――。