9話 ピリムの不安
「〝イグニート〟っ!」
少女が翳した両の掌から勢い良く放たれたのは、数千度にも及ぶ火炎。燃えるという過程を飛ばしたかと見紛う程に、炎は木人形を一瞬にして灰燼へと変えてみせた。
(ふう、今日はこれくらいで切り上げようかな。あんまり無理しちゃうと〝マナ・ショック〟になりかねないしね……)
魔術組で火術の訓練を一人黙々と行っていたピリムは、額から流れる汗を首に掛けていた白いタオルで拭う。
「うん、素晴らしい、見事だ。火術だけならば大人でも充分に通用するレベルと言えるね」
「えっ?」
声がした方へピリムが反射的に振り向く。いつの間にか隣に立たれ、木人形が燃え尽きていくまでの過程を一緒に眺めていたワインロックから、笑顔で賛辞が送られたのだ。
「わ、ワインロック様っ! 恐縮です……あ、ありがとうございますっ!」
気配もなく忍び寄られていたため、すぐ傍に立っていたことに全く気が付かなかったピリム。慌てた勢いそのままに、お礼の声が上擦ってしまった。
「ただ強いて言えば、マナを練る量が少し多いかな? あまり気を張り過ぎず、平常心をもって唱えるといい」
「は、はい……!」
「うん、時に感情というものは戦いにおいて強い力を発揮する原動力になる。けどそれは逆も然りだ。強すぎる怒りや悲しみは、一歩間違えれば身を滅ぼしかねる可能性も孕んでいるんだ。僕もキミくらいの年齢の頃には、その時々の感情に行動を左右されすぎて、色々と過ちを冒したものさ。そう、あれはとても熱い夏の日だったかな。とある友人と、山にキャンプへ出掛けた時の〜〜」
(どうしよう……話がどんどん切り替わっていく……)
ワインロックからの的確な助言へと真摯に耳を傾けていたピリムであったが、言葉の大洪水とでも喩えるべきほどの圧倒的な駄弁の量に、どう反応を示していいかわからずに戸惑う。
(だ、誰か助けて……!)
ピリムは心の中で助けを求め叫ぶ。するとその丁度の良いタイミングにて、背後から一人の少女が声を掛ける。
「はろはろピリム〜、遊びにきてあげたぞ、っと♪」
細いトーンの声で慣れ親しんだ挨拶と共に現れた少女が、ピリムの背中にガバっと抱き付く。
「……あ、アイネ! 助かったあああ!」
その声だけで判別し、ピリムがアイネと呼んだ少女――。
雪原のように真っ白い肌。白みの強い銀髪のロングヘアーに、灰銀色の瞳。衣服も純白のローブと、全身が限りなく白に包まれたこの少女の名は〝アイネ・ルス・リフトレイ〟という。
ゼレスティアでは珍しい、魔女族の血が混じった九修生となる――。
「……ここまで来ればもういいか。アイネはもう休憩?」
ステンレス製の水筒に口を付けながら、ピリムは問い掛けた。栓の壊れた水道のようにワインロックは独りでに話を続けていたが、アイネが来てくれたおかげで何とかその場を離れる口実を作ることが出来たのだ。
「うん。今日は軽く流す程度にしたかったからもう訓練は終わりかな~。んで、ピリムと遊ぼうと思ってこっち来たの〜」
アイネはにぱっと眩しい笑顔を見せると、再びピリムへと抱き付く。
「え、ちょっ、ヤメてったら!」
「およ? さっきは喜んでたくせに?」
「あれは、その……違うのよ! とにかく学園ではダメなの!」
ピリムが無理矢理とアイネを引き剥がし、大きく溜め息をつく。
「ふぅ……」
「あれ? そういえば、今日はピリムの仲良しコンビが魔術組には居ないようだけど、どこに行ったんだろうねぇ?」
辺りをキョロキョロと見回しながら、ふと疑問を発するアイネ。不意をつかれたピリムは、飲んでいた水を噴き出しそうになる。
「あ、アイネ~? 仲良しコンビって誰と誰のこと言ってるの? まさかアウルとライカのことじゃないでしょうねえ?」
アイネには悪気など微塵もなく、ただ純粋に思った事を口走っただけだった。しかし引きつった笑顔で聞き返してくるピリムの様子を見て、我慢が出来ずに腹を抱えて笑い始めてしまう。
「自分から名前出すってことは、心当たりあるんじゃーん! 笑わせないでよピリム~」
自ら墓穴を掘ったことに気付いてしまったピリムが『しまった』と言い、赤面する。
(……それはそうと、確かにアウルとライカがこっちに居ないのは変ね。あの二人にとって魔術組は絶好のサボり場だっていうのに……まあ、でもどうせいつも通りどこかで適当にサボってるんでしょ!)
考えを巡らせていたピリムだったが、懸念にもならない異変だと、すぐに判断をする。だがその直後、魔術組のエリアに向かって一人の男学士が剣術組の方から走ってくる姿が、ピリムとアイネの目にとまった。
「剣術組でなにかあったのかな?」
「さあ……厄介事じゃないといいけど」
全力疾走の末、ぜえぜえと息を切らせていた男学士に、ピリムが『どうしたの?』と尋ねる。
「み、みんな! トーナメント……! アウルとライカの試合がすごいことになってるんだ!」
「え……ちょっと待って、どうしてその二人が試合してるのよ……?」
やや抽象的な内容の報告が男学士の口から荒息混じりで発せられたが、二人の名が挙がったことでピリムは耳を疑った。
しかし、驚いているのはピリムだけではなかった。アイネのみならず、その場に居合わせた九修生の全員が同様の反応を示していたのだ。
普段のアウルとライカの性格と間柄を知っている学士達からすれば、二人が剣術組に顔を出す事自体が珍しく、あまつさえトーナメントにまで参加。更に加えればその二人が試合をしているとなると、驚きに拍車がかかるのも無理はなかった。
「と、とにかく見たい奴は来いよ! 試合時間が三分しかないから、早く行かないと終わっちゃうぞっ!」
それだけを言い残すと、男学士は慌てて剣術組の方へと引き返していく。興味を引かれた他の学士達も彼を追うように、駆け足で一目散に向かうのであった。
「ねぇねぇピリムは行かないの? あの二人の事ならピリムが一番気になってるんじゃないの?」
さっきのやり取りを思い出し、再び笑い出しそうになっているアイネが悪戯に訊く。
「もう、アイネったらまたそういうこと言うんだもん。アタシは……行く、つもりだけど……アイネも一緒に行く?」
やや恥ずかしそうにではあるがピリムは自分の意思を示し、逆に問い返す。
「んん、気になるけど……私はパスかなぁ、人混みキライだし。ピリムが私の分まで楽しんできてよ~」
「……そっか、わかったよ。じゃあアタシ行ってくるね」
「行ってらっさーい」
その場を後にしていくピリムに、アイネが手を振って見送った――。
◇◆◇◆
「――随分な盛り上がりだねえ。それに、サクリウスがこんなに一人の学士に注目をするのも物珍しいね」
観戦するサクリウスの背後から、ワインロックが様子を眺めに訪れた。
「もう無駄話は終わったのかー、ワイン」
一瞥もせずに返され、ワインロックは苦笑する。
「ふふ、そんなに嫌味たらしく言わないでおくれよ。それで……キミが注目をしているっていうのは、一体どの子なんだい?」
「んー? アイツだよ」
サクリウスが顎をクイッと向ける。その方向にいる少年の姿を確認したワインロックは、薄笑みを浮かべて納得を示す。
「ああ成る程ね、団長の……」
◇◆◇◆
(くっそぉ……全然掠りもしねえ! こんだけ振り回してるってのに、なんで一撃も当たらねえんだ!)
一心不乱に、闇雲に、ライカが木剣を振り回す。
アウルはその攻撃の殆どを紙一重で躱し、往なしていた。避けきれない一撃の場合は先刻のように柄で弾く。といった防御法をとり、敢えて刀身は使わないとしているようにも見えた。それによってライカは、実力差を余分に見せ付けられているような感覚へと陥ってしまう。
「…………」
そのアウルの動きの凄まじさに、実況を務めていたハイデンは言葉を挟む余地すら見出せなかった。手合い場を囲んでいたギャラリーすらも、最初の盛り上がりは徐々に鳴りを潜め、歓声は途絶えていた。
「これ、どういうことなの……?」
一方で、試合場に辿り着いたピリムは状況の把握に戸惑っていた。するとたまたま横に立っていた学士会長のレスレイが、掛けていた丸眼鏡を中指でクイッと上げ、ピリムの疑問に答える。
「見ての通りだよピリムさん。ライカートくんがかれこれ一分以上、一方的に攻撃をし続けているんだけど、一撃もアウリストくんに当たらないんだ」
「一分以上も……?」
レスレイの説明を受け、思わず耳を疑うピリム。だが、そもそも何故この二人が出場しているのだろうか、という疑問が頭の中では常に引っ掛かっていた。
ただ、今は試合の動向を見守るだけしか選択の余地はない。本人達に出場の理由を問い質したい気持ちを抑え、ひとまずは静観を決め込もうという考えに至ったのであった。
(てか、ライカのひどすぎる剣捌きにも驚きだけど……何なのよ、あのアウルの動き! パパ同士が仲良かったからアタシがアイツとは一番付き合いが長いけど、あんな実力を隠し持っていたなんて聞いてないわ……!)
ピリムがそう分析したと同時、実況のハイデンが思い出した様に、持っていた懐中時計の蓋を開ける。文字盤を見やると、丁度秒針が三周目に突入していた。
「に、二分経過しましたぁ! あと一分以内に決着がつかないと両者敗退になるぞー!!」
時間経過を告げる義務があった為、致し方なくハイデンは叫んだ。
(――っ!)
その経過を告げる声が響くと共に、アウルの目の色が変わった。そして身を躱しながらも、ライカに再度の敗北の宣言を要求する。
「ライカ、もういいでしょ……参ったって言ってよ」
「ぜってぇ言わねえよ!」
剣を無茶苦茶に振り回しながら、ライカは要求を頑なに拒否した。
「ライカ、これ以上言わないんだったら……」
するとアウルの顔付きは、冷たさを含ませた様相へと変化を見せて行く――。
「……当てるよ?」
――その宣言と共に放たれ、突如として雰囲気を一変させたのは、殺気に近い気迫だった。絶え間なく剣を振るい続けていたライカだったが、そのあまりの迫力に身体は竦み、硬直してしまう。
(ちょっ、マジかよ……怖えぇって!)