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リタのおねがい

 ピキッ。


「ん?」


 その時、リタの耳に奇妙な音が聞こえてきた。


 ピキッ、ピキピキッ。


 嫌な音。


 まるで氷にひびが入るかのような音に、リタは氷柱を見る。


 赤色の魔物は未だ時を止めた姿のまま、凍りついている。


 凍りついているのだが、その魔物を閉じ込めている氷柱には無数の細かいひびが入り、その範囲を今なお広げていた。


 それがどういうことなのか瞬時に理解したリタは乱れる感情を無理矢理しずめ、抱きつかれたままのクロエの身体をそっと抱きしめる。


「リ、リタ様……!?」


「……クロエ、良く聞いて」


 思ってもみないリタの行動にクロエの頬が朱に染まる中、リタは落ち着いた様子で彼女の耳元へ唇を寄せた。


 声音が真剣なものだった。


 それだけでクロエの表情は引き締まり、次の言葉を大人しく待つ。


「……ごめんね。魔物、倒せなかった」


「えっ……?」


「氷柱にひびが入っているの。たぶんそう長くない内に復活すると思う。だから、クロエは皆を連れてトヴァレまで逃げて」


「リタ様はどうするのですか? 一緒に撤退するんですよね?」


「私はここに残るわ。言ったでしょ、復活するって。逃げ切るためには足止めが必要なのよ」


「その役目はリタ様でないといけないのですか?」


「私じゃないと無理よ。たとえあなたでも一人ではもたない。逃げる時間すら稼げないわ。それは自分でも分かっているでしょ?」


「じゃあどうすれば良いんですか……! この私にあなたを見捨てて、逃げ帰れというのですか……!」


 リタの腕の中で、クロエは激しく乱れた感情をぶちまける。


 その瞳は苦悩に揺れ、表情は苦しげに歪められていた。


 クロエの思考を掠めるのは嫌な結末だった。


 それは自分達を逃がすためにリタが死んでしまうというもの。


 そんな結末は決して許せない。


 しかしリタの言う通りに行動することこそ、もっとも多くの冒険者を救える考えであることも同時に理解できてしまっている。


 二つの思考が交わらず纏まらず、彼女の中で酷く反発していた。


「……ごめんね、クロエ」


「……謝らないでください。あなたにそんなことを言われると自分のいたらなさに腹が立って自分を嫌いになりそうです……」


 心をすり減らし、どこか憔悴した様子のクロエをリタはさらに強く抱きしめて、優しげな声音で囁く。


「……一つだけあなたにお願いがあるの。クロエ達と私が生き残るためのお願い。聞いてくれる?」


「えっ……? そんなものがあるのですか? 教えてください! 私何でもしますから!」


「……今あなた何でもしますって言ったわよね?」


「言いました言いましたとも! このクロエ・ロアにできることがあるのなら言ってください!」


「じゃあアルスを連れて来てくれる?」


「ア、ルス団長を、ですか……?」


 アルスという名前を聞いた瞬間、あからさまに嫌そうな顔を作るクロエ。


 リタはそれを見て、小さく笑った。


「もう、そんな嫌そうな顔しないの。あの魔物に致命傷を与えられない私は引き付けて逃げ続けることはできても倒すことはできないからどうしてもアルスが必要なの。だから急いでトヴァレに戻って討伐部隊を編成して、アルスと一緒に助けに来て」


「分かり、ました……」


 拒絶反応が凄まじいものの、クロエはなんとかリタのお願いを飲み込んだ。


 その様子を見届けて安堵するリタは抱擁の手を緩め、クロエを解放する。


 名残惜しげにクロエはリタから離れ、未だ歓喜にわく新人冒険者に事情を説明する。


 かれらを連れてトヴァレまで戻り、クランの最高戦力であるアルスを連れて来る。


 それがリタから授かったクロエの役目。


 離れていくクロエ達を見送り、リタは一人空を見上げる。


 数時間前までは曇っていた空を仰ぎ見て、彼女は呟く。


「……シフォン、何してるのかなぁ?」


 自分が傷付けてしまった少年の名を声に出して、その姿を思い浮かべる。


 そうしている間にも、赤色の魔物を封じ込めた氷柱は徐々に砕けていく。


 そして、シフォンは──。

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