042_檻の中は
そこは暗い場所だった。
視界全体が嵐の前の雷雲が覆う空のように暗い。
ただ、部屋自体はとても豪華だ。
壁も天井も怖いぐらいにびっしりと細かな装飾が施され、何かを隠すかのように、あらゆる場所に模様が描かれている。
色は、よく言えばカラフル。素直に言えば、ごちゃごちゃ。
金色に輝く部分があると思えば、壁は白く、けれど壁画は青も赤も使われていて、目に優しくない。
天井から吊り下げられた明かりのついていない大きなシャンデリアは、もし下敷きになったら、助からないだろう。
壁に大きな鏡があるものの、そこに自分の姿は映ってない。
見えるのは――――檻だけ。
豪華な部屋には不釣り合いに見える。
何か猛獣のペットでも入れておくのだろうか。
「ごめんね、政務が長引いて遅くなっちゃった。ご機嫌いかが?」
すると遠くから足音が近づいてきて、入るなりその人は檻へと話しかける。
鏡に映るその顔は……ミッシェルだった。
「いい子で待ってたんだ、偉いね」
彼の笑顔は相変わらず、誰もが魅了される愛らしさを持っている。
けれど、その瞳は笑っていないように思えた。
ミッシェルの笑顔の奥に不気味なものを感じ取ってしまう。
「あっ、格子にぶつけたでしょう。暴れるのはよくないぞ」
仕方ないな、と彼は檻の中へくったくのない笑顔を向ける。
会話の内容から、やはり檻には猛獣を飼っているようだ。
ここはミッシェルの部屋、もしくはペット専用の部屋だろう。
すると頭の中に誰かわからない声が響いてきた。
「ああ、今夜も彼がやってくる。純粋なミッシェルがこうなってしまったのは、私のせい……」
ドクンと視界全体が揺れた。
そして、声は続く。
「もっと話し合えば、気持ちに正直になって伝えれば、悲しいすれ違いは起こらなかったはず」
とても悲しげな声が響く。
「どこかで選択を間違えたのだけどもう、何もかもが遅くて」
もしかして、檻の中は……。
「それでも私は毎日彼へ懇願する」
猛獣のペットではなくて……。
「どれだけか細い声でも、喉を震わすことができるかぎり」
微かに部屋の中へかすれた声が響く。
なんと言っているのか、想像はできても、聞き取れはしない。
「えっ? “ここから出して?” どうして?? 逃げちゃうよね」
今度はミッシェルがきょとんする。
当然だろう。
彼は捕まえていたくて檻に入れ、檻に入れられた者は自由になりたい。
「誘拐で監禁だと何度言っても、二人のためだからとミッシェルは微笑む。無垢な顔で」
なんてひどいことをするのだろうか。
見知らぬ檻に入れられた人のことを思うと、腹が立ってくる。
「私を捜す者も、最近見かけなくなったようだ。外面のいいミッシェルが完璧に表面を取り繕っている。皆は諦めてしまっただろう」
声はすでに悲しみを失い、絶望しているようだった。
檻に入れられ、誰とも連絡が取れず、すでに何日も経っているのだろう。
その顔を見て、ミッシェルがニヤリと怖い笑みを浮かべた。
やはり、これが彼の本性に違いない。
お願い、早く彼から逃げて……早く彼から逃げなくては……?
「あはは、きみはたまに面白いことを言うね。そんな我儘なところも大好きだよ」
檻の中から何かと言ったのだろうか、ミッシェルが感情たっぷりに笑った。
もちろん、それは歪んだ感情でしかない。
背中がぞくりと震え、鳥肌が立つ。
今のミッシェルならば、どんなことでもするだろう。
自分が愛されるためならば、檻に閉じ込めた人を逃がさないためならば。
けれど、檻にいるのは一体誰なのだろう。
「私も……大好きだったはずだ。そして今は――――苦しいのに、とてもとても苦しいのに、嫌いになれない」
声はそう告白した。
実際に、そんなことがあるのだろうか。
洗脳という言葉がよぎる。
「それどころか、ほっとしている自分がいる。この感情が愛なのだろうか」
違う、違うよ。
そんなの愛じゃない。
どちらかの自由を奪って、無理矢理一緒にいるのは、愛じゃない。
一方的で、独善的な、自らの欲望を満たす行為でしかない。
勘違いしては、絶対に駄目。
諦めてすべてを受け入れても、何も変わりはしない。
そう檻の向こうに伝えたかったけれど、声は出せない。
出せるはずが……ない?
「もっと早くこうすればよかった。永遠にきみを閉じ込めて、ぼくのものにできるんだから」
やはりミッシェルの愛には、先がなかった。
袋小路にたどり着いて、そこでじっとうずくまるだけ。
まだ愛がなんなのかなんて知らないけれど、相手にだけ何かを求めるのは間違っていることぐらいわかる。
「ああ、私もこうされてよかったのだと思えてくる。ミッシェルに囚われていれば、永遠に彼のものになれるのだから。嬉しい、嬉しい……」
けれど、檻の中の人は偽物のミッシェルの愛に気づけない。
気づけない。そういうストーリーだから。
ストーリー?
「嬉しい? ぼくもだよ」
ミッシェルが何かに魅入られたような顔で告げる。
そして、檻の中の人物の名前を初めて呼んだ。
「愛しているよ、エリザベス」
――――えっ!?
檻の中にいたのは、エリザベスだった。
視界にポツポツと赤い染みができて、バッと広まっていく。
そこには、生きる意思を失って呆然とするエリザベスと、悦に入った顔で笑う不気味なミッシェルの顔が映っていた。
※※※
「うわぁぁぁ――――っ!」
エリザベスは、ベッドの中から悲鳴を上げながら身体を起こした。
ドックンドックンと脈が速い。
血の気は失せて、顔面が蒼白なのは見なくてもわかった。
――――なんて悪夢……!
たしか今のは闇堕ちミッシェルエンドの一つ。
もちろん、バッドエンドだ。
けれど、檻の中にいたのはヒロインだったはずで、エリザベスではない。
――――まさか、正夢とか、予知夢とかではないよね?
恐ろしいことを考えて、エリザベスは首を振った。
そんな便利な能力は、一度として発動したことがない。
――――だから大丈夫。単なる悪夢。けれど、これで何回目?
舞踏会から一週間が経ったけれど、二日に一回は前世でプレイした乙女ゲームのミッシェルルートのバッドエンドが夢に出てくる。
しかも、なぜかヒロイン部分だけがエリザベスに置き換わっていて。
きっと、ミッシェルを恐れる気持ちが生んだものだろう。
あの時はレオニードが振り払ってくれたけれど、心の奥底には残っていたのだと思う。
――――舞踏会の時、あれはまだ闇堕ちの表情じゃなかったよね。
上手く回避したつもりだけれど、自信はなかった。
ゲームと違って、エリザベスには自分の目に見える範囲しか映らないのだから。
こうやって、つい考えてしまうから、また悪夢を見るのだとわかるけれど……。
――――自由生活を縛るモノが、ヤダヤダって気になるんだからしょうがない。
「エリザベスさん、起きて――――」
目覚めの悪さでぼーっとしていると部屋の扉が開いて、ロクサーヌが入ってきた。
ベッドから上半身だけを起こしているエリザベスを見て、驚く。
「すでに起きているのでしたら、早くベッドから出てください」
いつもの調子で小言を言う。
なんだか安心した。
ここは自由気ままに暮らすことができる教会。
「んっ……もう一眠りだけ。悪夢を、良い夢、でなくてもいいから、普通の夢ぐらいで上書きしないと目覚めが悪いし」
「何、寝ぼけたことを言っているんです? やっぱり寝ていたのですね」
お願いしたけれど、ロクサーヌに通じるはずもなかった。
シーツを奪いに来る。
もちろん、掴んで必死に抵抗。
「もう一眠り、もう五分だけでもいいから、お願いします」
「駄目です。今すぐベッドから出てください」
譲歩しても、とりつくしまもない。
けれど、次の一言でエリザベスは飛び起きた。
「伯爵家の庭師さん、迎えに来ているのですから」
「それを早く言って!」
今度こそシーツを放して、ベッドから出る。
「もう、客人が来る時ぐらい、自分で起きてください!」
ロクサーヌがバンと扉を閉める。
エリザベスはその扉を再度開けると、彼女の背中に向かってお願いした。
「今、出ました。向かってますって言っといて!」
「……仕方ありませんね。向かうといっても、すぐそこですけどね」
「気持ちの問題。ありがとう、ロクサーヌ!」
あの舞踏会の夜から、ロクサーヌとの距離が少し縮まったように思えた。
基本的には自分にも相手にも厳しいところは変わらないのだけれど、今みたいにちょっとした時の反応が以前と違う。
――――一応、秘密の共有のおかげかな?
エリザベスは慌てて身支度を始めた。
今日は、舞踏会でクリストハルトに助けてもらったお礼をする予定。
庭の剪定を、手伝う約束だった。
「うじうじ考えるのは性に合わないし、身体でも動かしますか」
悪夢を忘れるためにわざと元気いっぱい声に出すと、エリザベスは身支度を終え、教会の階段を駆け下りた。
★2021/4/2 新作の投稿を開始しました。よろしければこちらもお読みください。
【悪役令嬢に転生失敗して勝ちヒロインになってしまいました ~悪役令嬢の兄との家族エンドを諦めて恋人エンドを目指します~】
https://ncode.syosetu.com/n7332gw/




