85.捕らわれの稲妻
「戦の神殿」の地下階は、この地に神殿が建立された頃より存在しており、有事の際に立てこもって応戦できるように設置された。そのため、地下階は街の下水道と繋がっており、もしもの時にはそこから脱出できるような備えもあった。
しかし、平和の時代が続いたため、地下階は使われずに長らく顧みられることはなかった。
この地下階に大規模な改装が加えられ、利用されるようになったのは、今の大祭司セシル聖が就任してからのことであった。その改装費用の半分を、ゲンティアン・アラウンズが引き受けたことはあまり知られていない。
改装の表向きの理由は、「神殿の装具や祭器などを収蔵するための倉庫とする」というもので、事実特別な行事や祭りの際にしか使用されない道具を収める部屋が並んでいる。
地下階の中心部にある最も大きな一室「女神の間」は「神聖な場所」であるとされ、神官や武闘僧の中でも限られた者しか立ち入れない部屋とされた。入り口には、精神器官を読み取って開閉を行う最新式の魔道錠が取り付けられ、ある種物々しい警備態勢が敷かれていた。
この「神聖な場所」に、今夜はそれとは似つかわしくない拘束器具が持ち込まれていた。バツ字に組まれた木に、魔法の使用を封じる殺魔石の手枷がつけられたその拘束具は、普段は武闘僧隊が「尋問」に使用するものであった。
今宵、この磔台にフィオ・ダンケルスが載せられていた。
鎧も鎧下も脱がされ、下着姿で両腕を固く拘束されている。引き締まった裸身には、棍で打たれたのであろう痛々しい傷跡が残っている。
つい先ほどまで、武闘僧隊の隊長キケーロによる凄惨な「尋問」が行われていたが、今はフィオ一人であった。
昨日の昼、ベルタというあの武闘僧と共に「ヤードリー商会」へ向かう道中でのことだ。
(マッコイは路地が多くてね……。こっちが近道だよ)
そう誘われて入った奥で、不意にベルタが棍をこちらに振るってきた。咄嗟のことでさすがのフィオも対処出来ず、昏倒してしまった。
そして、目を覚ました時には既にここで拘束されていた。
キケーロと名乗る、フィオよりもくすんだ赤毛の武闘僧は、ほとんど加虐趣味的にこちらを痛めつけてきた。その際挟まれる質問も、「何故ゲンティアンを殺したのか」の一点張りで、どうにも要領を得ない。
フィオが「確かにゲンティアンの下にはベルタという武闘僧の誘いを受けて訪ねようとした。だが、ベルタに気絶させられていたのでわからない」といくら抗弁しても、方法を変えようとしなかった。あまり尋問が得意ではないのかもしれない。
それでも彼の口走る断片的な情報から察するに、どうやらゲンティアン・アラウンズは昨夜暗殺され、そこにフィオの双剣が残されていたことから、こうして拘束されるに至ったらしい、ということはわかった。
さて……、とフィオは部屋を見回した。
何発もの打撃を受け、気絶を水で強引に引き戻され、それを繰り返されても尚、フィオの目から光は消えていなかった。
フィオから見て正面の壁にドアがあるが、鎖と殺魔石の拘束を抜けてそこまで行くことは難しい。ドアの向こうから人の気配がするので、部屋の外には見張りがいるのだろう。
左右の壁の片方には何本ものパイプが通っており、それらを束ねるラッパの口のような金属管のついた箱が設置されている。恐らく、廊下と通話するためのものだろう。
もう一方には棚が並んでおり、中には工具のようなものが並んでいる。また、武闘僧の持つ棍が一本、仰々しく飾られていた。この棍は、一般の隊員が持つものに比べると装飾が豪華で、どうやら特別なものらしい。
最後に背後の壁だが、とフィオは痛みに耐えながら首をひねる。
拘束具の背後のそれは、左右と正面の壁とは違って簡素な白い壁だった。材質が違うことはおのずと見て取れる。恐らくは状況に応じて外すことのできる間仕切りのようなものなのだろう。
この向こうに何が隠されているのか。地下なので脱出口とはいかないだろう。となると、やはり正面の扉しかないが……。
それにしても、現状はどうなっているというのだ。自分の身をさておいて、フィオはザゴスとエッタのことを心配していた。
不意に、ドアの向こうが騒がしくなる。戻って来たか、と身を固くするとドアが開いた。
入ってきたのは二人、一人は先ほどまでここにいたキケーロだ。そして、もう一人は……。
「カタリナ……?」
アドイックで出会い、「天神武闘祭」で戦い、タクト・ジンノの凶刃に倒れた女剣士とそっくりであった。
フィオの言葉が聞こえたのか、そのカタリナに似たカソックの女はそれを鼻で笑った。笑顔を作りながら、残忍な視線をフィオに注ぐ。
「御機嫌よう、フィオ・ダンケルス。いい格好だな」
祭司姿、カタリナとよく似た容姿、それらの情報からフィオは昨日のベルタの発言を思い出す。
「そうか、お前がクロエ・カームベルトか……」
大祭司代理と武闘僧は対立していたはずだが、とフィオはキケーロをちらりと見やる。キケーロはクロエの背後に恭しく控えている。
「武闘僧隊の隊長と一緒にご登場とは、神殿内の対立は見せかけか? 何の目的か知らないが、ご苦労なことだな……」
そうにらみ返すと、クロエは視線を外し壁からあの豪奢な棍を手に取る。そして、それでフィオの鳩尾を突いた。
「がッ……!?」
「自分の立場がわかっていないようだな、『オドネルの民』の犬め……」
荒い息を落ち着かせ、フィオは何とか口を開いた。
「『オドネルの民』……? ボクが?」
しらばっくれるんじゃねぇ! とキケーロが凄む。クロエは棍の先端付近を持つと、それをフィオの鳩尾に押し当てた。
「貴様がそうだということは、よくわかっている。でなければ、タクト・ジンノの邪魔をする必要も、ゲンティアン・アラウンズを殺す必要もないものな」
「ちが……ぐっ……!?」
フィオが口を開く前に、クロエは棍の先端を鳩尾へ押し入れた。
「ゲンティアンは『オドネルの民』であり、また我々の協力者だった。貴様らからすれば裏切り者。それを処断したのだろう?」
クロエはフィオの発言を促すように、棍にかける力を緩める。
こいつらは……、とフィオは思考を必死に巡らせる。結論を先に作り、それに合うように筋書きを作っている。そして、その思い込みの力は強く、疑うことを知らない。
まったくもって性質が悪い。何がここまで歪めてしまったのか。
「それはお前の思い込みだ! ボクらは……」
「醜い言い逃れはやめることだ」
クロエは棍を持ち替えて、フィオの腹を突いた。背中へと突き抜けるような衝撃が走り、押し出されるようにこみ上げてきたものを、フィオは口から吐き出した。
「じ、事実でないことを……」
荒い息を吐き、口元を吐しゃ物で汚しながら、それでもフィオは痛みを跳ね返そうとするように、顔を上げる。
「認めるわけには、いかない……」
その首筋に、クロエは棍を振り下した。鈍い衝撃がフィオの意識を揺らす。
「……もっと思い知らせる必要があるらしい」
クロエは後ろに控えていたキケーロに目で合図する。
「御意に」
キケーロはうなずくと、フィオの載せられている磔台を半回転させた。次いで、天井から伸びている鎖の一本を引いた。ガラガラと音を立てて、ちょうどフィオの目の前にあった間仕切りのような壁が床へしまわれていく。
「見ろ、ダンケルス。アレが何かわかるか?」
隠されていた部屋の残り半分が、その全容を現した。その床のほとんどを、鎮座した円筒形の装置が占めている。その巨大装置の頂点には、見知った小さな像が安置されていた。
「あれは……、我が家に伝わる『戦の女神像』……」
遠い距離からでも、フィオはその像に彫られた自家の紋章を見止めた。
「あの装置は、『決意之朝陽』という」
眉を寄せるフィオに、クロエは続ける。
「同志ゲンティアンの協力により、貴様ら『オドネルの民』より得た技術によって、我々の造り上げた異世界召喚装置だ」
「異世界……召喚装置……?」
何故、そんな装置に先祖伝来の像が据え付けられているのか。思い当たる節のないフィオは、ますます眉間のしわを深くする。その様子に、クロエは笑みを浮かべた。
浮かべたまま俯くと、くつくつと声を上げる。やがてその笑いは大きくなり、遂には大哄笑となった。聞くものを慄かせる笑い声であった。キケーロさえも固唾を飲んで彼女の様子を見ている。
「そうか、知らないのか、わからないのか! だから『オドネルの民』にも差し出さなかったか!」
これは傑作だ、とクロエは手を叩きさえした。
「ダンケルス、やはり貴様らには過ぎた品だったらしい……! 家畜に宝石を与えたようなものだったということだ!」
「どういう、意味だ……?」
クロエは芝居がかった様子で両腕を広げた。
「そもそも、貴様ら『オドネルの民』が召喚した勇者を利用せねばならなかった理由はただ一点、我々の手元に『神玉』がなかったからだ」
ここで発せられた「神玉」という言葉、召喚装置の上に載せられた女神像、それらがフィオの頭の中で結びつく。
「まさか、『戦の女神像』は……」
「そうだ。ようやく気づいたか? あれが『神玉』だ」




