7.紅き稲妻、再び
その晩、ザゴスは行きつけの酒場で一人、安酒をあおっていた。味も値段も下の下だが、度数だけは高い酒を一気に飲み干し、タル材でできた空のジョッキを力一杯テーブルに叩きつけた。
別段、不機嫌なわけではない。むしろ上機嫌な方だ。この男、その見た目通りに一つ一つの所作が大きいのである。
「ニギブの森」から帰ってすぐギルドに「クエスト失敗」の報告をし、カタリナと別れ、馴染みの道具屋に「魔石晶」を売りに行った。相当純度が高かったらしく、それが3つときたものだから、道具屋の親父は目を剥いていた。
(本当にこれはヨロイグマから採取されたものですか? いえいえ、そんな、疑っているわけではなくですね……)
「クエスト失敗」は痛いが、稼ぎは上々だ。「魔女の廃城」で、大型魔獣と切った張ったするよりも、簡単に儲かってしまった。ここのところの金運は、自分でも怖いぐらいだ。
それもこれも、こいつのお陰かねえ。
ザゴスは懐から「戦の女神像」を取り出した。「女神像」は、微笑をたたえてザゴスを見返しているようだった。「戦の女神像」だなんて言うが、本当は商売の神なんじゃねえのか。そう思うほどに、ここ2日のお告げは懐を温めてくれた。
女神像の顔を見ていると、カタリナのことが思い出された。そういや、あいつも「お告げを受けた」って言っていたな。ふとそんなことを思い出す。それであのタクトとかいうガキとパーティを組んだとか。
あいつもこの像を持ってんのかな? いや、実家の神殿で祈っていた時にお告げを聞いたとか、帰り道でそんなことを言っていた気がする。ほとんど聞き流していたから、忘れていたが。
しかし、あんなガキを勇者と祭り上げるとは。いくらお告げがあったからって、勇者が倒すべき魔王の「ま」の字もない世の中だってのに、熱心なことだ。
この調子で儲かるなら。ザゴスは「戦の女神像」をテーブルに置いた。冒険者を廃業して、その金でどこか田舎に土地を買うのもいいかもしれない。
身体を張る仕事も限界がある。伴侶となる誰かを見つけて、一緒に畑を耕すのも悪くない。
ザゴスの脳裏に、クワを振るう自分の姿が浮かぶ。まだ郷里にいた頃、よく手伝っていた。
元気にしてっかなあ、親父とお袋。まだ生きてるといいが。もう帰れない郷里に思いを馳せていると、そこに聞き覚えのある声がかかる。
「そこの大男。その像を見せてもらおう」
「あぁ?」
声をかけてきた人物を、ほとんど習慣的にというか反射的にザゴスはにらみつける。にらみつけて、その目を見開いた。
目の前に立っていたのは、赤毛の小柄の剣士だった。顔の左半分を隠すような髪型、高級そうな黒い鎧、腰に差した2本の剣――このスカした出で立ち、見違うはずもない。
「テメェ、昨夜のダンケルスの……! 何しに来やがった!」
テーブルを殴りつけ、立ち上がったザゴスの声で、酒を運んで来た給仕の女が驚いてジョッキを落とした。酒場のざわめきが一瞬静まりかえる。
「何しに? それは、貴様が一番よくわかっているんじゃないか?」
「んだとぉ?」
にらみ合う両者に、酒場中の視線が集まる。冒険者も多く利用する店であるため、皆荒事には慣れている。むしろ歓迎すらする雰囲気があった。
「とぼけるなら容赦はせん……」
「あぁ? 何の用だ、っつてんだこっちはよぉ……!」
ザゴスに銅貨10枚、あっちの若いのに5枚、と遠くのテーブルでは賭けが始まっていた。一方では、差し向かう双剣士が何者かと囁き交わす声もあった。
「ならば教えてやる。貴様、昨夜ボクの財布と女神像を盗っただろう!?」
「はあぁ? 何言ってんだテメェ!?」
ザゴスー返してやれー、というヤジに「黙ってろ!」と怒鳴り返し、ザゴスは双剣士に向き直る。
「俺がそんな狡いマネするように見えるか?」
山賊顔のクセにー、とまたヤジが飛んだので、そちらをひとにらみする。
「見えるも何も、その像を貴様が持っているのが何よりの証拠だ」
双剣士はテーブルの上の「戦の女神像」を指差した。
「その像は、我がダンケルス家をはじめとする、勇者の末裔の五家にのみ受け継がれる品だ。貴様がそれを持っていることが、すなわち、財布泥棒の証拠ということだ!」
「はぁ? こいつは商人から一昨日買ったヤツだぞ。お前と会ったのは昨日だろうが!」
「苦しい言い訳だな……」
昨夜と言い今日と言い、話を聞かねえ野郎だ。ザゴスは舌打ちした。
「その像を調べればわかることだ」
バチリ、と双剣士の周囲の空気が爆ぜる。雷の魔法だ、と野次馬たちがざわつく。
店の中で攻撃魔法とか正気かこいつ。ザゴスは身構えた。
とにかく押さえ込むしかねぇ。先手必勝とばかりにザゴスは飛びかかる。
だが――
「ッッ!? いねぇ!」
野次馬たちも大きくどよめいた。双剣士が立っていた場所には誰もおらず、飛びかかったはずのザゴスだけが床に転がったのだから。
攻撃魔法ではなかった。雷をまとい一時的に敏捷さを高めるという身体強化の魔法だ。さすがに室内で雷をぶっ放すほど、自制の利かない人間ではないらしい。
クソッ、とザゴスは立ち上がる。後ろだー、と叫ぶ声に振り返ると、さっきまでザゴスが座っていた椅子の辺りに、双剣士がこちらに背を向けて立っていた。視界に入ったテーブルの上からは、「戦の女神像」が消えている。
「あ、テメェ! 何しやがる!」
あらぬ疑いをかけられた意趣返しもこめて、ザゴスは怒鳴る。双剣士に近付き、肩に手をかけようとした時、ぽつりと相手が何かを言った。
「これは……」
「あぁ?」
太い眉をひそめるザゴスに、双剣士が振り返った。
やるか、と拳を構えるザゴスに、双剣士は意外な行動に出た。
「疑ってすまなかった。ボクの勘違いだった」
そう言って頭を深々と下げたのである。
「は? え、いや……え?」
「ご店主、それから客の皆さん、貴殿らにも迷惑をかけてしまった。すまない……」
呆気にとられるザゴスと野次馬共を尻目に、双剣士はテーブルに「戦の女神像」を置き、肩を落として店の出口に向かって歩いていく。
「おいおいおい、ちょっと待て!」
ザゴスはテーブルの「戦の女神像」をひっつかみ、代わりに銅貨を3枚置くと、急いで双剣士の背を追った。
「待てって!」
店を出て、ザゴスは双剣士の背に追いつく。魔導灯の白い明かりの下、振り返ったその顔は憔悴して見えた。
「貴殿か……。謝罪をしようにも、生憎と今は持ち合わせがない。またにしてくれるか」
それに今は急いでいる、と再び双剣士は背を向ける。
「一刻も早く、財布を盗んだ真犯人を探さねば……」
「だから待てって!」
雷のような速さとはいかないが、ザゴスは双剣士の進行方向に回り込んだ。
「何だ?」
「アテはあるのかよ、その財布と像を盗んだヤツの」
双剣士は俯いた。やっぱりかよ、とザゴスは自分の首筋を撫でる。
「お前、あの時俺が締め上げてた女覚えてるか?」
「……ああ、それがどうかしたか」
「多分、そいつが財布を盗ったぞ」
何!? と双剣士は右目を見開いた。ザゴスの方が逆にビックリするぐらいの驚きっぷりであった。
「バカな……」
「バカはテメェだ! あの女は巾着切だ。俺も財布を盗られかけたから、ああして締め上げてたんだよ!」
「……ッ! ならば、何故その場で言わない!」
「言おうとする前に飛びかかってきたのは誰だ!? あぁ!?」
再び、双剣士は俯いた。勝った、と少しだけザゴスは優越感に浸る。
「昔、兄に言われたことがある……」
俯いたまま双剣士は絞り出すような声で言った。
「お前は思い込んだら一直線だから、もっと落ち着いて物事を進めろ、と……」
「お前の兄貴は、大正解だよ……」
その通りだ、と双剣士は顔を上げた。
「貴殿には本当に迷惑をかけてしまったようだ……」
「いい、いい。もう頭下げんな、お貴族様が。安い頭じゃねえだろ」
謝罪を押しとどめて、ザゴスは尋ねる。
「で、どうすんだ? これからあの女探すにしたって、もう遅い」
既に辺りは暗い。ギルドも閉まっている時間帯だ。
「そうだな。また明日出直すことにする……」
その疲れた顔を見て、ザゴスはため息をついた。
「けっ、へばりやがって。そんなんじゃ明日見つけらんねえぞ」
「何?」
「一杯付き合えよ。金ならまあまああるから、奢ってやるぜ」