59.一夜明けて
魔獣の襲撃から一夜明けたバックストリアの街は、昨夜のことなどなかったかのような、穏やかな朝を迎えた。
しかし、街並みに残った傷跡は深い。半数近い家屋や建物が壊され、焼け落ち、大通りにはまだ瓦礫の山が残っている。
街の象徴たるバックストリア大学の時計塔にも、無数の黒い槍が突き刺さった後が残され、時計は止まってしまっている。その姿は、バックストリアという街が負った傷を表しているかのようだった。
その下に、ザゴスとフィオの姿はあった。
昨晩、二人は「エクセライの研究塔」で見つけたものをバックストリア大学へ報告、すぐさま調査が行われた。フラスコの中にいたのは、紛れもなく街を襲った魔獣――ブキミノヨルで、装置の状況からしてここで製造されたことが明らかとなった。
また、「研究塔」に備え付けられていた魔素観測装置であるが、何らかの改造が加えられていることもわかった。かなり高度な魔法技術によるもので、何が追加されたのかその詳細に関しては調査中だが、バックストリアの街周辺の魔素に働きかけるようなものではないか、と推測されている。
大学には対策チームが設置され、ザゴスとフィオも彼らから事情聴取を受けた。
バックストリアに来た目的が王家からの「クエスト」で、内容が機密であることを告げると、博士らは面倒事を恐れたのかそれ以上追及してこなかった。もっとも、フィオの「『マーガン前哨跡』の調査について、詳しいことを知りたい」という質問にも回答は得られなかったが。
「この件についての残る調査は、我々バックストリア大学に任せよ」
ほとんど追い出されるようにして大学を出たのが、明け方のことである。
それから宿屋で仮眠を取っていると、大学の使いを名乗る少年がやってきた。彼は避難している街の市民のようで、手紙だけを残してさっさと帰ってしまった。
(昼前に時計塔へ来られたし。調査の詳細を伝える グレース)
その言付けを受けて、ザゴスとフィオは時計塔の前へやって来たのである。
「なあ、フィオ……」
時計塔にもたれ、腕を組んで瞑目するフィオにザゴスは話しかける。
「何だ?」
「お前は宿屋で休んでろよ……。酷い顔してんぞ」
俺が言えた話じゃねえけど、とザゴスは言い足したが、フィオは笑わなかった。
昨日は「クエスト」の後、街中を走り回って魔獣を退治し、「研究塔」を訪ねた後は朝まで大学の対策チームに拘束された。やっと明け方解放され、さきほどまで仮眠を取っていたものの、フィオの目の下にはくっきりとクマができている。眠れていないのは明白だった。
「これぐらい平気だ。それとも、宿屋で一人気を揉んでいろというのか?」
「そうじゃねぇけどよ……」
やはりエッタのことが心配なのだろう。対策チームとの問答の時はしっかりしていたが、それ以外は妙にイライラして落ち着きがない。エッタやサイラスの居場所がわかれば、すっ飛んで行きそうだ。
「ごめんなさい、待たせたわね」
と、そこへ正門の方からグレースが小走りに近付いてくる。
「おう、どうした? 調査の詳細ってのは……」
グレースは眉をしかめ、「声が大きい」とザゴスを手で制した。そして辺りの様子をうかがい、声を潜めて切り出した。
「わたし、対策チームの会議の議事録を作ってたの」
研究員見習いの雑用として押し付けられたらしい。
「そしたら、とんでもないことが書かれてて……」
何とかしてザゴスとフィオに伝えようと思い、避難所にいた少年に駄賃をやって、宿屋へ走らせたという。
「すまないな、気を遣わせて……」
「いいのよ、知らない仲じゃないでしょ」
それで? と少し身を乗り出すフィオに、「落ち着いて聞いてね」とグレースは釘を刺してから続ける。
「大学側は、サイラスとヘンリエッタが共謀して街を襲ったと考えているの」
「馬鹿な!」
フィオは声を荒げた。
「どうしてそんなことに!」
「もちろん『エクセライの研究塔』から、あの造魔獣が出てきたせいよ。共犯だから二人で逃亡した、そういうことにするみたい」
グレースが見たという対策チームの考えた事件のあらましは以下の通りである。
元より、バックストリア大学に不満を持っていたサイラスは、前年の調査によって得た「邪法」の知識を用い、造魔獣・ブキミノヨルを製造した。
量産体制が整ったところで、弟子のヘンリエッタを街に呼び戻し、今回の襲撃を企てた。
これはサイラス個人の計画ではなく、エクセライ家全体が関わる国家転覆計画の可能性すらある。
「言ってることが滅茶苦茶じゃねえか!」
俺でもわかるぜ、とザゴスは眉を吊り上げる。
「造魔獣の大多数を倒したのはエッタじゃないか。そもそも彼女はサイラス師に呼び出されてバックストリアに戻ってきたのではない……!」
フィオは大学の方へ向き直り、ずかずかと歩き始めた。
「おい、どこ行くんだよ!」
「決まっている! エッタの無実を晴らす!」
肩を掴んだザゴスの手を、フィオは振り払った。
「今、お前が行ってどうにかなることなのかよ!?」
落ち着けって、とザゴスは今度は両肩を掴んだ。
「冷静になれよ!」
「そうよ、下手に出て行くとあなたまで疑われてしまうわ」
ザゴスとグレースにそう言われ、フィオは荒い息を整えるように大きく息をつく。
「すまない……。少し頭を冷やす」
首をふりふり、フィオは街の方へ歩いて行く。その背中を見送りながら、グレースは「大丈夫かしら」とつぶやく。
「あの子、相当参ってるわね」
「まあな。きっちぃぜ、こういうのはよ……」
ザゴスも、腕を組んで深い息を吐き出した。
自分が頼んだ調査のせいで、とフィオは責任を感じているに違いない。それに組んで3年ともなれば、命を預け合う冒険者にしてみれば、家族も同然だ。そんな相手が消えたのだから、心労は計り知れない。
「でも意外だったわ。あんたから、『冷静』なんて言葉が出るなんて」
「どういう意味だコラ」
あまり表情の変わらないグレースであるが、ザゴスは彼女なりの冗談だろうと解釈した。
「ま、あいつが冷静さを失うなら、俺がしっかりしなきゃならんだろ」
「いいわね、そういうの」
今度は本気で言ってやがるな、とザゴスは感じた。
「補い合えるって、いいコンビよ。わたしとあいつも、そうならよかったんだけどね……」
今更だけど、と遠い目をするグレースの横顔に、ザゴスは「まだ遅くねぇだろ」と応じる。
「後悔してるなら、冒険者に戻った方がいいぜ。昨日も思ったが、もったいねぇよ」
うん、とグレースはうなずいて胸元で拳を握った。
一体、何が起こっているというんだ。
フィオは破壊と戦いの跡が残る街を歩き、路地裏に落ちた瓦礫の上に腰かけた。
エッタ、今どこにいる……? 額に拳の裏を当て、フィオは静かに目を閉じた。
(あなた、戦士なのでしょう? わたくしがパーティを組んで差し上げても、よろしくってよ)
3年前、不遜とも取れる言葉と共に、エッタはフィオの前に現れた。
その頃のフィオは、冒険者になってまだ1か月あまり、兄フレデリックに追いつこうと、がむしゃらになっていた時期だった。
同期の冒険者と比べてもズバ抜けて高い実力を持っていたが、戦闘を伴う「クエスト」以外は受けない、力量の劣る冒険者を見下し邪険にするといった態度から、周りの冒険者から敬遠されるようになっていた。
そんな中、冒険者ギルドの食堂で声をかけてきたのがエッタだった。
(生半可な実力では、ボクにはついていけないぞ)
(あら、可愛い顔して自信家ですのね。その点はご安心を。わたくし、天才にして悪役ですから)
不敵に笑ったエッタの顔が、今でも焼き付いている。「悪役」を自称したところが、どこかおかしくて気に入ったのだった。そして、その実力も言葉通りの、いや言葉以上のものだった。
(わたくしについていけるとは、なかなかのものですわね。認めて差し上げてもよろしくってよ?)
圧倒的な実力に裏打ちされた自信満々の言動は、フィオには頼もしく思えこそすれ、不快に感じることはなかった。謹慎さえしておけば街中で攻撃魔法を使ってもいい、と考えているのはさすがにどうかと思ったが。
(猫探しですって! かわいいですよ、猫ちゃん、にゃあにゃあって! 戦闘ばっかりじゃ可能性を狭めますわよ? いろんな『クエスト』があるんですから、色んなことをやった方が楽しいですわ!)
戦闘を伴わない「クエスト」を受けてもいいと思えたのも、エッタと組んでからだった。
(ねえ、お風呂行きましょうよ。週一? ダメですわよ! せっかくのイケメンが台無しですわよ!)
組んで半年程経つ頃には、仕事以外で会っていいとも思え、初めて公衆浴場へ一緒に足を運んだのだった。
(え、何で女湯に……。は? 女……? いやいやいや、冗談でしょうその胸で……)
さすがにこの時は手が出てしまった。更には「揉むと大きくなる」などとも言い出して大変だった。
(ねえ、家を買いましょうよ。わたくし、魔法特許をたくさん持ってますから、お金持ちなんですのよ? いえいえ、遠慮なさらず。いつぞや、危ないところを助けてもらったじゃないですか)
共同購入した家で同居するようになってから、フィオはエッタに自家と「戦の女神」のこと、そして兄のことを話した。冒険者になって、1年ほど経った頃のことだった。
(なるほど……、それであんなに荒れていたのですね)
どこか納得したようにエッタはしきりにうなずいていた。
(神に逆らうというのは、この世では褒められたものではないのかもしれません。ですが、悪役たるわたくしには魅力的に映りますわ)
悪役、か。いつかエッタが語っていたことがある。
(この世には、正しい血統に生まれ、正しい努力を重ね、正しく地位を得る人たちがいるでしょう? でも、わたくしはそれを踏みにじるだけの才能を持っていますの)
それ故の「悪役」である。暗い笑みを、彼女は浮かべていた気がする。そこにあった陰の正体を、フィオは深く追わずにいた。
だが、もしそこに彼女が姿を消した原因があったとしたら?
フィオの中で、不安と不信が鎌首をもたげてくる。
エッタはサイラスに呼び出されたのではないが、サイラスの下に行こうと提案したのは彼女だった。大学側が推測している通り、サイラスとエッタが共犯である可能性は強く否定できないのではないか。
バカな、とフィオは考えを追い払うように首を振る。
ボクが信じなくてどうする。フィオは目を開いた。ともかく、手がかりがほしい。
と、そこで路地の奥から気配を感じた。そちらを振り向くと、黒く小さな影がこちらを見上げていた。
この黒猫は、確か――。
猫はフィオに近づくと、瓦礫の上に腰かけたその膝の上に乗ってきた。そして、フィオに頭をこすりつけてくる。まるで、慰めるような態度だった。
「またお会いしましたね、フィオさん」
路地の奥から、もう一つの影が現れた。黒猫は頭を上げて、フィオの膝から降りる。
「スヴェン……!」
「この街も、大変なことになりましたね」
どこか他人事のような口調であった。そのスヴェンに向かって、黒猫――メネスが飛びかかる。
危ない! 図書館でのことを思い出し、フィオが声をかける前に、スヴェンは猫を抱き止めた。そのままメネスを胸に抱いて、スヴェンは微笑みをフィオに向ける。
この間会った時と、雰囲気がまるで違う。フィオは警戒しながら瓦礫から降りる。
思えば、フィオはこの男のことを何も知らないのだ。サイラスと共に「マーガン前哨跡」を調査した気鋭の研究者、それ以上のことがわからない。サイラスとの関係もたださねばなるまい。
あるいはこいつが――とフィオは剣の柄に手をかけた。
「いいところで会ったな。お前に聞かねばならないことがある」
そんなフィオの様子を見ても、スヴェンの余裕は崩れない。
「そうでしょうね」
スヴェンは一つうなずいて見せた。
「僕もあなた達にお話ししたいことがあるんです」
お連れ様と一緒にいらしてください、とスヴェンは不敵に告げた。




