58.そして彼女は闇に消えた
街の西側、「ミストゥラの森」へと続く小さな門は、魔獣の襲撃を受けなかったのか健在であった。
「ブキミノヨルは街の東、つまりは『アンダサイの森』から来ていた」
「研究塔」へ続く小路を歩きながら、フィオは続ける。
「『白の賢人亭』で、リックたちが話していたことを覚えているか?」
「『魔力だまり』が急に現れた、って話だよな?」
そうだ、とフィオは一つうなずく。
「テオバルトが、気絶する前にこんなことを言った」
それは朦朧とする意識の中で、誰に語るでもなくつぶやいたことだったのだろう。
(ざまみろ……。ボコボコ出てきて追い回しやがって! だが、これで終わりだ――)
凍りついていく巨大な魔獣を見上げて、そう言ったという。
「恐らくだが、テオバルトは森で造魔獣に出くわしたのではないだろうか。そして、ボコボコ出てきたというその出所だが……」
「急に現れたっていう『魔力だまり』か」
そうだろうな、とフィオはもう一つうなずく。
「『ミストゥラの森』で、ボクとエッタは、この魔素の枯渇は造魔獣を造る実験のせいだったと考えた」
実験段階で失敗もあったために大量の魔素を消費してしまったのだろう、と考えていた。何せ、あの時はブキミノヨルは1匹しかいないと思っていたから。
「だが、そうじゃなかった。実験どころではなく、既に量産に成功していたんだ」
街を襲った、1000はいたであろうブキミノヨルの群れ。
そして、城門に現れた巨大な造魔獣。こちらには、斬り落とされた部位から小さな魔獣を生み出すという能力があった。言い換えれば、体中に無数の小さな造魔獣を内蔵していた、ということだ。
これだけの数の魔獣を人為的に作ったとしたら、どれほどバックストリアの周辺が魔素が豊かな土地であっても、枯渇してしまうのは必定であろう。
「ボクとエッタが会ったスヴェンという研究者は、あの黒くねじくれた角はブキミノヨルの核だと言っていた」
角の中に錬成式が組み込まれており、それを元に体が形作られている。スヴェンはそう語っていた。
「あの角と魔素さえあれば、例えば地中などに潜ませて、任意に出現させることができる、のかもしれない」
この辺りは推測の域を出ないが、とフィオは首を横に振った。
「ま、サイラスのおっさんに話せば、何か知恵貸してくれるだろ」
「そうだな。ブキミノヨルの性質についても、まだ我々の知らないことを知っているだろうから」
ザゴスとフィオはそびえ立つ「研究塔」を見上げる。
「サイラス師、いるだろうか? フィオ・ダンケルスだ」
フィオは扉に手をかけ、そう声をかけた。
返事はない。訝しげにザゴスは首をかしげた。
「鍵は開いているから、中にいるのだろう」
フィオが扉を開け、二人は中に入る。
塔の中は真っ暗だった。手探りでどうにか備え付けの魔道灯を点けると、フィオは正面の「ヘンリエッタ」という札のかかった扉を叩いた。
「エッタ、いるか? エッタ!」
寝ているのか、と首をひねりながら扉を開くが、中のベッドは空っぽだった。それどころか、シーツすら敷かれていない。
「どういうことだ?」
「……2階へ上がってみよう」
フィオは厳しい表情で階段へ向かい、ザゴスも身をかがめながらそれに続く。
「エッタ、どこだ? サイラス師、おられるか?」
呼ばわりながら2階へ上がるが、そこも無人だった。本棚も、奥の実験器具も、安楽椅子も以前訪ねた時のままだが、部屋の主の姿だけがなかった。
「ザゴス、3階だ」
「お、おう」
フィオは迷うことなく階段を上がる。もう声はかけない。どんどん無言で上っていく。気付いているのだろう、上階から人の気配がしないことに。
3階は寝室のようだった。壁面にぎっしりと本が詰まった棚が並び、綺麗にベッドメイクされた寝台が中央に置かれている。物が散らかっている他の階とは対照的に整然としていた。
「ここにもいないか……」
上へ続く階段は存在しない。「研究塔」の最上階が、この3階なのだろうか。
「フィオ、あれなんだけどよ……」
ザゴスは天井を見回して、その一角を指差した。
「色が変わってねぇか?」
「隠し階段かもしれんな……」
調べてみてくれ、と言われるより早く、ザゴスはその色の変わった天井の真下に立つ。この3階は天井が低い、ザゴスの背丈なら少し手を伸ばすだけで十分に手が届いた。
「これ、開くぞ……!」
色の変わった板を引っ張ると、中からぱたぱたと階段が展開し降りてきた。
「行こう」
言うが早いか、フィオは隠し階段に足をかける。気を付けろよ、と声をかけてザゴスもそれに続く。
階段を先に上り切ってフィオが「な……!」と大きな声を上げる。ザゴスも急いでそれに続き、その光景に目を疑った。
4階はこれまでのどの階よりも天井が高かった。その形状からして、ここが塔の最上階であろう。
まず目に入るのは、中央に鎮座する大きな球の乗った装置だ。取り付けられたいくつもの小さな魔道灯が、一定の間隔で明滅している。恐らく、これはエッタの話にあった魔素の観測装置であろう。
だが、ザゴスとフィオが驚いた理由は別にあった。
この4階にも、2階同様壁に沿ってたくさんの実験器具らしきものが並んでおり、そこから伸びる何本もの太い管が壁面を這い回っている。
それら壁際の器具の中心には、やはり2階と同じく、液体で満たされた巨大なフラスコのようなものが置かれている。2階との違いは、中の液体が澄んだ緑色であること。故に、そこに浮かんでいる「モノ」がはっきりと見えるのだが……。
「こいつは、何の冗談だ?」
フィオは何も言わない。見開いた目で、フラスコの中を凝視している。
「何で、こいつがここにいやがるんだよ……」
フラスコの中、緑がかった半透明の液体に浮かんでいたのは、蝙蝠のような翼とねじくれた黒い角を持つ人型の魔獣――今宵バックストリアを襲撃したあの造魔獣、ブキミノヨルであった。
「サイラス師が、このブキミノヨルを、造っていたのか……?」
絞り出すような声でフィオは呟き、ザゴスを振り返った。
「……エッタは? エッタは、サイラス師はどこに消えた? 逃げたのか、サイラス師は……? エッタを連れて……?」
しっかりしろ、とザゴスはフィオの肩を強く抱いた。
この夜、バックストリアからサイラス・エクセライの姿は消えた。
弟子であり、養女であるヘンリエッタ・レーゲンボーゲンと共に。




