46.角の秘密
「それで、僕は何をお話すれば?」
休憩所の最奥、四人がけのテーブルに、スヴェンとフィオたちは向かい合って座った。
「はい!」
エッタが無闇に元気の良い声と共に手を挙げる。
「この猫ちゃんのお名前は?」
ちゃっかりと自分の膝の上に載せた黒猫を、エッタは指した。
「エッタ……」
フィオが横目でにらむ中、スヴェンは「メネスです」と気分を害した風もなく応じた。
「エッタさんも猫がお好きで?」
「ええ。とってもかわいらしいですわね、メネスちゃん」
「ありがとうございます」
面はゆそうにスヴェンは笑った。
「しかし、こうして猫を連れて歩くのはどうなんだ……」
「メネスは僕の護衛なんです。いたずらに連れ歩いているわけではありませんよ」
護衛か、とフィオはスヴェンを見やる。確かにこの男は、この小さな猫より弱そうではあるが。
「話を戻そう」
居ずまいを正して、フィオは「造魔獣のことなのだが……」と切り出した。
「あ、はい。それは、どういう『クエスト』なんです?」
守秘義務があるので詳しいことは言えないが、と前置きして、フィオはサイラスにしたのと同じ説明をした。
「デミトリ師の依頼ですか……。はぁ、そんなことが……」
感心したようにスヴェンは幾度も首を振った。
「やはり、冒険者というのは大変ですね。『クエスト』のためにこの街までやってくるなんて。僕にはとてもできそうにないですよ……」
どちらかと言うと、冒険者そのものに感心しているように聞こえた。
「貴殿は、『マーガン前哨跡』の調査をしたと聞いたが」
「ええ、去年のことです。あの時はサイラス師にも手伝っていただいて……」
サイラスも調査団に同行していたらしい。
「『マーガン前哨跡』は、このバックストリアの管理地で、人が入ったのも300年ぶりだったんです」
勿体ない話ですが、とスヴェンは眉をひそめつつも、「お陰で多くのことがわかった」と語る。
「造魔獣に関することですと、史書におけるブキミノヨル、及びヒノヤマの痕跡が確認されたのですが……」
サイラス師から聞いてらっしゃいますか、と問われてフィオは首肯する。
「その内のブキミノヨルというのが、今回我々が受けた『クエスト』の魔獣ではないか、とサイラス師はおっしゃっていた」
「角がそっくりだった、と……」
そうだ、とスヴェンは何か思いついたように傍らの四角い鞄の中を漁り始めた。
「確かこの中に、復元図を入れておいたはずで……ああ、ありました」
これです、とスヴェンが広げた紙を見て、フィオは目を見開く。
人間のような体と蝙蝠の翼、目鼻口のない頭部と、そこから伸びる黒く捻じくれた角。そこに描かれていた図像は、正にあの時「魔女の廃城」に現れた魔獣そのものであった。
「前哨跡や、史書に残されていた記録から推定した復元図なんですが……」
フィオの顔色を見て、スヴェンは察したようであった。
「こいつなんですね、現れた魔獣は」
「そうだ。この角、この翼……そっくり同じだ」
にわかにスヴェンの表情が引き締まったように見えた。
「資料によれば、このブキミノヨルは魔王の姿を模したとされています」
「魔王の……」
「ええ、ゴナルは――」
ゴナルというのが、魔王に魂を売ったとされる魔道士の名らしい。「ヤマダ戦記」では具体的な記載はなく、「邪なる魔道士」「悪しき魂」とされていたその名を、フィオは初めて知った。
「魔王に心酔しており、その姿を自分の造った造魔獣に映したそうです」
思えば、ブキミノヨルの姿は魔人と化したタクト・ジンノとも似ていた。つまり、魔人と魔王も似た姿をしていることなのか……? 内心で起こった疑問をさておいて、フィオはサイラスにもした質問をスヴェンにぶつけてみることにした。
「今、この造魔獣を造ることは可能だろうか?」
「え?」
スヴェンは一瞬目を丸くする。
「いや、それは無理でしょう」
「『邪法』とされているからか?」
はい、とスヴェンはうなずく。
「製法については、将来に残してはいけない『邪法』として、資料が処分されています」
「遺跡の調査ではそういうものは出なかったのか?」
ええ、と応じながらスヴェンはちらりと黒猫――メネスを見やる。メネスはエッタの膝の上でお腹を撫でられて目を細めている。
「メネスがこんなに懐くなんて……。エッタさんは魔法だけでなく、猫をかわいがることも天才なのですね」
「うふふふ、そうですわ。わたしに懐かない猫はいませんことよ」
得意げにエッタは笑った。
「いや、初めてだろう。こんなに動物が寄ってくるのは」
フィオはちくりと刺して苦笑する。
動物は一般に魔法を嫌い、強い魔力を持つ魔道士程忌避されやすい。駆け出しの頃、フィオとエッタは逃げた猫の捜索「クエスト」を受けたことがあった。あの時、猫は二人を警戒してか、潜んだ床下からなかなか出てこずに苦労したのを覚えている。
メネスは普段から魔道士と一緒にいるから、特別魔法に慣れているのかもしれない。金の瞳の穏やかな気配に、フィオはそんなことを思った。
「ここだけの話なんですが」
不意に声を低くして、スヴェンは辺りをうかがうような様子を見せる。
「造魔獣が遺した角、あれは造魔獣の核のようなものではないか、とも推測されているんです」
「核?」
「あれを中心に形作られるということですの?」
ええ、とスヴェンは肯定する。
「魔法的な反応は、年数が経っているせいか検知されていないんですが、複雑な錬成式が組み込まれていた痕跡があるんです」
錬成式とは、ある魔法を行使するための決まった構文のことである。魔道士はこの構文をイメージしながら魔力を錬る――錬魔することで、魔法を行使する。
錬成式は、「記録織紙」と呼ばれる専用の紙や「魔石晶」のような魔素結晶体に組み込み、記憶させておくことができる。錬成式を記憶した媒体があれば、その式を覚えていない魔道士でも当該の魔法を使用することができる。都市圏で街灯として使用されている魔道灯は、この仕組みを利用していた。
あの角は錬成式の特殊な記憶媒体であり、集積した魔素が刻まれた錬成式の通りに構築されることで、造魔獣の体が形作られているのではないか、と推定されているようだ。
「しかし、その錬成式は非常に複雑なもののようでした。それに、経年劣化のためか式の全文が残っているものは一つもありませんでした」
「つまり?」
「断片的な情報を繋ぎ合わせ、欠けている部分を適切に補って錬成式を完成させなくては、造魔獣を、ブキミノヨルを新造することは不可能です」
それができるものはいない、とスヴェンは断言する。技術的に難しいことであるし、角に記録された錬成式を調べられる者も限られている。
「僕からお話しできるのはこれくらいですね」
「ありがとう、スヴェン。参考になった」
フィオは椅子から立ち上がって、エッタに「行こう」と声をかける。
「えー、もう少しメネスちゃんと遊んでもいいでしょう?」
「エッタ、君なあ……」
フィオは気が抜けたように肩を落とす。
「また会いましょうよ。メネスも喜びますし」
ね、メネス。そうスヴェンが声をかけると、メネスはエッタの膝からテーブルに上がった。そして跳躍し、主人の顔に突撃する。
「わっぷ!?」
小さな黒猫の突進を受け、スヴェンは椅子ごと後ろへ倒れた。
「だ、大丈夫か……?」
「すごい勢いで倒れましたけど……」
けたたましい音と共に倒れた彼に、フィオとエッタは若干顔を引きつらせながら尋ねた。
「ええ、慣れてますから……」
スヴェンはメネスを自分の顔からどかすと、ゆっくりと起き上がった。




