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42.裸の付き合い

 

 

 入浴文化をアドニス王国に広めたのは、300年前に異世界から召喚された勇者ヒロキ・ヤマダである。彼の元いた世界では、毎日風呂に入るのが当たり前だったという。


 そんな環境から来た彼には、王族であっても「風呂は週に一度入ればいい」という当時のアドニス王国の常識は、耐え難かったのだろう。魔王討伐後、地位と名誉と財産を得た彼は、殊更風呂の普及に力を入れた。


 その名残は、ヒロキ・ヤマダがかつて住んでいたヤーマディスの領主の館に色濃く残っている。


 ほとんど公衆浴場のような広い脱衣場に、ザゴスはまず驚く。そこで服を脱ぎ、浴場へ入って二度驚いた。露天ではない点を除けば、ほとんど「ボクスルート山地」の温泉郷のような豪奢な浴槽が広がっていたからだ。


「待っていたぞ」


 湯煙の向こうからよく通る声が響き、ザゴスはギクリとなる。


 大きな浴槽からざぶりと上がってきたのは、領主ドルフその人であった。冒険者稼業を引退して久しいというが、体は引き締まっている。割れた腹筋の間をなぞるように、水滴が滑り落ちた。


「少し二人きりで話がしたくてな。エッタに、お前を風呂場に呼ぶように頼んだのだ」

「は、話ですかい? その、どんな……?」


 そう縮こまるな、とドルフはザゴスの上腕を叩く。


「風呂では裸一貫、お互いに一匹の男同士だ。領主も王族もない」


 促されるまま、ザゴスはドルフと並んで湯に浸かった。温かさを全身で味わうように、ドルフは「ふーっ」と長い息を吐いた。


「昨日のことだがな」


 浴槽の縁にもたれて、ドルフは続ける。


幻魔黒光手(モリオン・ファントム)を打ち消したあれは、『剣聖討魔流』だな?」

「ああ、そ、そうです」


 ザゴスはぎこちなく応じた。


 アドイックを発ち、ヤーマディスへ向かう途上、街道の宿場町で一泊した際に、ザゴスはフィオに剣聖討魔流のことを話した。


 あの日道場で起きたことも、何故自分がこの話を避けたのかも、洗いざらいすべて。


 フィオは難しい顔ですべてを聞き、ザゴスの話を噛みしめるようにうなずいた。


(お前は、自分が辺境伯の期待に応えられなかったと思っているようだが)


 それは違う、とフィオははっきり言い切った


(お前は奥義を会得したじゃないか。それに、恩人を侮辱されて怒るのは当然のことだ。ツィンド伯も、お前の行動を誇りに思いこそすれ、失望したりはしないだろう。ボクが辺境伯の立場ならそう思う)


 だけど、と言いかけたザゴスにフィオは重ねて言った。


(この先は何が待っているかわからない。きっと、剣聖討魔流の力は必要になる)


 だから、とこちらを見上げた顔はザゴスの脳裏に焼き付いている。


(お前が自分を許せなくても、ボクのためと思ってその力を振るってくれないか?)


 そんな顔で見られたら、嫌とは言えねえ。そもそも、自分でついていくことを選んだのだ、今更何を迷うことがある?


「その、俺は……」

「やはりそうだったか」


 ザゴスが言いかけたことに構わず、ドルフは何度もうなずいて少し目線を上げた。


「俺はかつて、身分を隠して大陸中を修行していた時期があってな」


 その際に「剣聖討魔流」を身に付けようと、道場の門を叩いたことがあったという。


「もう20年ほど前のことだ。既にその時点で、道場にいる師範たちの中にも、あの奥義を使える者はいなくなっていた」


 ただ修行法のみが伝わっており、それを闇雲に繰り返しているだけの修練を見て、ドルフはすぐに道場を去った。


「あの道場も今はなくなった。10年前に大口の出資者が手を引き、経営が立ち行かなくなって閉山したと聞いている」


 その出資者は大商人で、息子を道場に通わせていた。その息子が、稽古中に重傷を負わされたことが、出資を取り止めた原因になった。


 そうドルフは付け加えると、ザゴスの方を見やる。


「元門下生に話を聞いたが、それによれば、重傷を負わせた犯人は大柄で逞しい男、そして奥義を使ったかのように見えた、とか――」


 大商人の息子。稽古中に重傷。ザゴスの脳裏に、あの道場でのことが思い出される。ツィンド伯を「ザコ貴族」と罵ったあの男、ザゴスが頭を割ったあいつは生きていたのか。


「そう固くなるな。別に咎めようってわけじゃない。それがなくとも、あの体たらくでは道場の閉鎖は時間の問題だったろうしな」


 ドルフは笑みを浮かべた。ザゴスは少し俯いて、揺れる水面に目を落とす。


「俺のこと、調べられてるンスね……」

「そりゃそうだ。兄上はその辺り細かいからな。慎重派とも言える」


 為政者である以上はそうでなくては困る、とも言い足した。


「だが、こうして調査した上でお前を信用すると、そう結論付けたんだ」


 自信を持っていい、とドルフはうなずきかける。


「このタクト・ジンノとやらにまつわる事件、裏には何か大きな陰謀が隠されている。兄上も俺も、そうにらんでいる。多くの危険が待ち受けているだろう」


 ドルフはいつにない真剣な眼差しをザゴスに向けた。


「ザゴス、フィオを守ってやってくれ。あいつは親友の、大事な妹なんだ」


 妹か。フィオの兄・フレデリックの話がザゴスには思い出された。


 彼が活動していたのも、このヤーマディスだ。ドルフとフレデリックの間には、領主と冒険者以上の絆があったようだ。フィオとドルフの繋がりは、その兄から続くものなのだろう。


「話はそれだけだ。時間を取らせてすまなかったな」


 湯船から立ち上がり、ドルフはそのまま浴場から出て行った。一人残されたザゴスは、肩まで湯の中へ沈める。


 守ってやってくれ、か。


 謁見の間でもなく、昨夜の祝賀会の会場でもなく、この場を選んだドルフの心に、ザゴスは触れたような気がしていた。

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