21.魔女の遺産
アドニス王国の王都アドイックには、南側の城門から北へ、貫くように大通りが走っている。その最北端にあるのがアドニス城である。
堀に囲まれたこの城は、勇者ヒロキ・ヤマダの魔王討伐後に築城された。真っ白い外壁に青い屋根の、美しい城として国内外で知られている。
しかし、この城の地下にはおぞましいものが眠っていた。
王城の地下牢よりも更に下、大地の魔法で掘り進められる限界地点に、その石造りの部屋はあった。幾重にも並ぶ鉄格子と魔法の結界の向こう側にいるのは、体長70シャト(※約21メートル)以上はあろうという巨大なミミズのような魔獣であった。
ミミズと異なるのは、その魔獣の口にあたる部分である。カシラマシラをも一飲みできそうな虚ろなその穴の周りには、鋭い牙がびっしりと並んでいる。その牙の一つ一つが、大人の男と同じくらいの大きさだと言えば、その巨大さが伝わるだろうか。
この普段は光の差すことのない魔獣の間に、今日はいくつもの人影があった。
「この魔獣こそが、100年前我ら王族に仇なした魔女・ヒルダの遺せし呪い……」
魔法の明かりに照らされた蠢く巨体を見上げて、そう説明するのは厳めしい髭の男――アドニス王国の現国王・ダリル三世である。周りを警備の兵に固められながら、国王は自ら説明を続ける。
「魔女は首尾よく討ち取ったものの、王国の地下から忍び寄ってきたこの魔獣は、どんな魔法や技を使おうとも遂に滅ぼすことができなかった……」
ダリル三世は、ぎろりと傍らに立つ少年に目を向けた。
少年――タクト・ジンノは、巨大な魔獣を目にしても驚いた様子なく平然としている。
「タクト・ジンノよ、汝が勇者を名乗るのならば、この魔獣を見事打ち滅ぼして見せよ!」
威厳のこもった声にそう命じられても、タクト・ジンノに臆した様子はない。いや、明らかに「かったるいな」という雰囲気を醸し出している。
「き、貴様! 王命であるぞ! 謹んで……!」
それを見て、王の側に控える近衛隊長が怒鳴りつけようとするが、それをダリル三世が手で制した。
「た、タクト様……」
タクトの隣にぴったりと寄り添っているアリアは、その顔を不安げに見上げた。目の前の巨大な魔獣を直視することができないようだった。
「大丈夫だよ、こんなの」
アリアを元気づけるための言葉ではないようだった。口調からはっきりと「面倒くさい」という意味合いが読み取れる。
「アリアは下がってて」
言われて、おずおずとアリアはタクトから離れた。
タクトはそれを振り返る。いや、アリアを見たのではない。その後ろ、兵に守られる銀髪の見目麗しい少女を一目見たのである。
彼女こそダリル三世の一人娘、ディアナ姫である。ダリル三世の子は4人おり、末っ子でありまた唯一の女の子ということで、皆からかわいがられてきた。「月のように美しい姫君」と臣民からの支持も篤い。
この子がオレのハーレムに入るんだ。タクトは内心ほくそ笑んだ。わかってる、わかってる。このキモいのを倒したら、あそこの髭親父が泣いて喜んで娘を差し出すんだろう?
そういう物語なんだ、これは。そういう物語の主役に、オレはなったんだ。
「じゃ、やるよ」
タクトは腰から剣を外し、鞘から抜き放つ。この場にいる誰が持っている武器よりも、細く頼りない剣であった。それをタクトは両手で構える。
兵士たちにざわめきが走る。驚くのはこれからだ、とタクトはミミズの化物のような魔獣を見上げた。
気持ち悪いな。早く吹き飛ばしちゃおう。
「超光星剣!」
剣が光芒を発し、闇の深く落ちた地下の間を光で満たした。強力な光に、ダリル三世をはじめとした兵士たちは視界を奪われる。
だが、その中で確かに聞いた。この世のものとは思えない、魔獣の断末魔を。
「はい、おしまい」
光が晴れると、魔獣の姿はどこにもなかった。いや、魔獣の前に置かれていた何枚もの鉄格子も魔法の結界も、すべてが光の向こうに消し飛ばされたようだった。
「おお……」
「何と、これは……」
「す、すさまじい威力だ」
「正に『ゴッコーズ』……」
ザコ共のリアクションが気持ちいい。タクトはそこで初めて、得意げに笑った。
「うむ」とダリル三世は一つうなずいて、兵士たちをかきわけてタクトの前にやってきた。
「天晴れなり、タクト・ジンノ! アドニス王国の王の名において、貴殿を勇者と認める!」
最初からそう言ってんじゃん、とタクトはうなずく。そのぞんざいな態度に、苦言を呈することのできる人間は、もうここにはいなかった。
「タクト様ぁ!」
喜色満面のアリアが抱きついてくる。最初はこのスキンシップにドギマギしていたタクトであったが、今やそれもどうでもいい。ちょっと待ってと、押しのけるようにして、タクトは王の後ろにいるディアナ姫を見やる。
「ディアナ、勇者の前へ」
ダリル三世はそれを見てとって彼女を呼んだ。ディアナは一瞬躊躇するようなそぶりを見せ、すぐに意を決したように居ずまいを正す。そして、タクトの前へ進み出てきた。
「我が王国の禍根を断ち切って下さり、ありがとうございました」
「いいって。ところで、お姫様をオレにくれる?」
くれるとはどういうことだ、とダリル三世は怒鳴りつけそうになったが、鉄の精神力で押さえつける。
アドニス王国は「勇者」という存在に大きな借りがある。まず勇者が現れなければ、300年前の時点でこの国は魔王に滅ぼされていた。また、魔王亡き世界でも各国から一目置かれているのは、勇者の「アドニスは王国は私のこの世界での故郷」という発言が伝えられているからこそだ。
「勇者さまは、わたくしに求婚されるおつもりですか?」
ディアナ姫の問いに、タクトは「まあね」と軽い調子で応じる。その後ろでギリギリとアリアが奥歯を噛みしめているが、それを無視してディアナは続ける。
「ならば、4日後に開かれる『天神武闘祭』にお出になってください」
「てんじ……? 何?」
王国中から剛の者が集まる大会だ、とディアナは説明した。
「そこで優勝なさりましたら、喜んであなたの妻となりましょう」
「ディアナ!」
慌てた様子でダリル三世は娘の顔を見やる。だが、決心は固い様子でディアナは口を一文字に結んでいる。
「何だ、そんな簡単なことか」
いちいち面倒くさいなあ、とタクトは遂に口に出した。全部「超光星剣」で吹き飛ばせばいい、そう考えているようだった。
「まあ、いいよ。一応、力は見せておかないと、変なのに絡まれたりするしね」
タクトの態度に、ダリル三世や居合わせた兵士たちの間にいささか辟易とした空気が流れる。舐めるなよ、と皆思っているが、実際あの威力を見せられてしまっては、とても口が開けないといった様子である。
「さ、さっすがタクト様ぁ!」
周囲の雰囲気を察したのか、アリアがそう声を張り上げたが、どこか虚しく響いた。