20.フィオラーナ・ダンケルスの理由
強力な魔獣を相手に、背に妹をかばいながらも打ち合うこと数十合、フレデリックは遂にノロイカマイタチを打ち倒したという。
「もう大丈夫だ、と兄はボクの方を振り返った。その時だった」
振り上げられた赤く光る鎌、それがフレデリックの背中を斬り裂いた。
「傷は浅く見えた。現に、兄は斬られた時は驚いたものの、すぐに振り返って応戦する構えを見せたから」
ノロイカマイタチはその一太刀がやっとだったのか、崩れ落ちた。その体は「魔素」へと分解されていった。
「兄は『今度こそ大丈夫だ』と言ってボクを背負い、森を抜けた」
背中に触れた時、フィオは異常を感じたという。
「異様に冷たいんだ。兄の大きな背中から、すべての熱が奪われたかのように」
屋敷についてすぐフレデリックは倒れ、寝付いてしまった。慌てて父が治療士を呼ぶ。
診断は「魔獣の呪いによるもの」とのことだった。
ノロイカマイタチはその名の通り、呪詛のような力を持つという。自分の命と引き換えに、呪いの鎌に死神を宿すとも言われる。フレデリックの背中を斬り裂いたのは、正にその「死神の鎌」であった。
「祓う方法はないのか、兄は助かるのか。どちらの問いにも、治療士は無言で首を横に振った」
その晩、フィオはずっとフレデリックの枕元についていた。兄は真っ青な顔で荒い息をついている。その手を握ると、苦しそうな息の中、彼はこう言った。
(ごめんな。顔に傷ができちまったな……)
「兄は、自分が死ぬというのに、それもボクがバカなことをしたせいで死ぬというのに、ボクの心配ばかりをしていた」
フィオは涙を流して、何度も「ごめんなさい」を繰り返す。そんな妹の頭を撫でて、フレデリックはこうも言った。
(お前は思い込んだら一直線のところがあるから、落ち着いて物事を進めろ。冒険者になるんなら、慎重さを身につけるんだ。自分の力を知り、自力で生きて帰って来られるのが、一人前の冒険者なんだ――)
どんな冒険も自分の力で成し遂げるからこそ、冒険者は勇者になれるんだ。
ヒロキ・ヤマダの言葉を念頭に置いたものだろう。フレデリックは、愛する妹にそう言った。そしてそれが、遺言となった。
「兄の手は弱々しかった。げっそりやつれ果てて、翌朝兄は息を引き取った」
長い話を終えて、フィオは大きく息をついた。
「ボクは兄の分まで生きようと誓った。兄のようになろうと思った。兄に追いつこうと、魔法だけでなく剣も取った。そして女であることも捨てた」
血の滲むような努力を重ね、5年後フィオは冒険者となった。
女を捨てたのは、顔に傷を負ったことも関係しているのだろう。兄の髪型を真似たのも、傷を隠すのにちょうどよかったからかもしれない。ザゴスはそう思ったが、口には出さなかった。不器用な大男にも、口にしていいことと悪いことの区別はつく。
「これがボクのすべてだ。だから、『天神武闘祭』の招待状が来た時、本当にうれしかった。これであの時の兄に、追いつけたのだと」
そして、だからこそ腹を立てた。フィオはきゅっと唇を結ぶ。
「戦の女神」の神託を受けたことで、フィオは知ってしまった。今年の「天神武闘祭」は勇者のために整えられた舞台で、フィオは駒として呼ばれたのだと。
「お前さ……」
ザゴスにしては珍しく、言葉を選びながら口を開く。
「その、『戦の女神』に従わない、ってのも兄貴の……アレか?」
「いいや。兄とそんな話をしたことはない。ボクの個人的な怒りだ」
兄はどんな神にも敬虔な面があったから、とフィオは付け加える。
「全部兄のためだと思ったか?」
「だとしたら、ぶん殴ってたぜ」
フィオは肩をすくめて笑った。ザゴスも口角を上げる。
「言われたんだ、冒険者を始めてすぐの頃にな。自分の冒険をしろ、と」
もしぶん殴っていたなら、ザゴスも同じことを言っただろう。
「それで女神にケンカ売るってのは、お転婆が過ぎるんじゃねぇか?」
「まったくだな。こればかりは直らんらしい」
二人はまた笑い合った。
「ザゴス、貴殿の話も聞かせてくれ。どうして冒険者になった?」
ふと、ザゴスの顔から笑みが消えた。目をつむり、頭を振った。
「……暴れてェからさ。そんだけだ」
そう言い置いて、ザゴスは立ち上がる。
「上がろうぜ、のぼせちまう」
返事がない。見下ろすと、フィオは顔を手で覆っている。
「……おい、どうした?」
「それを、しまえ」
あ、とザゴスは下半身のそれが、ちょうどフィオの目の前辺りにぶら下がっていることに気付く。
「……いや、これしまえるもんじゃねぇんだけど」
「しまえ」
「お前、その……」
「しまえ」
今まで聞いた中では一番きつい口調であった。ザゴスは縁の岩にかけてあったタオルで前を隠した。
「と、とにかく先に上がるぜ……」
「うむ」
フィオは顔を手で覆うのはやめたが、そっぽを向くように温泉の真ん中の方を見ている。
「ザゴス」
脱衣所に出て行こうとした時、そう呼びとめた。
「いつか聞かせてくれ。どんな過去でも、今の貴殿が好ましい男だから、ボクは組もうと思ったんだ」
ちっ、敵わねえな。ザゴスは右手を挙げて応じ、脱衣所の戸を閉めた。
備え付けの鏡を見ると、顔が紅い。それは、のぼせかけたせいだけではなかった。
体を拭いてザゴスが部屋に戻っても、フィオは上がってこなかった。
まだ浸かっているのか、それとものぼせて倒れたか。心配になって見に行こうとした時、ようやく部屋のドアが開いた。
「! あ、お前……!」
入ってきたフィオの顔を見て、ザゴスはどんぐり眼を見開いた。それはフィオが女だと知った時と同じくらいの驚きであった。
「ボクの顔に何かついているか、ザゴス?」
「いや、ついてるってか……ないっていうか……。前髪、どうした?」
「切ってきた」
事もなげに言うフィオの顔は、両目が見えている。左半分を覆っていた前髪は右側と同じく、目にかかるかからないかのところで、ばっさり切られていた。
当然、あの痛々しい傷跡もはっきり見える。
「いいのかよ……」
「これからはボクらの冒険だからな。兄の姿を借りるのだけは止めにする」
似合わないか、と尋ねられ、ザゴスは目を白黒させる。
「いや、その、そ、そうだな、びっくりはした、な……」
「他には?」
一歩詰め寄られて、ザゴスは生唾を飲んだ。口調も容姿もそこまで変わらないのに、どうしても「女」を意識してしまう。
落ち着け、俺。クサンの野郎とは違うんだから。ザゴスは極力、クサンの顔を思い浮かべることにした。むさくるしい顔が浮かべば、おのずと萎えるものだから。
「……まあ、その、いいと、思うぜ」
「20点ぐらいの褒め言葉だな」
酷評しながらも、フィオはどこか満足げな笑顔を見せた。




