172.欲望の残影
勇者ヒロキ・ヤマダが魔王を倒して300年。その長らく続いた平和の陰で、アドニス王国をひそかに蝕んでいたもの達がいた。
かつての王都コーガナを自ら造り出した魔獣で埋め尽くし、王国と敵対した魔女ヒルダ。
「天神武闘祭」で魔人と化して暴れ、姫をさらった自称勇者のタクト・ジンノ。
一人の人間を拉致するためだけに、大量の造魔獣が投入されたバックストリア襲撃。
「召喚装置」と「神玉」を奪取せんと神殿を破壊し、市外に魔獣が放たれたマッコイの戦い。
宣戦布告の後、バックストリアを超える規模で造魔獣がつぎ込まれたヤーマディス襲撃。
そして、再臨の勇者ヒロキ・ヤマダを打倒せんとした「魔王の島」での戦い。
これらすべての事件を引き起こしたのは、「欲望の邪神」を崇める秘密結社だった。
数多の「神玉」をその手中に収め、王国の有力な家柄を利用して歴史を捻じ曲げ、時に異世界より人間を召喚して手駒とする。
その名を――。
「『オドネルの民』、か……」
エッタとクロエ、アマヌスとシナオサはエイトの部屋に集まっていた。
「そいつらが、エイトを召喚したというのか?」
アマヌスの問いに、エッタは「恐らくは」と応じた。
「エイトくんが召喚された時に見たという『炎の相』の少女の姿――。それが、『オドネルの民』の幹部だった造魔人にそっくりなんです」
加えて、手の甲にあったという「欲望の邪神」を示す六角形の紋章だ。「オドネルの民」の本拠地や、造魔人の一人・デジールのつけていた鉢金などにも、彼らはこの紋章を刻んでいた。
「だが、壊滅したのだろう?」
「ええ、そのはずなんですがね……」
「オドネルの民」そのものは首魁たるレナ・ヴィーダーが打倒され、幹部の「欲望の三姉妹弟」を名乗る造魔人も全滅したため、壊滅したとみていいだろう。
しかし、組織の全容はいまだ不明な点も多い。アドニス王国の国外、別の大陸でも活動していないとも言い切れないのもまた事実であった。
「マグナ大陸に支部の一つや二つ、あってもおかしくはないんですよね。300年もごちゃごちゃやってたわけですから」
本部が壊滅したことで支部が暴走を始めた可能性もある、とエッタは見ている。
「そういうものがあったとして、だ。一体何の目的でエイトを?」
それは、とエッタは少し口ごもる。
エイトが仕立て上げられた「予言の賢者」は、王を選び出すという。
となれば、「オドネルの民」が賢者を召喚する理由は、自分たちの考える人間を王に指名させるためであろう。
王の候補は二人、先王の息子のトモテと、今目の前にいるアマヌスだ。
元々、トモテの王位継承が既定路線だったという。継承権があるとはいえ、賢者が現れなければ次期王の候補にアマヌスの「ア」の字も出なかったはずだ。
そこから考えると、「オドネルの民」が加担していて不自然でないのは……。
「我々をお疑いのようじゃな、ヘンリエッタ師」
シナオサの言う通りだ、とエッタは肩をすくめる。
「まあ……、トモテ王子たちと神殿、どっちが怪しいかと言えば、賢者が出てきて得をするあなた方なんですよね。そもそも、賢者はこの神殿に召喚されたわけですし」
「『オドネルの民』の使う『召喚装置』は、召喚する場所を指定できました。もし、トモテ王子たちが賢者を召喚したなら、確実に自分たちの手中に収めるために王宮内かリオットの街の中に召喚するでしょう」
クロエが横からそう補足した。流石は「召喚装置」を扱っていた有識者である。
「見てきたように詳しいのう、クロエ聖」
「わたしも、『オドネルの民』との戦いを微力ながらお手伝いしておりましたから」
アマヌスやシナオサの前では、ずっと「よそ行き」で通すつもりらしい。エッタもその意は汲んでいるが、聞いていて正直鳥肌が立つ。
「うむ。健気だなクロエ聖は。家族を亡くし、辛かったろうに……」
アマヌスなどは妙に感じ入っている。
「まあ、そこは置いておきまして」
健気というか強かというか、出し抜いたというか振り回されたというか。口に出してしまいそうなので、エッタは話を戻した。
「本当にあなた方、『オドネルの民』とは関係がない?」
「当然だ! そんな胡乱な輩と組むわけがないだろう!」
憮然としてアマヌスは断言する。
「じゃが、わしらの与り知らぬところで『オドネルの民』と結んでいる者はおるやもしれぬ」
対して、シナオサは慎重にそう述べた。
「シナオサ聖! 神殿の仲間を疑うというのか?」
「お言葉ですが、『オドネルの民』の造魔人の中には、別の人間そっくりに変身する能力を持つ者がいます。わたしのいた『戦の神殿』でも、僧兵隊の中にいつの間にか紛れ込んでいました」
変身能力、とアマヌスとシナオサは顔を見合わせる。
「見分ける方法はないのか?」
「あります」
あっさりとエッタは言ってのける。
「あるのですかな?」
「ええ。『魔王の島』での戦いの後に、開発いたしましたの」
また同じような変身能力を持つものが現れぬとも限らない――などと思ったわけではない。単に、フィオとザゴスがディアナ姫の「クエスト」に行ってしまってから、暇にあかせて研究していただけである。
「先ほどの『名もなき魔法』、ドーンとやったヤツがそれです」
研究の中で、「邪」属性同士の魔法をぶつけ合うと消滅することをエッタは発見した。
魔法の属性には「近似」や「相反」といった関係性があり、この内「相反」する属性同士をぶつけ合うと、一時的に多量の魔素を消費する相殺消費という現象が起きる。
「邪」属性は特殊な属性で、「相反」属性にあたるのが「邪」属性であった。
そこで、「癒」属性の魔法で補助魔法の効果を無効にする解呪の錬成式を参考に、変身魔法だけを解く「名もなき魔法」を開発したのだった。
「なるほど、わしらがその造魔人が変身した姿ではないかと、疑ったわけじゃな?」
エッタはうなずいた。「二人は一旦合格」と言ったのはこのためである。
「明日以降、潜り込んでいる者がいないか、この『ドーン』を神殿関係者全員にかけてみるつもりですわ」
「そ、それで見つからなかったら……?」
先ほどから、どことなくそわそわした様子のエイトが、不安げに眉根を下げる。
「何か王権以外の別の目的があって、この国を混乱に陥れているのかもしれませんね」
「トモテのヤツと手を結んでいる可能性は?」
「ないでしょう」
ばっさりとエッタは切って捨てた。
「向こうには、賢者を呼ぶ利点はまったくないですから」
「いや、それは言い切れんぞ」
頭から否定されたが、アマヌスは冷静に切り返す。
「『予言の賢者』は必ず『異界の門』に現れるとされている。あの部屋は、この神殿が建立されて以来、そのためだけに守られてきた場所なのだ」
「うむ。逆に言えば、もし城の中にエイト殿が召喚されたとて、誰も『予言の賢者』とは信じなかったじゃろう」
シナオサも横から口を挟む。
「アマヌスとトモテ王子、典範上は二人の継承順は同位。トモテ王子には先王の庇護があったとは言え、その地位も盤石ではない。ならば、伝説の『賢者』でそれを固めようとしていてもおかしくはあるまい」
「なるほど、シナオサ聖がそうおっしゃるなら、リオット側が『オドネルの民』と手を結んでいる可能性も考えないといけませんわね」
「おい、俺一人の意見だったら信じなかったみたいに聞こえるが?」
「はい、そう言っていますが?」
悪びれもしないエッタに、アマヌスは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「そうなると、どっちにも『賢者』を呼ぶ動機が出て来るわけですか……」
思ったよりややこしい話になってきたが、とエッタはちらりとアマヌスの苦い顔を見やる。
アマヌスはまだ気付いていないようだ。「エイトを呼んだのは『オドネルの民』」という事実がもたらすことを。




