168.人の領分
アマヌスの怒りを買い、牢屋に閉じ込められたエッタの前に現れた神官ポンテオは、「旅の神」の正体を現し、エッタに語り掛ける。
「旅の神」は、この世界を創造した際に、二つの大陸に9個1組の「神玉」をそれぞれ配置した、と言う。
「人間の力ではどうにもならない事態が起きた時、使えるようにね。もっとも、マグナ大陸はフォサ大陸と比べて政情が不安定な国が多いので、戦乱の中で行方がわからなくなってしまっていますがね」
もったいないことに、と「旅の神」は皮肉っぽく笑う。
「神玉」がまだあることはわかった。けれど、エッタには引っかかることがあった。
「『神玉』って、この世界の人にも使えるんですか? 『ゴッコーズ』を得るには異世界人でないといけないって聞いているんですが」
「神玉」の力とは即ち、「ゴッコーズ」を与えることである。それがエッタの認識であった。
そして、「ゴッコーズ」は異世界の精神器官を持つ者にしか与えられない。
この法則を、エッタは身をもって知っている。何せ、異世界転生者であるために、「ゴッコーズ」の勇者の素体にされかけた経験があるのだから。
彼の「オドネルの民」も、「海の神玉」を使って死体を生きている状態に戻した際に、異世界の人間の精神器官の模造品を作り、それに「ゴッコーズ」を与えて使うという方法を取っていた。また、ヒロキ・ヤマダを呼び戻した召喚装置「決意之朝」も、類似した仕掛けがその内部に仕込まれていたという。
そのように、「神玉」はこの世界の人間が軽々しく頼れるものではない、というのがエッタの認識だったのだが……。
「『ゴッコーズ』を与えることは『神玉』の本質ではありませんよ。あれはどちらかと言えば邪道、危険な使い方です。二つの神の祝福が必要なのも、安全装置というわけですね」
この世界の人間の精神器官は、一つの神(ないし相)の祝福しか受け付けられないようにできている。だが、偶然にも異世界の人間は二つ入れることができたため、人の身ながらにして神の力を使いこなせる、即ち「ゴッコーズ」の使い手になれた。
これはあくまでも異例のことである、と「旅の神」は重ねた。
「で、どうしたらこの世界の人間でも『神玉』の力を引き出せるんですか?」
「簡単ですよ。『神玉』はその神やら相に対応する祭壇を組んで、100人ほどの人身御供を集めて祈れば、その命と引き換えに力が引き出せるんです」
100年につき1回だけですがね、と「旅の神」は肩をすくめる。
「さらっと残酷な条件を言いますわね……」
そうですかね? と眉一つ動かさない「旅の神」に、エッタは今まで以上に「神」というものを見た気がした。
「どうしようもない事態に晒されたら、これぐらいの犠牲は安いものだと思えるんじゃないですか?」
まあいいでしょう、と「旅の神」は話を本題に戻す。
その語るところによれば、この大陸で最後に「神玉」が使われたのは300年前、それも「大地の神玉」――すなわち「旅の神」が所管するものだった。
「『邪の相』の使徒を名乗る一団が、私の『神玉』を使い、召喚を行いました」
この召喚で現れたのが、かの魔王であった。
「『邪の神玉』が封印されていた孤島に召喚できたのはいいものの、あの魔王は社会そのものを憎む程に精神が歪んでいた。結局、自分たちも滅ぼされてしまって……」
愚かしい人間たちです、と神らしい言葉を「旅の神」はつぶやいた。
その後、力を失った「旅の神玉」は戦乱の中で行方がわからなくなっていた。「神玉」は100年で力を取り戻すが、以降はマグナ大陸で使われたことはなかったという。
つい三か月前までは。
「突然、二つの『神玉』が使われたのです。この私のものと『炎の相』――『かまどの女神』のものがね」
それを感じ取って、「旅の神」は神官ポンテオとなって人間世界にやってきたという。
「確かめる必要がありました。私の『神玉』は異世界人を召喚する力があります。誰が、何を呼んだのかは把握しておきたいじゃないですか」
異世界のものは、良くも悪くもこの世界に影響を与えてしまうから。見定める必要がある、と「旅の神」は重ねた。
「状況から考えて、それで呼ばれたのが、あのエイト・ミウラですか……」
「旅の神」の確かめたい、見定めたいという「誰が」と「何を呼ぶのに使ったか」の内、後者のことはエッタにもわかった。
「では、『誰が』の方もご存じなんですか?」
「知っているかもしれないし、知らないかもしれない」
またもあの言い草だ。神はこの世界のことをよく知っているのではなかったのか、とエッタは怒りすら覚えた。そして、それを口に出した。
「確かに知っていますよ。誰がエイトくんを呼んでしまい、『炎の神玉』を使って『ゴッコーズ』を与えたのか」
けれどね、と「旅の神」は鉄格子に顔を近づけて続ける。
「何でも神に聞くのは感心しませんね」
「いや、あなたが何でも聞けって言ったんじゃないですか!」
「そうだったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない」
四度目である。エッタは深々、棘のあるため息を吐いた。
「そうため息を吐かれましても。そもそも、『何でも聞け』とは言ったかもしれませんが、『何でも答える』は確実に言っていませんよ」
のらりくらり、ふわふわと。掴みどころのなさが神なのだろうが、だとしたらその属性から引っぱたいてやりたい、とエッタは奥歯を噛んだ。
「私はその立場故に、あなたにだけ情報を与えようと思いました」
「旅の神」は冒険者の守り神だとされている。冒険者ギルドの看板には、世界共通で「旅の神」ないし「大地の相」の紋章が描かれている。
この神都オイスタムには冒険者ギルドはない。そのため、エッタだけが「旅の神」の直接の庇護下にある人間だった。
「必要な分は与えました。この先は自分で調べたり、考えたりしなさい。冒険者なら尚更のことですよ」
「いろいろ言ってますけど、これ以上力は貸さない、と」
見守ってはいます、と「旅の神」はにこりとした。
「そもそも、この世界のことはもう、この世界の人間がやっていくべきです。神の出番は最早ない。無論――異世界人も」
そう言った「旅の神」のまとう雰囲気がにわかに鋭くなったようで、エッタは鉄格子から少し後ずさった。
怯んだ様子のエッタを見て、「旅の神」はすぐに柔和に笑った。
「では、この辺りで……」
そしてふわりと床から浮き上がった。
「私はもう神の世界へ戻ります。我々も忙しいのですよ。何せ、我ら九柱神は、今別の新しい世界を創っている最中ですから」
「え? 新しい世界を、創ってる……?」
「そうそう、神官ポンテオのことは誰も覚えていないので、よしなに」
エッタの問いに答えず、「旅の神」は言いたいことだけ言ってそのまま天井付近へと浮き上がっていき空気に溶けるように消えてしまった。
何だったんだ、今のは。
牢屋の中にポツンと残されたエッタは、混乱を振り払おうとするかのように一人かぶりを振った。まるで白昼夢のような体験だったが、それは今確かに「あった」ことなのだ。
失われたはずの「旅の神玉」、それが使われ召喚されたエイト・ミウラ。
「神玉」を用いて彼を呼んだのは一体誰か。その目的はどこにあるのか。
そして――
「何故わたくしのことを、グリム・エクセライなどと……?」
この疑念は、「賢者」にまつわる事柄に比べれば、よほど小さな個人的な問題だ。似ている程度の意味でしかないのかもしれないし、気まぐれな神の無意味ないたずらと片付けてしまってもいいことなのかもしれない。
しかし、エッタの心の中で最も大きく引っかかっていた。
「ああ、もう……! これだからああいう思わせぶりな男は!」
エッタがそう地団太を踏んだ時、新たな足音が階段の方から聞こえた。
「ヘンリエッタ師、よろしいかな?」
そう顔をのぞかせたのは神官のローブをまとった老人であった。口ひげ、顎ひげ、眉毛とすべてが白く長い。絵に描いたような老人だが、背筋だけはピンと伸びている。
「あなたは?」
「わしはシナオサ。このオイスタム神殿の大神官だ」
「大神官……!?」
「オイスタム大神殿」はモウジ神国の信仰の中心地、その大神官ということは、この国の宗教的指導者ということになる。
「わしのおらぬ間に、アマヌスがご無礼を働いたようだ。あいすまなかった」
シナオサはそう詫びると鍵束を取り出して錠を開けた。
「大神官自ら牢を開けていただけるとは……」
流石にエッタも恐縮しつつ、鉄格子の外側に出る。
「アマヌスも頭が冷えたであろう。もう一度、エイト殿も含めて話し合いの場を持ってくれぬか?」
「もちろんですわ。こちらも聞きたいこともありますし」
特にエイトには、とエッタは内心で付け加えた。
神の気まぐれのようなものだということに腹は立つが、ともかく情報は得られた。その情報は、今の状況をひっくり返してしまうことになるものだろう。
取扱注意ですわね。自分を牢屋から出してくれた神官の小さな背を見つめて、流石のエッタも気を引き締める。
何せ、使い方によってはこの神殿全てを敵に回してしまうかもしれないのだから。




