160.モウジ神国王子トモテ
モウジ神国は、元々はバヌス砂漠に住んでいた民が建てた国だ。
彼らは、バヌス砂漠最大のオアシスに神殿を建て、そこを中心に国を広げていった。この最初に神殿を建てられたオアシスこそが、現在の神都オイスタムである。
およそ300年前、オイスタムが魔王の手によって陥落し、モウジ神国はマグナ大陸で最初に魔王に支配された国となった。
その時、モウジの人々が逃げ込んだのだが、バヌス砂漠西端の丘陵地帯に位置するリオットだった。イアカスの港を見張る強固な砦のあったリオットには、魔王も攻めあぐねていた。
大陸中に魔王が食指を伸ばす中で、故郷を追われた人々はリオットを目指し、この街はマグナ大陸における反魔王の最前線となった。
やがて魔王が勇者に討たれた後、人口の多かったリオットはそのまま新たな首都となる。砂漠の中でも奥めいたところにあるオイスタムよりも、港に近いリオットの方が都合がいいことを、人々は知ってしまったのである。
一方で、オイスタムは神殿を抱く「神都」という位置づけで残った。モウジ神国は信仰の国である。遷都しても、当時はまだ神殿への尊敬は失われていなかったのだ。
こうして、モウジ神国は「俗」の都であるリオットと、「聖」なる都のオイスタムが並立して存在する国となり、現在に至るのである。
エッタと商人の男を乗せた駱駝車は、砂漠を抜けてリオットの街へと辿り着いた。
「魔獣返し」とも呼ばれる巨大な城壁に囲まれたリオットは、丘陵地帯にあるために街の中の高低差が大きい。その最も高いところに位置しているのが、モウジ神国の王宮である。
エッタは商人と別れると、城門にいた兵士を捕まえてイアカスの冒険者ギルドでもらった紹介状を見せる。それを一目見るや、兵士は慌てた様子で上役に確認を取り、その上役も血相を変えた。
「こちらでお待ちください。ユーワン師に確認を取ります」
城門横の兵士詰め所、その応接間のようなところに通され、エッタは少々困惑する。床には高そうな絨毯が敷かれ、テーブルには果物が盛られていた。
「えーっと、どういうことです?」
世話係として部屋の隅で畏まって控えている兵士に、エッタは尋ねる。
「はっ、はっ! でき得る限り歓待せよとのお達しでありまして!」
やたらに力が入っている。
「まあ落ち着いて……。歓待はいいので、少し教えてくださるかしら」
「はっ! 私に答えられることでしたら、なんなりと!」
とりあえず張り切るのをやめてほしい、と思いながらエッタは尋ねる。
「あなた、賢者の作った武器のことをご存知ですか?」
「魔法銃のことでありましょうか!?」
エッタがうなずくと、「存じております!」と声を張り上げた。
「神兵隊どもがこぞって身に帯びております故!」
「神兵隊?」
「はっ! 神殿が独自で抱えている兵隊であります! 自分たちの方が歴史と伝統があるなどと言って、いつも我々王立騎士団を下に見てくる嫌な連中であります! それはもう、本当に嫌な連中でありますとも!」
二度も重ねるところを見ると、何か嫌な目に遭ったことがあるのだろうか。
「その人たちと交戦したりも?」
「はっ! キウセイの街に駐留している騎士団は、何度か衝突をしております!」
キウセイは、首都側の勢力圏の中で最も東に位置する街だ。ここより東にある街は、すべて神都に与している。
「実際どうですか、魔法銃の威力は?」
「私がこの目で見たわけではないので何とも言えませんが、大したことないのでは、と!」
「何とも言えない」という割には、力強い返答である。
「えっと、根拠はあります?」
「はっ! 神兵隊どもは、神都に味方する商人を護衛しているのですが」
「バヌス砂漠」東側の街々の商人たちは、伝統的にオイスタムと取引がある。首都と神都の対立が深まって以降も、キャラバンの行き来を止めていないようだ。
今の首都とのにらみ合いが起こる前は、砂漠の魔獣から商人のキャラバンを護衛することが、神兵隊の主要な任務だったらしい。
「キャラバンが魔獣から受ける被害が大きくなっているという報告を、この間盗み見たことがありまして! 神兵隊の連中が魔法銃を使うようになってからではないかと想像し、それ故であります!」
想像でしかないか。それをやたらに元気に叫ぶので、エッタは思わず苦笑した。
「あなた、盗み見たことを大きな声で言ってしまっていいのですか?」
「あ! こ、これは……、その、ご内密に! どうか、ご内密にッッ!」
その「ご内密」も大きいので、エッタは半ば呆れながら「わかってますよ」と肩をすくめた。
四半刻(約30分)ほどして、鱗鎧を身に着けた騎士がエッタを迎えに現れた。
小型の駱駝車に彼女を通し、一行は一路王宮へと向かう。
丘陵にまとわりつく蛇のような坂道を、ぐるぐると回って登り、王宮の前に辿り着いた。
「うぅ……、気持ち悪い……」
案の定というべきか、乗り物酔いを起こしたエッタであったが、そうそうぐったりもしていられない。何せ、王宮の中で待っているのはトモテ王子なのだ。
「お加減はいかがですか……?」
杯に水を入れて騎士が持ってきてくれた。それを飲み干し、エッタは無理矢理に起き上がる。
「すぐ行きます、大丈夫です……!」
その騎士に連れられ、エッタは謁見の間に通された。
モウジ名産の赤い毛織物の敷かれた、だだ広い部屋の一番奥の豪奢な金の椅子に、細身の青年が座している。その隣には、肌の白い女が影のように寄り添っていた。
「『皆色の魔道士』、ヘンリエッタ・ハンナ・レーゲンボーゲン、参りました」
乗り物酔いなどなかったかのようにエッタは優雅に名乗ると、お初にお目にかかります、と平伏した。
そのエッタに、金の椅子に掛けた青年――トモテ王子は「面を上げよ」と厳かに告げた。
「モウジ神国王子、トモテである」
王子トモテは年のころは20歳前後の、端正な顔立ちの青年であった。青みがかった髪のせいかどこか怜悧な印象で、刃物のような危うさをエッタは感じ取った。
「宮廷魔道士長ユーワンでございます。はるばるよく来られましたね、ヘンリエッタ師」
その隣に侍る魔道士長ユーワンは、抜けるような肌の白さの美女。細身の長身で、エッタよりも頭一つ分は高い。先王の頃から仕えているということだが、その容姿から年齢をうかがい知るのは難しい。
型通りの自己紹介と挨拶を終え、「さて」とトモテ王子が切り出す。
「イアカスの冒険者ギルドからの紹介状と、『クエストチケット』は見せてもらった。ヘンリエッタ師、そなたは賢者に会いたいのだな?」
「はい。賢者と会談し、その知識をご教授頂ければと思いまして」
むう……、とトモテは難しい顔をした。
「やはり異世界の知識は異国の者には無暗に伝えられない、と?」
「いや、知識は広く人民に伝えられねばなるまい。異世界の知識を独占し、戦力を増強しているなどと近隣諸国に思われるのも、我が国にとって益にならんからな」
マグナ大陸は古くから戦乱の絶えない地だ。モウジ神国も三つの国と陸の国境を接しており、周辺は危うい均衡で成り立っている。とりわけ、西のシューオイク帝国は「覇権国家」と呼ばれるほどに野心が強い。20年ほど前には、実際に帝国を発端とした戦乱も起きたという。
そこで、下手に異世界の知識を使って新兵器を開発しているなどという噂が立てば、「砂上の楼閣の平和」は簡単に崩れてしまうだろう。
「ただ、そもそも賢者様と会うのが難しい状況なのです」
ユーワンが口を挟んだ。
「神殿が賢者の身柄を押さえているからですか?」
眉をひそめ、ユーワンは「恥ずかしながら……」と首肯した。
「賢者様は、神殿の野心ある神官たちに誑かされ、トモテ殿下ではない者を王として指名するおつもりなのです」
何とまあ。エッタは驚いて見せた。
とは言え、内心では浮かべた表情ほど驚いたわけではない。ギルドの受付嬢の想像通りだったし、神殿が賢者の身柄を渡そうとしない以上、起り得ることではあるのだから。
「ですけど、いくら予言にあるからと言って、トモテ殿下が王位継承者なのでしょう?」
「いや、相手がその辺の駱駝の骨ならばどうとでもなるのだがな……」
端正な顔を苦く歪めたまま、トモテはため息を吐く。どうやら単なるでっち上げではなく、王位を継ぐに足るような人間が他にいて、そちらを賢者は選ぼうとしているらしい。
「一体、誰を王に指名しようとしているのですか?」
「私の叔父のアマヌスだ。幼少のころから神殿に預けられ、そこで育った」
先王ギラッカには、長らく子が生まれなかった。そのため、自分の年の離れた弟で、父王ラムタによって神殿に預けられたアマヌスから、継承権を剥奪していなかったそうだ。
「モウジ神国の王室典範では、王の子と王の兄弟姉妹では継承権に優劣はないのです。そのため、トモテ殿下とアマヌスは典範上同列の扱い。賢者様の指名なくしては、王を決めることができないのです……」
変えちまえよそんな典範、とエッタは内心で呆れた。そもそも、先王がトモテが生まれた時点で、そのアマヌスとやらから継承権を剥奪しておけばよかったのではないだろうか。
「王室典範は、神の声を聞いたという初代王チウマノオが作ったもの。神の言葉を違えるのは、容易ではない」
典範をもし変更するのであれば、オイスタムにある大神殿の承認が必要になる。だが、神殿側は「承諾しないだろう」とトモテは苦い表情を浮かべる。
「わたし達のことを、神殿は恨んでいるでしょうから……」
ユーワンは暗い顔で少し目を伏せた。




