159.港町イアカス
モウジ神国は300年前に魔王の侵攻を最初に受けた国でもある。
後に「魔王の島」と呼ばれる孤島から、突然この国のバヌス砂漠に現れた魔王は、当時の首都オイスタムに魔獣を引き連れて襲い掛かった。
以降、アドニスの勇者ヒロキ・ヤマダがマグナ大陸を解放するまでの間、長らく魔王の支配に置かれてしまっていた。
魔王討伐後、かつての首都オイスタムは「神都」とその呼び名を替えて神殿のみが残り、王宮などの首都機能はより沿岸に近いリオットに移った。
このリオットの発展に寄与したのが、最大の貿易港イアカスである。
現在のイアカスには、マグナ大陸の各国はもとより、フォサ大陸のアドニス王国やキュクノス連合への貿易船や定期船が多数行き来している。
「ああ……、揺れない地面! 何と素晴らしいことでしょう!」
潮風の香る埠頭に降り立ったエッタは、大袈裟な歌劇のように天を仰いだ。
およそ二週間の航海を、エッタはほぼ船酔いと共に過ごした。ある意味では、人生で最も厳しい戦いだったかもしれない。そんな感慨すらある。
「お世話になりましたわね、ガマセ」
船を振り仰いで、この二週間何かと世話を焼いてくれた大柄な船員に声を掛ける。
「おお、達者でな。ところで俺の名はガマセじゃなくて……」
「では向かいましょう、リオットヘ!」
甲板から降ってくる訂正に聞く耳を持たず、エッタはイアカスの冒険者ギルドへ向かった。
「へー、国からの『クエスト』でねェ……」
イアカスの冒険者ギルドの受付嬢は、ボサボサの橙の髪に袖なしのシャツという出で立ちで、アドニス王国のギルドにいる同じ役職の者たちよりも、随分くだけた印象であった。
エッタの冒険者証とクエストチケットを読み取り装置にかけ、感心したように彼女の情報を眺め、「うーん」と唸る。
「あんたは立派な経歴を持ってて身元も確かなようだが、それでも今オイスタムに入るのは難しいかもしれないヨ」
受付嬢の共通語は、モウジ訛りだろうか音の強弱がアドニスで聞くものと違っている。
「オイスタム? どういうことです?」
エッタの問いに、彼女は気怠げにカウンター横の棚をあごでしゃくった。
「そこの王宮発行の『ニュース』、読んでみな」
言われるまま手に取ると、こんな見出しが踊っている。
オイスタム大神殿、賢者の受け渡しを拒否
賢者独占、王宮への反逆意志あらわ
ガオイ軍務卿、ユーワン魔道士長と会合。神殿対応を協議
「えっと、どういう……?」
イェンデルがモウジ神国を離れ、エッタがやってくるまでおよそ一月あった。その間に局面は大きく転じていたようだ。
「あんたが会いたがってる賢者様を、神殿が渡さないってゴネだしたんだヨ」
「は? どうしてです?」
そこまでは知らないヨ、と受付嬢は両腕を広げる。
「オイスタムにはギルドの支部もないしィ、情報が入って来にくいのサ」
ただ、と彼女は少し声を落とした。
「神殿は、トモテ殿下ではない王を賢者様に指名させたいんじゃないかって話だ」
「後継者はトモテ王子が既定路線なのでは?」
そうだけどネ、と受付嬢は肩をすくめる。
「ギラッカ王の頃から、神殿と王宮の対立が本格化していてネ。その息子のトモテ王子なら、神殿を締め上げる路線は継続だろうって言われてんダ。そこに王を選ぶって「予言の賢者」様だろ? ちょっと邪推しちまうヨ、この国の人間としちゃネ」
まあそういうワケで、と受付嬢は声の調子を戻した。
「この国は内戦一歩手前なのサ」
そのため、神都オイスタムへ外国人が入城するのは難しい、という。
「あー、ヤダヤダ。早く平和になってほしいネ。まあ、うちの冒険者共が食うのに困らないくらいには厄介事はあってほしいケド」
ふーむ、とエッタは腕を組んで思案する。
エッタの目的は、とにかく賢者に会うことだ。そのためにリオットヘ向かおうとしていた。
だが、賢者はリオットではなくオイスタムの神殿にいる。
リオットとオイスタムは今にらみ合っていて内戦寸前、オイスタムに入るのは難しい。
「うーん、当初の予定通り、一旦リオットに入りますか……」
「それがいいだろうネ。あんたほどの経歴の持ち主なら、オイスタム攻めに協力するよう頼まれるカモヨ」
「よその戦争に加担する気にはなれませんわね、さすがの『悪役』も」
世界の均衡どころか既に内戦一歩手前とは。先が思いやられることだ、とエッタは肩をすくめた。
ギルドの紹介状を携え、エッタは首都リオット行きの駅を訪れた。
アドニス王国であるならば、こういった駅を馬車が行き交っているが、砂漠の国であるモウジ神国では馬車でならぬ駱駝車が広く使われている。
「ほほう、ヒトコブラクダというヤツですわね」
駅舎のロータリーに駐車している駱駝車を見て、エッタは訳知り顔でうなずく。アドニス王国ではもとより、かつていた世界でも生で駱駝を見たのは初めてであるのだが。
「いいや、こいつはミツコブラクダだ」
エッタの背後からそう声をかけて来たのは、黄色いターバンをした商人風の男だった。
「ミツコブ?」
「お姉さん外国から来たね? そういう人は驚くんだよ。あれを見てみな」
ほら、と商人は駱駝のコブを指す。そこには、お椀を伏せたような形の装置が両側面に一つずつついていた。
「これは何の装置なんです?」
「駱駝の体力を補い速度を上げてくれる魔法器具『新たなコブ』さ」
馬や駱駝のような家畜を強化する魔法は、世界的に普及し広く使われている。だが、動物は魔素を嫌うため、何世代もかけて精神器官を強化し、魔法に耐えられるよう馴らす必要がある。また、そういう血統の生まれであっても、必ずしも魔法を受け入れられるわけではない。
そういった手間を解決したのが、この「新たなコブ」だ、と商人はどこか誇らしげに言った。
「魔道士長のユーワン師が開発されたんだ。こいつを二つ、駱駝のコブに刺すだけで強化魔法をかけたのと同等の効果が望めるんだ」
この装置を取り付けた駱駝のことを、「ミツコブラクダ」と呼んでいるそうだ。
なるほど、とエッタがうなずいた時、ちょうど駱駝車の出発時刻になる。
「お姉さん、リオットへ行くのかい? 私もそうなんだ。よければ、この国のことを色々と教えてあげるよ」
「本当ですか? では喜んで」
せっかくの機会だ、とエッタは商人と一緒に駱駝車に乗り込んだ。
さて何を聞こうか。商人ともなれば神都の方にも出入りがあるかもしれない。ギルドで聞けなかった話も出るだろう。
とりあえず、とエッタは先ほどの会話で名前が挙がった人物について尋ねることにした。
「ユーワン師、でしたっけ。『新たなコブ』の開発者」
さっきの「ニュース」にもあった名前ですわね、とエッタは気になっていた。
「一体どういう方なんです? わたくしも魔道士、こんな装置を作る方、気になりますわ」
「そりゃ立派なお方だよ。先王の頃に取り立てられて以降、革新的な発明や改革を打ち出して、今は魔道士長だ。トモテ殿下の御世になっても、王の片腕としてこの国を更に発展させてくれるだろう」
なかなかのやり手のようだ。「ニュース」でも、軍務卿が会合して意見を求めたとあった。王亡き今のモウジ神国を、実質的に動かしている人物なのだろう。
「そんな立派な方なのに、神官どもはユーワン師を目の敵にしてるんだ」
「おや、そうなのですか? それはいけませんねぇ」
この商人は話好きなのだろう。聞かない内に聞きたい話が出てきた。
「だろう? 神殿の連中は政治に嘴を突っ込んできていてね。それを許さんとギラッカ王は、ユーワン師と一緒に神殿の権限を弱める施策を色々と打ったのさ」
ギラッカ王が亡くなった今、その関係はユーワン師と神殿との対立として残ったようだ。
「だから、今回出てきた賢者ってのも怪しいもんだよ。ユーワン師はトモテ殿下を推しているから、神殿の連中はそれが気に食わなくてデッチ上げたんだろうって、みんな思ってるよ」
おやおや、とエッタは内心でつぶやく。どうやら「予言の賢者様」は、思ったよりも受け入れられていないらしい。
「その賢者様、新しい武器を作ったとか」
「おや、耳が早いね」
冒険者ギルドで小耳に挟みました、とエッタは誤魔化す。
「ギルドでねェ……。冒険者は新しい武器となるとすぐに飛びつくのだろうが……」
「見たことがあるんですか? 魔法銃でしたっけ?」
あるとも、と商人はうなずく。
「こんなにらみ合いになる前に、神都の連中から『取り扱わないか』と誘われてね。見せてもらったが、あれはダメだ」
「ダメ、ですか」
そうとも、と商人の声がにわかに熱を帯びる。
「確かに人一人を相手取るならばいい武器なのだろう。だが、魔道士の魔法の方が遥かに破壊力がある。魔法銃で一人を撃つ間に、十人は倒せるだろうね」
「新たなコブ」に比べれば玩具みたいなものだよ、と商人は車を引く駱駝の背を指した。
この商人は神殿に反感を持っているようだが、それを差し引いてもなかなかのこき下ろしようだ。
やはりか。エッタは内心でそう呟いた。となると、あのスヴェンの態度は……。
「時にお姉さんはどちらの国から来たのだね?」
「え? ああ、アドニス王国ですわ」
「海を越えてはるばるやってきたわけか。どうかな? モウジ土産にこの『砂漠の薔薇』の首飾りは? それとも、このウルタルで人気の猫の耳飾りがいいかな? あるいは、我が国名産の毛織物なんかはどうだね?」
そこからは商人の売り込みが続いてしまい、これ以上の情報を得られなかった。




