156.目が覚めて
けたたましくドアがノックされる音に、部屋の中で眠る彼女は薄く目を開けた。
体が痛む。気付けば床で寝ていたようだ。頭の下には分厚めの本があり、そういえば昨夜読んでいたな、と記憶が蘇ってくる。
「いるんだろ! おーい! 出てきな!」
「うーん、もうちょっとだけ……」
ごろんと寝返りを打ってむにゃむにゃとそう返事すると、開きかけた目を閉じて浮き上がる意識を再び眠りの海へと引きずり込もうとした。
「聞こえたよ! 何がもうちょっとだけだい!」
「もうちょっとはもうちょっとですわよ……」
近くにあった毛布を引っ張って頭からかぶると、女はその中にもぞもぞと入っていく。
「いい加減に出てきな!」
言葉と共にドアが開け放たれ、くすんだ金髪の痩せた女が入ってきた。
「ちょっと、何てところで寝てるんだい!」
こら、と金髪の女は床に転がった塊の表面、毛布を引っぺがして、転がり出てきた女を見下ろした。
「何ですか、カーヤ……。せっかくいい気持ちで寝ていたというのに」
「とてもそうは見えないよ、エッタ。目の下にクマができてるじゃないか」
その言葉に、銀色の巻き髪の女――ヘンリエッタ・レーゲンボーゲンは目の下をこすった。
「ていうか、鍵かけてたと思うんですけど?」
「あたしの前職知ってるだろ? この程度の鍵なんて簡単に開けられるよ」
金髪の女――カーヤは肩をすくめた。
「新築の割に魔法錠ですらないなんて、えらくケチったもんだね」
「あの時はここしかなかったんですよ」
まったくもう、と鼻を鳴らしてエッタはようやく起き上がった。
「探索士の技能を住居侵入に応用するなんて。しかも、天下の冒険者ギルドの受付嬢が! 知れたら大事になりますよ」
「心配には及ばないね。こうしてでもあんたを引っ張り出さなきゃならない理由があるんだから」
理由? とエッタは眉をしかめる。
「そ。あんたこの一か月、まーったくギルドに顔出してないじゃないか。一生遊んで暮らせる額を王様からもらって、働かなくてよくなったのかもしれないけどさ」
半年前、エッタはアドニス王国を揺るがす大きな事件に関わり、それを仲間とともに解決した。そのことで、国王ダリル三世から勲章と莫大な報奨金をもらっている。
とはいえ、カーヤの言うような「一生遊んで暮らせる」ほどではない。今後の一生を考えるならば、無暗に手を付けるのは躊躇われるぐらいの額だ。
だが、エッタはこの一か月はその金を切り崩して生活していた。
理由は無論、働かなくてよくなったからではない。
「知ってるくせに、よくもまあ……」
しかめっ面を深くしたエッタに、カーヤは苦笑を浮かべる。
「そんなにフィオとザゴスをお姫様に取られたのが悔しいのかい?」
「悔しいに決まってるでしょう! ザゴスはどうでもいいですけど!」
お姫様、とは三か月前にヤーマディスの新領主に就任した現国王の娘・ディアナのことだ。
反王国秘密結社「オドネルの民」の襲撃により、ヤーマディスは壊滅的な被害に見舞われた。当時の領主であったドルフ候をはじめとした多くの人間が犠牲となり、街の半分以上が焼失してしまった。
ディアナは就任最初の仕事として街の復興に携わり、紆余曲折はあったものの、どうにかその事業を軌道に乗せることができた。
それを見届けた彼女が、「領主としての勉強のため、他の地方を回りたい」と言い出したのが一か月前のことである。
(叔父さま――ドルフ候に比べれば、わたしは未熟も未熟、至らないところだらけの領主です。そのことは復興に携わる中でいたく感じました)
立派な領主になるために見聞を広げたい、というのがディアナの言い分だった。
復興のために街を回るディアナに好感を持っていた住人たちは、「ディアナさまがそうおっしゃるなら」と彼女の言葉を受け入れた。
一方、世間知らずなお姫様であるディアナのことを快く思っていない住人たちも、「もっと勉強するというなら」と賛成の意思を示す。
領主付きの文官たちは当初反対していたが、住人が理由はそれぞれながらディアナの遊学を歓迎する意思を示したことで態度を改め、晴れて旅立つことになった。
(護衛には冒険者の方を指名しようと思います。かの『オドネルの民』を倒し、復興事業でもわたしを助けてくれた英雄フィオ・ダンケルスと、その夫で勇猛なる戦士ザゴス。そして、『皆色の魔道士』エッタ・レーゲンボーゲン……)
三人ともが、先の事件で叙勲を受けた冒険者だ。実力・実績共に申し分なく、滞りなく彼らが選ばれるはずだったのだが……。
「よりにもよって、このわたくしを置いていきますか!? 山賊上がりは連れていくのに!」
「いや、ザゴスは山賊だったわけじゃないんだろ? 確かに山賊みたいな顔してるけどサ」
頬を膨らますエッタに、カーヤは細かい訂正を入れた。
エッタが護衛につくのに反対したのは、ディアナの腹心とも言うべき文官だった。
(確かにヘンリエッタ・レーゲンボーゲンなる魔道士は、勲章を持つ英雄でありましょう。しかし、街中で魔法を撃つ無法の輩でもあります。要らぬ危険を招きかねません)
「悪役」の自称の通り、エッタの素行は悪い。その文官が言うように、街中で攻撃魔法を放って建物や道路を破壊するのはしょっちゅうだった。そのことで冒険者資格を停止されたこともある。何度も、ある。
直近でも、復興視察のために街を見て回るディアナの護衛についていた際、刺客と勘違いして一般人に攻撃魔法を放ち、以降その任を外されている。というか、その時エッタに攻撃魔法を撃たれた「一般人」こそが、その腹心の文官であるのだが。
その経緯があったことからディアナも納得し、フィオとザゴスの二人だけを連れて旅立ってしまったのだ。
「あの時は『新婚なんですから二人で行ってくればいいじゃないですか!』なーんて、カッコつけてたくせに」
「だって、そうでも言わないと、あの状況どうしようもないじゃないですかー……」
エッタが外されることに、無論フィオもザゴスも抗議していた。だが、「要らぬ危険を招きかねない」という文官の指摘が的を射ていることを、二人とも(とりわけザゴスが)身をもって知っていたため抗議自体が説得力を欠いてしまい、それが実ることはなかった。
「で、この一か月は昼まで不貞寝して、ギルドに顔すら出さないなんて……」
「そんなお小言が、鍵を壊して入ってきてもいい理由ですか?」
違うよ、とカーヤは肩をすくめる。
「あんたを指名した『クエスト』が来てるのサ」
ほれ、とカーヤは「クエストチケット」と呼ばれる紙片をエッタの眼前に突きつけた。
「おやおや、わたくしに『指名クエスト』を依頼するお目の高い人物は、と……」
しかめっ面をへにゃりとほぐして、エッタは笑みを浮かべる。
「これは面白そうなにおいがしますわね……」
カーヤの手から「チケット」を受け取ると、エッタはようやく立ち上がった。
「でしょ? 何せ依頼者が依頼者だ。しかも、直接やって来てるときたもんだ」
「え、来てるんですか!?」
エッタは目を見開く。
「ああ、ギルドで待ってもらってるよ。それで呼びに来たってワケ」
「指名クエスト」とは言え、依頼者が冒険者と直接面会するのは珍しい。大抵は間にギルドが入って詳しい話を聞くものだが――今回は特別だとカーヤは言い足す。
「まあ、お互い知らない仲ではないですからね」
先に戻っておいてください、とエッタはカーヤに促す。
「身支度を整えてから参ります」
「わかったよ。じゃあ、早めに来てね」
はーい、と返事をしてエッタはもう一度「クエストチケット」に目を落とす。「チケット」の表面には既にエッタの名が印字されており、その下に依頼者の署名欄があった。
一体どんな厄介事ですか?
心の中でその名の主にエッタは問いかける。
署名欄には、スヴェン・ヴィルヘルム・エクセライとあった。




